蒼穹を往く奏楽・15




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クリスフィート───イスハークは、目の前で傲慢に振る舞う男、国王・ランヒスの実子でありクレイアーク国の元王位継承権所有者だ。

血のタリスに問えば間違いなく、煌々たる輝きをもってそれを証明してくれるだろう。

しかしその事実をイスハークは快くも、ましてや誇りになど思った事は一度もなかった。

10歳になり一人の従者を連れ国を出た時に、その名も肩書きも生まれも、両親の存在すらも全てを捨てたのだ。

ランヒスはイスハークの母親・マルーシェアを疎んでおり、彼女と同じように、否、自身の血を引く事を思えば彼女以上に奴にとってイスハークは目障りな存在だと認識をしていた。

それを今更、親とも思った事のない男にそのような事を言われたとて、素直に頷けるわけがない。

───マルーシェアは、クレイアーク国の西方より更に西へ馬で数日行った地の小国の、田舎貴族の生まれであった。

地方管理官の伯爵家の令嬢であまり派手なタイプでもなかったマルーシェアだが、その日知人に半ば無理やり連れて行かれた社交パーティーで、外交の為に国に訪れていたランヒスと出会ったのだと聞いている。

イスハークの幼い頃に見たマルーシェアは、母国の特徴を色濃く表した白い肌と薄い色の瞳に光を放つかのような白く長い髪の美女だったと記憶する。

楚々とした控えめな女性。

そのマルーシェアに惹かれたランヒスは短い滞在期間中に彼女を口説き落とし、遠く離れたクレイアーク国まで連れ帰ったのだという。

しかし、ランヒスが欲したのはただ彼女の女としての美貌だけであった。

異国の血など王家の血筋に入れたくはなかったのだろう、散々に愛で、愛を囁き、永遠を誓ったというのに、マルーシェアが妊娠した途端、ランヒスは彼女の前に姿を見せなくなった。

ランヒスにはマルーシェアの前にも後にも、他に多くの后が居る。

彼が求めたのは、長く続くクレイアークの貴族の血族の娘とその男児。

いくらマルーシェアの生んだ子供───イスハークが男だったとしても、否尚更に、継承権争いに加わられたくないとでも考えてかランヒスにとっては目障りなだけだったようだ。

後宮の一番奥で、マルーシェアとイスハークはまるで居ないもののように扱われていた。

いつまで待っても姿を見せない父王に、出産後も変わらぬマルーシェアの美貌を妬む后らの心無い陰口。

幼いイスハークにはまだその理由も解らず、ただただ、父親からの愛情を受けられる他の義母兄弟が羨ましかった。

それでも、いつか自分も愛される日が来るかもしれないなどと考えていたのは今となっては遠い記憶だ。

あれはまだ、イスハークが一桁の半ばの年齢であったある冬の日。

大雨の翌日で大変海が荒れていたその日、───マルーシェアは岬から身を投げた。

明らかな自殺だった。

女の足で城から歩いて行ける距離の岬だ。

詳しい場所がどこであるのかは知らないが、たぶん今バリアーカクイーン号が停泊している入り江から見上げた先にある岬ではないかとイスハークは考えている。

マルーシェアはイスハークにとっての唯一の親であった為、その彼女の死は幼いイスハークに暗い陰を落とし、その頃からランヒスに対する感情が愛情を欲するそれから憎悪へと移り変わっていった。

ランヒスも、他の后達も、その子供も。

何もかもがイスハークの敵であり忌むべき存在だった。

いつまでも後宮にも王宮にも居続ける気はない。

特別何か大きなきっかけがあった訳ではないと思う。

あったとするなら、マルーシェアの遺品の中から見つけたタリス───今でもイスハークの懐にしまわれている太陽の光に翳せば地図が浮かび上がるタリスを見つけた事が、広い世界への興味となった事だろうか。

もっとも、タリスに描かれた地図の島を探し始めたのはそれからずっと後、気持ちと日常に余裕を持てるようになってからの事だ。

彼女がそのタリスをどこから入手したのかは知れない。

生前の彼女からそのタリスを見せてもらった覚えはなく、海賊となった後のイスハークが調べさせたところそれは西の地の技術ではなくクレイアーク特有の技法だと解った。

マルーシェアが死んだ日と同じような冬の日、イスハークは城を抜け出し夜の森を駆けた。

持つ物は多くはなく、かのタリスとかき集めた金と小さくて金になりそうに貴金属。

そして、従者を一人だけ。

その従者こそ、今も船と拓深を預けて来たガノンである。

ガノンはイスハークの乳母の息子、いわば乳兄弟だ。

本名をテム・アッサム。

イスハークよりも二歳年上で当時はまだ12歳だったガノンは、彼には親兄弟も居たというのにそれよりもイスハークと共に未来の見えない人生を歩むと決断したのだ。

国を捨て、肩書きを捨て、父親どころか母親の存在すらもなかった事とし、過去を知るのは唯一ガノンだけ。

そうして二十年近くを生きてきたし、これからもそうするつもりであった。

だというのに───。

「俺が誰であろうと、お前には関係ねぇ」

今更ぬけぬけと呼びつけられ、躾をし直すなどと言われ、一体誰が素直に従うというのか。

睨みつけるイスハークの怒声が、謁見の間に響きわたる。

それでもランヒスは、高慢に口元を歪めるばかりであったのだった。