蒼穹を往く奏楽・1




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澄み渡った青空がどこまでも続いている。

風は優しく、雲は空の青さを和らげる為にあるばかり。

見える限りには陸地も、他の船もない。

まるで世界に隔離されているかのようだ。

だが、そんなものはひと時の勘違いでしかないとよく知っている。

「───拓深」

船の縁で海を眺めていた拓深は、離れた場所から呼ばれた声に振り返った。

深みのある、酒焼けをした声。

真上に近い太陽の光が、銀色の髪に反射する。

裸の胸に白いシャツをひっかけただけの格好で、声の主・イスハークは拓深へ大股に近づいた。

拓深がこの世界に、そしてこの船に来てから三度の上陸をし今は四度目の航海中だ。

その間にどれ程の日数が経過したかは知れなかったが、拓深にとって然程重要な事ではない。

「イスハーク、どうしたの?仕事、終わったの?」

「あぁ。後は航海士に任せれば良い。それより、探したぞ」

元々日に当たらない生活で白かった拓深の肌は、今は少し日に焼け健康的となっている。

黒い髪は襟足程度に整えられ、ゆったりとした明るい色合いの服はイスハークの好みで、今はノースリーブのシャツに麻のハーフパンツ姿
だ。

「ごめん、部屋にいなくて」

「それは構わない。だが、海風に当たるのは良くないと思ってな」

イスハークの筋張った男らしい指が、意味ありげに拓深の腕の一点に触れる。

その場所───左の二の腕には、白い清潔な包帯が巻かれていた。

「痛くは、ないか?」

「大丈夫」

薄っすらとした痛みはある。

だが、その痛みは決して苦痛ではない。

さんさんと輝く太陽に眩しく目を眇めながら、拓深はイスハークを見上げた。

相変わらず拓深は感情が表情に出にくかったが、以前・この世界に来たばかりの頃よりは随分とマシになっているだろう。

今も、イスハークを見つめるその瞳には、喜びが表れていた。

「早く、取りたいな」

ここには、イスハークの証が刻まれている。

互いの想いが重なり合った直後、イスハークは自身の肌に拓深の名を刻んだ。

言語の違うこの世界において、漢字は文様にでも見えたのだろうか。

トライバル模様の描かれたイスハークの半身の腕の、その模様の合間にまるで元からそこにあったようにデフォルメされ、拓深の名が収ま
っている。

彼は拓深に一切知らせる事無く施術を行い、数日間巻いたままであった包帯の理由も教えては貰えなかった。

そうして、包帯が取れ披露されたその文様に、拓深は息も無かったと今でもはっきりと覚えている。

己の名が、愛しい人に刻まれているなど。

そこにとても強いものを感じた。

愛情や信頼や、それだけでは表しきれない何かであったが、拓深もまたそのイスハークの想いを返したいと思った。

そうして彼の希望もあり、拓深は昨日生まれて初めての刺青をその肌に施したのである。

「次の港に到着する頃には包帯は取れるだろう。そうすれば見る者が見れば拓深が俺のものだとわかる。俺の所有の証だからな」

「・・・ただのイスハークのファンとかに思われない?」

「妙な心配をするな」

イスハークがおかしそうに口元を歪める。

彼の所有の証。

なんとも心地の良い響きだ。

「雨が降る、中に入るぞ」

「え、こんなに良い天気なのに?」

「あぁ。晴れているのは今だけだ。直に雷雨になる」

見上げた空は先ほどと変わらず晴れ渡っている。

雨が降るなどにわかには信じられないが、海の天気の変わり易さは拓深も身を持って経験していた。

「わかった」

「船長室に行くぞ」

「うん」

「当面出られると思うなよ」

次の上陸はまだ随分と先の予定。

イスハークの仕事は区切りがついたという。

そしてこれから雷雨が来るのならば、暇つぶしにイスハークが望む事は一つしか思いつかない。

腰を抱き寄せられた腕は力強く、拓深は彼に寄り添ったのだった。