三城×幸田・それぞれの春・編・36



妙な沈黙は、北原の咳払いによって破られた。

『仕切りなおそう』という無言の合図だろうそれを受け取った幸田は、安堵の息と共に北原に視線を向ける。

一度伏せてしまった顔をなかなか上げる事が出来なかったので、その気遣いはありがたかった。

「それでお話というのは?」

「はい、部長の本社移動の件で。」

北原がサラリと言った言葉に、幸田は虚を突かれて上手く理解が出来なかった。

「本社、移動?」

移動とは転勤という事だろうか。

本社と言えば、アメリカだ。

そんな事、三城本人からは何も聞かされていない。

信憑性の有無を見極める前に、そんな幸田の様子に気づいていないらしい北原の言葉が更に続いた。

「C&Gの本社に移動請求が出た事に加え、向こうでも初めからマネージャーの地位が用意されています。部長の将来にとって悪い話であるはずが無いのです。なのに──」

なのに三城は断った、というのか?

C&Gの会社規模は幸田も知っている。

三城と付き合うようになってから調べたのだ。

資本金数十億の大企業。

世界中に支部を持ち、子会社の数ともなれば数え切れないほどにある。

そんな会社の、本社の、マネージャー。

マネージャーと言えば、日本でいう課長ほどの立場だろうか。

本社でその地位につける人物がゴロゴロ居るはずもない。

まだ30歳にもなっていない三城がそこに立つという事は、将来どこまで上り詰めるのか。

考えなくても解るだろうに、何故三城はその栄転を断り狭い日本に留まるというのだろう。

・・・・・自分がいるから?

他に、理由は思いつかなかった。

「幸田さん。どうか、幸田さんからも部長に本社に行くよう進言しては頂けないでしょうか。部長の為なのです。」

北原は重々しい口調で言うと、テーブルに額がつきそうなほど頭を下げた。

先ほどまで冷めた口調と鋭い眼光を誇っていたのに、今の北原からは余裕が無い必死さが伝わってくる。

本当に北原は三城を思っているのだろう。

その為一番三城を動かせそうだと考えた幸田を待ち伏せ、こうして頭を下げている。

エリート意識が強そうで、プライドも高そうに見えた北原が。

だが北原はたぶん、一つ思い違いをしている。

それがこの話しの結論とどう繋がるかは解らないが。

「頭を上げてください。すみません、いきなりの事に理解が追いつかなくて。」

「え?」

北原は幸田が当然この事を知っていると思っていたのだろう。

上げられた表情は酷く眉間が寄せられていた。

「それはどういう・・・もしかして、ご存知無かったのですか?」

「・・・はい」

その通りだ。

自分は、今聞いた事の全てが初耳だった。

寂しいような虚しいような、何とも言えない苦しさが胸を締め付ける。

「そんな、まさか。」

幸田が知らないとは露ほども思っていなかったのだろう。

唖然と目を見開いて幸田を見ていた北原は、一瞬嘲笑のような笑みを浮かべたがすぐに真面目な硬い顔に戻った。

「これは失礼いたしました。存じ上げているとばかり思っていたので、前置きを飛ばしてしまいました。」

口調こそ真摯だが、どこか嫌味を感じる。

それは己の卑屈な心からだろうか。

「改めてお話を・・・」

口を開きかけた北原を、幸田は彼よりも大きな声で制した。

「結構です。」

「え?」

「これは三城さんの事なのでしょう?だったら、僕は三城さんから直接聞きます。」

三城の将来を、他人の口から知らされたくはなかった。

自分が知らない事があるというのは確かにショックだったけれど、聡明な三城が幸田に話していないというのは、きっと理由があるのだと思う。

たとえ数日間音信普通になっているとしても、心の中心はいつも三城を信じている。

幸田は滅多に見せないほど瞳に強い光を宿し、唇を硬く結んだ。



 
*目次*