三城×幸田・それぞれの春・編・5



アルコールの入ったグラスとつまみの入った皿を脇に追いやり、大石はクリアファイルから取り出した数枚の書類をテーブルに並べた。

そのうちの一枚を手にした幸田は、大石に促されるままに熟読する。

書かれている内容は雇用条件等で、どれもこれも常識的で妥当な事柄ばかりだった。

予備校よりも給与は若干下がるが、土日は休み。

勤務時間は朝8時から夕方5時。

この内容で雇ってもらえるなら、幸田に取っては願ってもない話だ。

高校教師への憧れが強い余りに、こちらの足元をみられて無茶な条件を提示される事も覚悟していただけに嬉しい驚きが大きい。

「本当にこの条件なんですか?」

書類から顔を上げた幸田は、下がる眉で大石に尋ねた。

実際に雇用契約をする際に、公募の内容よりも劣悪になるケースはよくある事だろう。

「あぁもちろんだ。一般の公募は知らないが、職員からの推薦ならな。学校側も信用のおける人間を雇いたいだろうからな。」

「・・・ハァ」

教師の問題行動が騒がれる昨今、現職の職員の推薦で人柄の知れた人物を雇いたいという事だろうか。

そうすれば必ず安全・・・という訳でもないのだろうが、履歴書だけを見て採用するよりは危険レベルが下がるという事だ。

新卒の教師を募集しない辺りにも、その危惧が伺える。

「お前が何かしたら俺の顔を汚す事になるからな、気をつけてくれよ。」

大石は冗談めかしに言うと「ガハハッ」と表して良いだろう声を上げて笑った。

幸田が来るまでに何杯飲んだかは知らないが、酔っているのかも知れない。

体育会系の大石は、酒は沢山飲むものの決して強い訳ではなかった事を思い出し、少し不安になる。

今日話をしても、明日までちゃんと覚えていてくれるのだろうか。

「学校側としては直ぐにでも面接したいみたいだが。」

「そう・・ですね。」

確かにこの条件面は文句の付け所もなく、戸惑う理由も本来ならば見た当たらない。

それなのに幸田が返事を渋るには理由があった。

三城だ。

今回の事を、幸田は三城に一言も言っていなかった。

「栄転」と言いたい程の幸田の転職に三城は反対はしないだろうが、何の相談もなくそうしたなら気分を害するかもしれない。

そう思うとこの場で「お願いします」とは言えないのだ。

今更言っても遅いのだが、今日までに三城に話をするべきだった。

昨日電話が掛かってきた時に一言、「転職の話が出てて、明日話を聞いてくる」と言えばよかったものの、タイミングを逃してしまった為に話せずに終わった。

そう言ってしまえば責任転換になってしまうだろうか。

「どうした?条件に不満があるなら俺から上に言ってみるぞ?」

「いえ、そういう訳でもなくて」

はっきりしない幸田に、大石は眉間に皺を寄せたが、暫くして神妙な口調で唇を開いた。

「お前、結婚でもしたのか?」

「は?」

唐突な大石の言葉に幸田は目を剥く。

どこからその発想が出てきたのか、すぐには理解が出来なかった。

「いや、嫁さんが居るなら転職なんて一人で決めれないだろうからな。」

「あぁ、そう言う事ですか。結婚は・・してませんよ。ただ、今の職場でちょっと」

正解ではないものの的確に的を得てきた大石に冷や汗を流した。

まさか、「入籍はしてませんし、僕が嫁です」など言える訳がない。

ご多分に漏れず、大石も幸田の性癖は知らないはずだ。

少なくとも幸田の口から伝えた事は無い。

幸田は心中も黙殺し、予備校の事や澤野の事件のあらましを説明したのだった。



 
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