蒼穹を往く奏楽・10




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拓深を抱えたガノンが下層の甲板へと降りてゆく音が聞こえる。

暫くそれを聞いていたが、イスハークは深いため息を吐くとベッドへ腰掛けた。

まだ船が入り江に停泊して然程も経っていない事を考えると、船がこの国を目指し海上を走っている時から目を付けられていたようだ。

イスハークの船を知っていた、すぐに判別が出来たというのは常からある種の気は掛けていたのだろう。

それは少しだけ意外な気がした。

だがそれだけに、一晩だけならば何事もなく船を寄せれるかも知れないと考えたのは完全なイスハークの判断ミスだ。

嵐により不可抗力に近い形で上陸が決まった時から、こうした事態は何度も考えた。

考えて、考えて、そして丈夫だと答えを出したのは、何の根拠もない希望でしかなかった。

「俺を殺しに来たか」

兵士と大臣が押し寄せていると言っていた。

大臣が一緒ならば、兵士は一人二人ではないだろう。

ここで戦闘を行うメリットは何一つない。

ただ逃げきるならば出来るかもしれないが、下船している船員が多く居る為船を出し逃げるなど出来る筈もなく、たとえここに来た兵士らを倒したところで、すぐにもっと多くの兵力を向かわされるだろうからそうされれば余計に太刀打ちが出来なくなる。

加えて、今のイスハークには拓深が居る。

細くて小さくて、力もなければ人に抗う術すら持っていないように思える拓深を守るのは己でしかないのだ。

「約束、したからな」

すぐに迎えに行く。

ただ、下層に居るだけの拓深を迎えに行く。

簡単な、たったそれだけの事だ。

「さっさと終わらせるか」

イスハークが呟き立ち上がった途端、タイミングを見計らっていたかのように船長室の扉が外側から開けられた。

「お前が船長か」

「ノックもなしで随分と無礼だな」

「お前が船長かと聞いている!」

扉の外からサンサンと昼の太陽の明かりが差し込む。

その光を背に受け、先頭に一人の男が、その後ろに一目で数えられない人数の兵士が立っていた。

先頭の男が大臣なのだろう。

青地に金のブレードや装飾がごちゃごちゃとつけられた服に、胸には階級章がぶら下がっている。

まだぎりぎり中年と呼べる年齢で、見るからに不摂生がたたっている小太りだ。

イスハークは値踏みをするようにその男を上から下まで眺めた。

偉そうにふんぞり返っているが瞳には怯えの色がありありと現れている。

海賊の頭に慇懃な態度をとるなど考えもなく、だがその存在は恐ろしいのだろう。

大臣を見つめたまま、イスハークは思わせぶりに腰のカトラスに触れた。

「そうだと言えば、大人しく帰るのか?」

「・・・、ならばお前がクリスフィート、なのか?」

「聞いた事もない名だ」

油断なく大臣を、そして後方の兵士等に気を向ける。

大臣の問いかけに、イスハークは眉一つ動かしはしなかった。

だがそうとしたところで奴らが易々と納得をするとも思えない。

カトラスを握り込むイスハークに、大臣もまた平静を崩しはしなかった。

「お前を呼ぶようにと命令を下されている」

「俺はクリスフィートなど知らないと言っているだろ」

「知らぬと言うならそれでも良い。海賊船バリアーカの船長、銀髪の男を連れて来いとの命だ」

「生憎だが、俺がお前の命令遂行に協力をしてやる義理はない」

「絶対命令だ。手段は選ばない」

堅く真剣さしか感じられない面もちで低く呟き、大臣が片手をあげる。

その瞬間、兵士達は一斉に銃をイスハークへと向けた。

この広いとは言い難い部屋で発砲をされれば命中しない確率はどれほどあるのか。

そのうえ、兵士達の構える銃は一発しか打てない一般的なそれではなく、強力で希少なタリスが備えられ数発が打ってるものだ。

一撃を逃れても二発三発と弾丸に襲われる。

それもこの人数だ。

平静を装いながらも、イスハークは奥歯を噛んだ。

己だけならば、強行してでも逃げただろう。

だが今この船には拓深が居る。

船から出るなと言い聞かせたのは裏目に出てしまったのかもしれない、などと考えても後の祭りだ。

「剣から手を引け。そして私に従え。さすれば大事にはせん」

「・・・どうだかな」

「私の命はお前を彼の方までお連れすること。傷つける事ではない」

「俺は海賊だ。役人の言葉なんざ聞くわけねぇだろ」

唸るようにイスハークは吐き捨てる。

敵や軍人の言葉を素直に信じるのは馬鹿か愚か者だけだ。

己は馬鹿にも愚か者にもなるものか。

だが何より守るべきは、己が命でも、プライドでもない。

大臣をこれでもかと睨みつける。

その眼差しはさながら狼───銀の髪を持つ銀狼だ。

視線の先に見えるのは醜い面の中年の男。

しかし心に映るのは、ただ一人の眼差し。

イスハークは、無言でカトラスから手を引いたのだった。