蒼穹を往く奏楽・18




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地下牢に足音が反響し、牢の中でイスハークは緊張に身を強ばらせた。

金属がかすれ合う音はしない為鎧を着た兵士ではなさそうで、足音は一人分。

女中か何かかだろうか。

敵意を押し殺しながらもイスハークは二の腕に止めていたナイフを手にし、それを背中に隠した。

コツッと踵が印象的な響きを与える。

それを最後に足音は止まり、そしてその人物は姿を見せた。

「・・・誰だ、お前」

「随分と大きくなられました、クリスフィート様」

しわがれた声が薄暗い地下牢に怪しく響く。

そこに現れたのは、長く白髪交じりの髪がいっそみすぼらしい、イスハークの胸までも身長がないだろう小柄な老婆であった。

一見武装をしているようには感じられないが、長いスカートに何重にも巻かれたストールで顔と指先以外は布に覆われ、その下がどうとなっているかは計り知れない。

老婆だといって油断は出来ないと、イスハークはナイフを握る手に力を込めた。

「誰だと聞いている」

「背のナイフをお収めください。私は非力な婆。ただお話をお聞かせしたく参った次第でございます」

「っ・・・」

老婆の言葉に息を呑む。

何故、老婆に隠し持っているナイフが知れたのか。

タリスのランプがいくつかあるものの、地下牢内は決して明るくはない。

それ以上に、これまで幾度となく修羅場を潜り抜けてきた自信からこのような初歩的なミスをするとは思えず、緊張感は高まるばかりでナイフを卸す気にはなれなかった。

「あなた様が警戒なさるような強者ではありません。私はこの城で易者をしている者です」

「易者・・・だと?」

「はい。もっとも、当代王ランヒス様は占いをまやかしとしか捉えられていない節がございますが」

値踏みをするようにイスハークは老婆を見やった。

言われてみれば、ダラダラと長いストールや髪は港でよく見かける占い師や術師の特徴と同じだ。

身なりなどいくらでも取り繕えるが、しかし城には易者の類が常時数名居るのだと聞いた事がある為、真っ向から老婆が易者であるというのを否定は出来ない。

どちらにせよ、その易者が何の用だというのか。

ランヒスと同じであるというのは気に入らないが、イスハークもまた占いの類は信じないタイプであり、老婆のいう『お話をお聞かせしたい』に興味はなかった。

「その易者が俺になんの用だ?俺の未来でも教えてくれるのか?」

この老婆とて、結局のところ城や王家に使える犬なのだろう。

心底馬鹿にした言葉しか唇に上がらない。

「今日、あなたさまがクレイアークに来られる事は、私には以前より解っておりました」

「・・・」

「それをお伝えした時ランヒス様はお信じくださいませんでしたが、事実あなた様がお越しになられ、幾ばくかは私の占いを信じてくださるようになったのでしょう」

「何が言いたい」

「今この国に、何よりも王室に、大変な厄災が降り掛かっております。王子・姫方は次々と倒れられ、中には亡くなられる方や行方不明になられる方もいらっしゃいます。次の御子をお産みしようにも、ランヒス王のお身体自体がそれを許さなくなっておられます。原因は不明。ついには、これは誰かが仕組んだ悪事ではないかと噂が立ち、より一層王室内は禍々しい気に溢れるようになりました」

「王子らが・・・な。なるほど」

この老婆の言葉をどこまで信用して良いのかは判断出来ないが、事実であると仮定するなら、ランヒスがイスハークに王位を継げと言った理由が納得出来る。

跡継ぎとして育てられそして次の代を担う王子や姫らが倒れ、ランヒス自身も身体に不具合がある。

この現状を改善出来なければクレイアーク王家の血筋は当代で絶たれてしまうだろう。

ランヒスは自身が王家の人間である事を誇りに感じている男だ。

だからこそ他国から嫁いだマルーシェアの子であるイスハークに冷たく当たっていたというのに、今となっては半分でも自身の血が流れているそのイスハークが惜しくなったというのか。

都合が良く、惨めな事だ。

あからさまに嫌な物を見るようにイスハークは老婆を睨みつけながら眉間に皺を寄せた。

「だからなんだ?俺には関係がない」

「私の占いに出ましたのは、この災いを止められるのはクリスフィート様ただお一人。クリスフィート様がこの国にお戻りくだされば、国そして王室も再び繁栄を迎えるでしょう」

「俺には関係がないと言っている。国だろうが王室だろうが、潰れるならさっさと潰れろ」

何故辛い記憶しかないこの国を救わなくてはならないというのか。

国だろうが王室だろうが潰れれば良い、それは心からの本心だ。

背中でナイフを握りながらイスハークは床の上で組む足を組み替えた。

老婆の話を信じるかは別として、従う気は一切ない。

「ランヒス様は必死でございます。当代で王室を潰す訳にはいきません。これ以上の災いを受け入れられないと、王室が救われるならクリスフィート様には懇願してでも王となって頂きたいお気持ちでございます」

「懇願だと?そんな態度だとは思えなかったがな」

高圧的に、威圧的に。

人を人とも思っていないような眼差で、謁見の間で言葉を交わしたランヒスからは、力で押さえつければ誰もが従うとしか考えていないのだろうとひしひしと伝えられた。

懇願の欠片も感じられない。

あのような王であれば、遅かれ早かれ国が亡びる運命なのだ。

鼻で笑うしかないというイスハークに、老婆は深く腰を折った。

「真実でございます。ランヒス王はクリスフィート様に───」

その後、老婆は何と続けたかったのか残念ながら聞く事は出来なかった。

薄暗がりの中、バタリと重い音がする。

「・・・っ」

それが老婆が倒れた音だと知ったと同時に、彼女が元居た場所のすぐ後ろに一人の男を見たのだった。