蒼穹を往く奏楽・17




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石畳の床が冷たい。

イスハークならば身体を伸ばして横たわる事も不可能だろう狭く仕切られた空間は、三辺を囲う壁も同じ石材で出来ているのでもたれ掛かれば尚更冷たさを感じる。

唯一石材で無い物は残り一辺にはめ込まれた鉄格子の柵のみで、鈍く黒く光るそれは石壁以上に冷たそうで触れる気にもならない。

諦めたため息を吐き出し、イスハークは冷たい石畳みの床に座り同じく冷たい石壁に背を預けた。

此処はアズベール城の地下の牢屋である。

元々イスハークの話しになど耳を傾ける素振りも見せていなかったランヒスだが、彼の頬を蹴り掠めた事が怒りに火を付けたのだろう。

兵士に拘束をされていたイスハークはそのまま此処まで引きずり来られていた。

「クソッ・・・」

あの男の意図が読めない。

望みは解っている。

何の事情があったのか、イスハークにクレイアーク王位を継承させたいらしき事を言っていた。

だがランヒスの態度はどこまでも高圧的で、抵抗するイスハークに対し下手に出るどころかこの仕打ちだ。

我を通し押さえつけるばかりで人が従うとても思っているのだろうか。

それともやはり、王位継承というのは何かのカモフラージュの嘘で、本題は別のどこかにあるのかもしれない。

城へ呼ばれた理由を聞かされた後の方がより一層謎ばかりが膨れ上がり、これ以上考えたところで答えなど出そうにはなかった。

海を渡っていれば様々な話を耳にするがクレイアーク国の危機や異変の噂は聞いた事がなく、しかし、もしも王室内の、それも内々での変事であれば外部に知られていなくとも不思議はない。

幼い頃に国を捨て城を出、海賊にまでなったイスハークを呼び戻してまで国を継がせたい訳。

一体この王室に何が起こっているのだろうか。

別段興味がある訳ではないが、それすらも知らされずにこのような場所に閉じこめられている事は不本意でならない。

「一晩待てば・・・俺が凍死してなかったらの話だがな」

気休めの独り言を呟き、イスハークは瞼を閉ざした。

これみよがしに腰にぶら下げていたカトラスは持って行かれたが、そうなるだろう事ははじめから予測していた。

大臣が船に来た時点でランヒスに会わせられるのだろうと察せられたので、奴に会うならば武器の所持が許される筈がないと考えなくとも解る。

丸腰でなど城に乗り込むものか。

イスハークは革のズボンの上から太股に触れる。

そこには、ベルトで固定をされたナイフが納められていた。

左右の足の他にも、シャツとジャケットの袖に包まれた二の腕にも同じようにナイフが隠されている。

それだけではない。

ズボンのベルトに何気なく付けられた、年季が入り薄汚れた皮袋。

言われなければ気にも止めないだろうその中身に今まで何度助けられた事か。

夜が明け日が昇れば、ガノンは動き出すだろう。

今も船の中で船員を動かし様々な情報を集めている筈だ。

イスハークにしてもただ黙って助けを待つだけのつもりもない。

瞼を閉ざしたまま耳を澄ませ、物音や足音の有無に気を向けた。

人の気配がなくなりさえすればこの鉄格子が開く可能性を探るつもりでいる。

やはりランヒスは育ちの良い、世間の表向きに飾りたてられた部分しか知らない頭でっかちなただの王様だ。

奴が相手にしている実子は、王室の中でぬくぬくと育った王子様ではなく、世界の海に名を轟かせる海賊だという事が頭にないのだろう。

ただ捕まえただけで安心をしているようでは甘過ぎる。

イスハークにしてもガノンにしても、軍隊や何かに捕まる可能性を日々考えながら生活をしているのだ。

この程度で慌ててなるものか。

「拓深・・・どうしているか・・・」

しかし、そうは言ってみてもただ一つ拓深だけは気掛かりだ。

いつも互いに近くに居た。

大半が海の上で、船に乗っていれば拓深は確実にその中に居る。

それでも、大声で叫べば端から端まで声が届く大きさの船でも、拓深の姿が見えなければふと焦る時があったというのに、こんなにも長時間離れたのは初めてではないだろうか。

もしくは、初めて上陸した港で拓深が敵対する海賊に攫われて以来だ。

あれ以降拓深の安全には何よりも気を配って来た。

拓深の居ない場所。

いつ会えるかも明白にはわからない曖昧な時間。

そしてなにより、拓深の安否の不明。

船に居る限り、ガノンやジーノ、他の船員も拓深を守るだろう。

ランヒスにしてもまだ拓深に手は出さない筈だ。

城の地下牢に閉じこめられている己よりも、船に置いてきた恋人が心配なのだと気がついた時、イスハークは思わず苦笑が浮かんだ。

目の届かない場所にいる拓深が心配でならない。

己の命でさえどうとなっても構わないと破天荒に生きてきた。

だからこそ海や港に名が知れ渡ったのだが、今はどうだ。

己が命が大切だとは思わないのは変わらない。

しかし、そんな物とは比べ者にならない程に大切な拓深を守れるのが己だけだと思えば、自身もまた生き抜かなくてはならないと思えた。

「・・・・・拓深」

拓深は、寒いのが嫌だと言っていた。

初めてバリアーカクイーン号に来た時、暖かいから此処に居るのだと言っていた。

だから、拓深を逃さない為に寒さを凌ぐタリスを渡したのだ。

今拓深は船で凍えてはいないだろうか。

凍えてしまえば拓深は消えてなくなってしまうような、そんな気さえしてしまう。

早く帰り、あの頼りの無い身体を抱きしめ、暖めたい。

凍える必要はないのだと身体を使い知らせたい。

「まだ、誰か居るか・・・」

焦る気持ちを抑えながら、イスハークは石壁の向こうへ耳を澄ませ続ける。

───だが、その時。

気を張りつめるイスハークの耳に、此処からは見えない地下牢と廊下を繋ぐ扉が開く音が、小さくだがはっきりと届いたのだった。