蒼穹を往く奏楽・2




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船長室に戻り間もなくして降り出した雨は、次第に雨足を強めていた。

空は暗く、雲は重く垂れ込む。

まだ昼間だというのに太陽は姿を消し、代わりに雷雨が轟く。

強い風と激しい雨のせいで海面は荒れくれ、一人では座ってもいられない程に船が揺れる。

それでも、否、だからこそイスハークを含む船員の男たちは船を守ろうと甲板に立っては自然の猛威と戦っている。

しかし、そんな中拓深は船長室から出る事を許されず、イスハークに此処に居るようにときつく言いくるめられていた。

船で一番安全なのは船長室だ。

宝物庫にも置けない貴重な金銀財宝が保管されているのだから、そんな物よりも大切なイスハークの宝である拓深もそこに居ない訳にはいかない。

そのイスハークの言い分は半分はよく解らなかったが、己が下手に手伝っても邪魔にこそなれ何の力にもなれないだろう事だけは解ったので、拓深は彼の言葉に従い大人しく船長室に居る事にしていた。

密室となった部屋で外から聞こえてくるのは壁や天井を打ちつける雨音と、それすらも引き裂く稲妻。

それ以外は甲板に居るだろう男たちの声や物音はもちろん、どんなに耳を澄ませても美しい女性の歌声は聞こえてはこなかった。

彼女は今、ここには居ないのだろう。

海の魔女・セイレーン。

拓深はセイレーンの歌を歌える。

そして、セイレーンの嵐を操れた。

しかしそれはセイレーンの歌が聞こえてきた時だけであり、歌が聞こえなければ歌う事は出来ないし、当然嵐を操る事も出来はしない。

拓深がその歌を聞き、歌う事が出来たのは過去に三回。

一度目は航海中のこの船の上で、二度目は捕らわれた船の中で、三度目は二度目に上陸した港から暫く行った場所にある村の中で。

そこはなんでも随分と長い間雨に恵まれていなかったらしく、拓深が歌いセイレーンの嵐と共に降った雨に村人達に大変感謝をされた。

「セイレーン、今は、助けてくれないんだ・・・」

今も歌が聞こえないか、この嵐を沈める事は出来ないか、雨が強くなって以来拓深がどんなに神経を尖らせ耳を澄ませていても、一向にそのような気配はない。

セイレーンの嵐を操れると言われても、見ず知らずの村人に感謝をされても、所詮はこんなものだ。

大切な人達の助けにならなければ、何の意味も無い。

自然の前では人間など無力で、あらがえないものなのだろう。

「・・・イスハーク、まだかな」

確かに、昼間甲板でイスハークが言っていた通り船長室から出してはもらえていない。

けれど、あの時彼が含みを持たせていたような甘い時間は、僅か過ぎるまでに短い間でしかなかった。

「イスハーク、大丈夫かな」

早く戻って、約束を果たして欲しい。

たった扉一枚を隔てた中と外でしかないというのに、今はとてもイスハークが遠くにいるような錯覚に陥る。

彼が、心配だ。

出てくるなと言われている豪雨の中自然という脅威と闘う彼を思うと胸が苦しくなり、拓深は部屋の隅に蹲ると膝に頭を埋めた。

今、彼はどうしているのだろうか。

まさか負傷をしてはいないだろうか。

万が一海に投げ出されていては───不安は一度起これば収まるところを知らない。

底知れない不安から逃れたくて、拓深は胸に下げられている赤い石のペンダントを握りしめた。

歌えないのなら、嵐を鎮められないのなら、せめて出来る事をしよう。

「イスハーク、どうか・・・・」

一刻も早く嵐が立ち去るよう、イスハークや船員らが無事であるようにと、拓深はただ祈り続けたのだった。