蒼穹を往く奏楽・20




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ぎこちない動作で顔をこちらに向けた老婆からは、まるで生気が感じられなかった。

口先だけで繰り返しているような荒い息は途切れ途切れで、今にも止まってしまいそうだ。

瞳にも光を感じられない暗く淀んだそれで、けれどただ真っ直ぐに老婆はイスハークを見つめた。

「クリス、フィート様・・・・クリス・・・」

老婆の声は蚊の鳴く声が如く弱弱しく、耳を澄まさなければ聞き取る事も難しい。

だがそのような中でも、彼女からは何か強い気のような物だけは感じられた。

「クリスフィート・・・様、あの・・・占いには・・・続きが・・・」

「・・・、続き、だと?」

「あの後に・・・続くのはッ・・・ゲホゲホッ・・・」

老婆が苦しげに咳き込む。

一つ咽る度に命の灯火が弱まるが如く老婆の顔色は蒼白に近づく。

それでも老婆はイスハークを見つめたまま視線を反らそうとはしなかった。

彼女から感じる強い気、それは執念のような物なのだろう。

占いの結果を知らせる為に地下牢までやってきた老婆が、傍若無人ランヒスに切り付けられた。

だが、その老婆が死が近づいても尚必死に伝えようとしている言葉は、最後を看取る者の責任として聞かなくてはならないと、イスハークは鉄格子の前に胡坐を掻いて座った。

それが海賊を稼業として以来何人もの仲間の死を目の前にしてきたイスハークの、死せる者への敬意だ。

「貴方様が・・・アニムの・・・聖地・・・行かれれば・・・この国は亡び・・・再生を・・・」

「・・・そうか」

聞いた事のない名称だ。

それが地名なのか何かの名前なのかも解らないが、それはイスハークにとっては然程重大な事ではない。

占いになど興味はないのだから、ただ老婆の言葉を聞き届ける事にしか意識は向いていなかった。

「そして・・・貴方様の・・・・望みも・・・ッ・・・・」

地下牢の冷え着いた空気が、更に冷たくなる。

それは感覚的なものでしかないのだろうが、その瞬間、イスハークは老婆の死を悟った。

驚いたように見開かれた目はもう二度と光を映す事はなく、その唇も言葉を紡ぐ事は無い。

老婆の亡骸からは、苦しさよりも無念さばかりが伝えられた。

「・・・逝った、か」

片手でナイフを弄び、格子を隔てた向こう側に横たわる老婆を見つめる。

彼女は、此処にさえ来なければ無残に殺される事などなかったのだろう。

けれどそのような事はイスハークには関係がない。

イスハークが老婆を此処へ来させた訳でもなければ、占いの結果を聞きたいと考えていた訳でもなく、今初めて会ったばかりの、そして勝手に此処に来て勝手に死んでいった老婆に同情をするでもない。

だが偶然、老婆を切り付けた男をイスハークもまた快く思っていない為、このまま奴を放っておく気にはならなかっただけだ。

ナイフをしっかりと握り直し、イスハークは立ち上がる。

このまま一晩死体と一緒など御免だ。

鉄格子で出来た牢屋の、同じく鉄製の扉の前に立つと、重厚な錠前を冷ややかに見つめたのだった。


******



拓深が無理矢理にガノンの部屋に連れて来られ数時間。

初めこそこの部屋でイスハークの迎えを待つのだと意気込んでいたが、それも何時間も経過すると決意が薄れていた。

見知らぬ他人の部屋は落ち着かずに気を使う。

退屈を紛らわす物もなければジーノすらやっては来ない。

そうして、ガノン本人に食事をどうするかと聞かれ、もしも部屋を汚してしまってはいけないという思いから拓深はガノンの部屋を出て食堂へ行く事にしたのだった。

船の中は相変わらず閑散としている。

港に出て行った船員らはまだ戻らないのか、各々部屋へ籠っているのかは解らない。

いつもならば賑わっている食堂も、今はガノンとジーノ、そして食事係りの船員が二人居るだけだ。

そういえばイスハークが捉えられる直前、ここで二人で酒を飲んだなと思い出せば少し胸が苦しくなった。

「拓深さん、ご不便をお掛けし申し訳ありません」

「よ。大変だったみてぇじゃねぇか」

作り付けのテーブルとベンチタイプの椅子が並ぶ食堂の中程でガノンとジーノが立っており、その前のテーブルには一人分の食事がセッティングされている。

これが拓深の分なのだろう、食事の並べられた場所に座り拓深は二人を見やった。

「別に、不便じゃないし大変だったのは僕じゃないよ」

「拓深らしいなぁ。安心した」

テーブルを挟んだ向かいにジーノが座る。

それをどう取ったのか、ガノンもベンチへと腰を下ろした。

軽く笑うジーノと、口元に笑みを湛えるガノンと、いつもと変わらない二人の様子がむしろどことなく不自然だ。

船長を失った彼らは、ある意味拓深よりも痛手なのかもしれない。

けれど掛ける言葉が見つからず、拓深はパンへ齧りついた。

ガノンの部屋で何をしていた訳でもないが、緊張し続けた身体は疲れていたのだろう。

パンと暖かいスープが身に染みる。

拓深が食事をするのをガノンとジーノは無言で眺めていたが、暫くすると重く口を開いたのはガノンであった。

「拓深さん、少々お話よろしいでしょうか?」

「・・・話し?」

「はい。今と、お食事の後、どちらがよろしいですか?」

ガノンのいう『お話』は、イスハークの事なのだろう。

ならば、少しの時間も待つ理由はない。

「今が良い」

言葉短く答えた拓深は、食事を続けながらもガノンを上目に見つめたのだった。