三城×幸田・それぞれの春・編・47



極度の驚きは幸田から言葉と声を奪っていたが、それを取り戻すと背を反らさんばかりに顔を上げて目を見開いた。

「・・・えぇぇぇ!?」

「どうした恭一。そんなに驚く事か?」

「だって、その・・じゃぁ、本社への移動は?」

「何故恭一がそれを知っているんだ?」

驚いた顔の三城を、幸田は口ごもりながらばつが悪るそうに視線を外した。

何をどこから説明すればいいのか整理が出来ないし、そもそも北原から聞いた話も「断っている三城を説得してくれ」というものだったじゃないか。

そこから考えると三城が日本に残る事は至極自然で、ここにきて驚く理由が自分でもわからない。

だがこの聡い男は数秒幸田を見つめると何かを察したのか、ため息と共に幸田の背に回していた手を離した。

「北原か?どうりで二人が見知った様子だった訳だ。いつ接触して恭一が何処まで知っているかは知らないが、その話は長くなるから場所を移すぞ。」

呆れたとばかりに言い捨てはしたが機嫌を損ねた様子はなく、幸田の頭をポンと小さく叩き三城はさっさとリビングへ向かった。

残された幸田はつい緩む頬でその背中を見送り、頭を叩かれたなんて些細な事にも幸せを感じてしまうとはと、自分自身に苦笑が浮ぶ。

先にソファーに腰を降ろしていた三城はジャケットとネクタイを無造作に外し、離れた隣のソファーへとそれらを放っていた。

それに習い幸田も着崩すが到底放るなど出来ず、丁寧にハンガーにかけ寝室にある専用のクローゼットに吊るして戻る頃には、「どこもかしこも禁煙で困る」と零している三城が煙草を吹かしていた。

大きなソファーには十分に広さがあるというのに、幸田は二人の膝と膝が触れてしまいそうな場所を選び座る。

すると直ぐに三城の煙草を持っていない手が幸田の髪に伸ばされ、指先でその毛先を弄んだ。

「どこまで知っているかは知らないが、その話は反故になった。お前が心配するような事じゃない。」

「でも、会社からの辞令って簡単に取り下げられるものなんですか?」

「あのな・・誰が簡単だったと言った?いくら俺が行かないと言っても、上司どころか部下どもまでが聞き入れなかったからな。だから社長に直接話をつけるために、奴を捕まえる為翻弄したさ。」

三城は煙草を灰皿に押し付けると、その手で新しいものに火を付けた。

「社長に直接言ったんですか!?それじゃぁ、最悪クビとかって・・・」

三城のやる事は時に突拍子もなく、驚かされてしまう事もよくあるのだが、よもや年商何十億・何百億という自社の社長の元まで行くとは聞いているだけで心臓に悪い。

それとも三城は其れほどまでの地位なのだろうか。

「社長とは個人的な付き合いがあるから話をする分には問題はなかったんだ。ただ忙しい人だからどこまで追いかけても行ってもニアミスばかりでな。帰国の日程も迫っていたから焦っていた。それで恭一になかなか連絡が出来なくて悪かったな。」

「いえ、それは・・」

三城お得意の、「悪いと思っていないだろう」と思われる誤り方も、今はとても助かった。

話を聞いている限りいくら忙しい時期だったとはいえ三城よりも自由があったであろう幸田が何も出来なかったのだから、それでも耳が痛い。

「それに、逆だ。」

「逆?」

「クビにしたかったらクビにすれば言いと言ったのは俺の方だ。俺に抜けられて穴が空いたうえに、ライバル会社に移られるのも独立されるのも、痛手になるのは向こうだからな。」

「・・・・そうなんですか。」

とんでもないレベルの話しに幸田は置いて行かれそうだ。

あんな大きな企業の痛手になると本人が言いきれる人物と、どこにでもある予備校の教師でしかない自分が一緒にいる事実が時々不思議になる。

「そういう訳で俺は今まで通り日本支社のただの部長の一人だ。」

三城の年齢でそのポストに収まる事を「ただの」などと言えば怒る人物は両手の指ではきかないだろう。

さも当然とばかりに話を流す三城は、大きなため息を吐きながら天井を見つめた。

「・・・ただし、社長にいろいろ条件をつけられてな。」

「条件、ですか?」

三城の我侭とも言える無理を聞き入れてくれたのだから、何らかの条件提示くらい仕方が無いだろうと幸田は単純に思う。

幸田にはよくわからないが、三城が動かない事で会社の損失やなにかもあるのだろう。

それでも最終的に聞き入れてくれたのだから感謝しないといけない。

「だいたいが仕事や趣味の話しなんだが・・・」

三城は何処か諦めたように幸田をチラリと見た。

「恭一に会わせる、それが第一条件だ。」

「・・・・」

今度は驚きすぎて声も出なかった。

会う。

それは自分がC&Gの社長と、という事なのだろうか。

いや、そうだと三城が言っているではないか。

「俺の嫁が男だというのは以前から話してあったし、写真を見せたら会ってみたいと言い出してな。なに、お国柄ゲイに対する偏見は無いから安心しろ。」

そういう事ではないと思うのだが、反論も不満も浮ぶ余裕すら無く、ただ困惑だけを胸に残しながら幸田は小さく頷いた。

「解りました。・・・けど、三城さんは良いんですか?」

「何がだ?奴と会う事か?三人で食事くらいなら・・・」

「いえ、そうじゃなくて。本社に移動って、栄転なんでしょ?大きな仕事が出来るんだろうし、給料だって地位だって。もし僕の為に諦めるなら・・・」

三城の仕事の実力なんて知らない。

けれど時折目の当たりにする行動力や、北原を初めとする人望の厚さなどからきっと広い世界に出るべき人なのだろうと思う。

自分なんかが独り占めしていい人では無いのではないか。

三城の邪魔をしたくないし、将来後悔をしてほしくなかった。

幸田の内心を知ってか知らずか、三城は胡乱な瞳で幸田を見つめると、煙草を持つ手で口元を隠しながら嫌味交じりに言った。

「上司みたいな事を言うんだな。それともお前は俺に居なくなって欲しかったのか?」

「そんな、違います!でも・・・僕のせいで三城さんの将来を・・・」

「バカな事を言うな。俺の未来はお前と共にあると決めたんだ。遠距離恋愛なんてごめんだし、何より離れている間にお前が・・・」

「僕が?」

「いや、なんでもない。とにかく、俺は微塵も後悔していないし、いざとなれば独立する覚悟も勝機もある。心配するな。」

二本目の煙草を吸い終えた手で幸田の頭をクシャリと撫でた。

そのまま幸田の肩を掴むと自分の方へ引き寄せ、後ろから抱きしめる恰好で身体を密着させる。

背中に当たる三城の心臓が、いつもよりも早い気がした。

「だが、正直に言うと、初めは行こうと思ってたんだ。」

「え?」

「お前を連れて。」

頭上にある三城の顔を顎をあげて見つめる幸田に、三城は悪戯っぽく笑ってみせた。

「けれどあの日、お前の夢が叶うと聞かされて言えなかった。一人で行く事も考えなかったと言えば嘘になるが、すぐに出来ないと気づいたよ。」

「あ・・・」

転職を伝えようと決め昼間に電話をしたあの日、確かに三城も「話がある」と言っていた。

その「話し」は記憶にも薄いほどの事だったが、本当はこの事を言いたかったのかも知れないと、内心一人納得する。

「だが全て終わった事だ。問題はない。───それより、そろそろ聞かせてはくれないか?」

抱きしめられていた腕が離れていったかと思うと、身体を反転させられ三城と向かい合っていた。

掴まれた肩に感じる三城の手がとても大きく力強い。

「俺と一緒に暮らしてくれるか?」

考えるよりも先に乾いたはずの涙が再び頬を盛大に濡らし、幸田は喉を詰まらせながら満面の笑みを浮かべた。

「──はい、もちろんです。」

今聞いたばかりの三城の言葉が、幸せな木霊となって何度も何度も幸田の胸の中で反芻していた。



 
*目次*