蒼穹を往く奏楽・16




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ランヒスの嘲ったかのような表情が、これでもかと癇に触る。

「それで、用件はなんだ。さっさと俺を帰らせろ」

「口の利き方を改めろと言っただろう。・・・だが、今それを言ったところで埒があくとも思わん」

「解ってんなら黙っとけ」

言葉を交わせば交わすほど、苛立ちや反発心ばかりを感じた。

この体内にあの男の血が流れているのかと思えばそれだけでぞっとする。

イスハークの鋭くなる眼孔をランヒスも察したのだろう。

彼は殊更唇をつり上げ鼻で笑って見せた。

「まぁ良い。時間ならばいくらでもある」

「何を言っている」

「お前は、───私の後を継ぎクレイアークの王となれ」

「・・・、・・・何」

「そのために必要な処理はこちらで行う。お前の汚れた過去を消す程度、なんてことはない」

壇上のランヒスをこれほど遠くに感じたのも初めてだ。

耳に入る声は言葉として理解が出来る。

だというのに、それが少しも現実味を持たせてはくれない。

だがこの男が冗談を口にする場面も想像出来ず、ならばこれは本気なのだろう。

本気でイスハークを、クレイアークの王にと言っている。

「ふざけるな!俺が頷くとでも思っているのか!」

ありったけの声を張り上げ、イスハークは壇上へと足を向けた。

何故ランヒスがイスハークを無理やりに此処へ連れてきてまでこのような事を言うのかは知れない。

他にもっと、幼少の頃から王になる為に育てられた王子らが何人も居ただろううに、それをわざわざイスハークを指名する辺り何か大事が起こったのやも解らない。

だが、そんな事はイスハークには関係のない事だ。

この城で暮らした数年間。

母を自害へ至らせるまでに追いやったこの男を、王室を、なかった事になど出来はしない。

王の座など、何の魅力があるというのか。

それどころか嫌悪感ばかりがイスハークの胸を支配し、いっそ吐き気すら感じてしまいそうであった。

「貴様の意思などを問うている訳ではない。これは、命令だ」

「お前っ」

数段の段を掛け上がり、王座へと踏み込む。

手の届く距離まで来ると、イスハークとはまるで似ていない鮮やかな青いランヒスの瞳には、暗い闇しか感じられなかった。

この男は人間の形をしていても人間などではない。

心無い鬼、そのような『物』ではないのだろうか。

指を伸ばし、イスハークはランヒスの襟首へ伸ばす。

「・・・っ」

だが掴みきるよりも早く、イスハークの両腕は左右から拘束された。

顔を向けるまでもない。

金の甲冑に身を包んだ、王の犬。

どこから現れたのか、さすが忠犬は主を守る為に賊よりも俊敏のようだ。

「くそっ、てめぇ・・・」

「口も悪ければ、野蛮で暴力的だ。お前に国を任せるなど、不安でならない」

「誰が王になると言った!ふざけんなつってるだろ!」

一発殴ってやらないと気が済まないし、そうしないとこの男も目を覚まさないのではないか。

しかし拳を握りしめもがいても、拘束された腕はびくりとも動きはしなかった。

長い航海の中で身体を鍛えているつもりのイスハークであったも、同じく日夜トレーニングを欠かさないだろう兵士ら二人掛かりではかなわないという事か。

それでも、無駄な体力を使うと理解しながらも、イスハークはもがかずにはいられない。

だが懸命にもがくイスハークに対し、ランヒスは喉を振るわせ笑った。

「これは命令だとも言ったが?大人しく従え。そうでなければ、傷つくのはお前だけではない」

「何だと・・?」

「お前の船には宝が随分と積まれているようだ。金に銀、宝石にタリス、貴重な書物。それから───珍しい毛色の男」

「っ・・・てめぇ」

どこまで腐った男だ。

ニヤリと歯を向いて笑うランヒスに、イスハークは腹の底から強い衝動を感じた。

船に残してきた多くの宝は己の命と比べれば取るに足らない物だ。

けれど、ただ一つ。

拓深だけは───。

「あいつに手ぇ出しやがったらただじゃおかねぇぞ。この国を潰してやる。外側からでも、内側からでもな!」

もしも拓深に何かあれば、それが誰の指揮下であったとしても許す余地があるとは思えない。

この国など元からどうなろうと知った事ではないが、ランヒスが苦しむのであるならば、今生の全てを掛けてでも国を滅ぼすだろう。

兵士に腕を取られているのを逆手に取り、イスハークは深紅の絨毯の敷かれた床を蹴り上げる。

不意の事に驚いた兵士らはバランスを崩しだが、イスハークのつま先はランヒスの頬をぎりぎり掠めた。

体術も戦法も教えられたわけではない。

ただ経験で培ってきただけ。

イスハークにあるのは、ルールのない勝ちにいく為だけの海賊としての武術。

それが野蛮だそうがなんと言われようと構う物か。

「俺は海賊だ。それ以外はねぇ。解ったらさっさと帰らせろ」

「・・・貴様」

体制を立て直した兵士に腕を掴み直され身動きの取れなイスハークを、蹴られた頬を手のひらで押さえランヒスは睨みつけた。

その奴の眼差しに宿る怒りは、今までで一番生気を感じられたのだった。