蒼穹を往く奏楽・23




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岬が、森が、そして海が、漆黒の闇に包まれる。

鳥と獣の鳴き声が遠くから響き、唯一この闇を照らす月明かりが水面に落とされ美しく揺れた。

神々しい金の輝きにいっそ吸い込まれてしまいそうで、よもやこの闇夜が明ける事などないような気すらしてしまう。

夜とは、こんなにも悲しかっただろうか。

以前、今となってはもうずっと遠い記憶、元の世界に居た時拓深は夜の闇も知らなかった。

夕方日が沈む頃に店に入り、次に出てくるのは朝焼けの頃。

ただ、蛍光灯が煌々と灯る室内で過ごすばかりの夜という時間は、拓深にとって辛いだけの記憶だ。

けれどこの船に来て以来、夜は大抵イスハークと一緒だった。

酒を飲み、肌を抱き合い、時に二人で深夜の甲板にも出た。

幸せだった。

初めて言葉にする以上の幸せという実感を与えてくれたのが、イスハークだった。

「拓深、何やってんだ。少しでも休んどけよ」

甲板で一人静かな夜の海を眺めていた拓深に、背後からジーノが近づいた。

昼間は港に出ていた船員達の多くが船に戻り明日に備えていたが、誰一人酒を飲み騒ぐ気にはなれなかったようで、船内は未だ静まり返っている。

普段ならば甲板のどこそこで酔い転がっている船員も今日はいない。

「うん。でも、なんか寝れなくて」

「一人寝が慣れねぇって?俺が一緒に寝てやろうか?」

「ジーノが?」

「馬鹿、冗談だっての。ンな事したら即、船長に魚の餌にされちまう」

どこまでも冗談だったのだろう、笑いながら言ったジーノは拓深の隣に来ると船の縁に肘を預けた。

腰にカットラスをぶら下げ、頭にはバンダナを巻いている。

出立の準備は、既に整っているようだ。

「もうすぐだな」

「うん」

「ダガー、持っただろうな」

「もちろんだよ。あんまり、自信はないけど・・・」

ジーノに教えて貰ったのは、小型の剣とも大型のナイフとも表せそうな短剣である。

カットラスを扱うには拓深は素人過ぎ、だが身を守る為にはある程度の攻撃力も要るとジーノが選んだのがこれだ。

付け焼き刃ではあるもののジーノの熱心な指導の甲斐あり、何とか正面からの攻撃のガードは出来るようになっていた。

そのダガーはジーノがどこからか持ってきたもので、今は拓深の利き手の腰に鞘ごと刺さっている。

「お前、怖くねぇの?船で待ってたって良いだろうに」

「怖くは、ないよ。・・・怖くないっていうか、よく解らないんだ。まだ刺された事はないから痛みも解らないし。でもなんか、じっとしていられなくて」

「変わったような、変わってないような・・・やっぱり拓深は拓深だな」

隣りで声を上げて笑うジーノを拓深は怪訝に眺めた。

何故今笑わなければならないのか、そもそも言葉の意味も不明だ。

「何それ」

「前のお前だったらよ、何もする前から諦めちまってただろ。それが今はえらくやる気だと思ってたんだ。だけど、結局訳わかんねぇ事言ってやがるし、お前らしいつってんだよ」

褒められているのか貶されているのか。

ただ、自分の中で漠然と感じていた己の変化をジーノも見てくれていたのだとは解り、それはとても嬉しい。

傍らのジーノを見ていた拓深は、空の月を、そして水面に映る月へと視線を移し小さく呟いた。

「ジーノ、ありがとう」

「は?何がだよ」

「ついて来てくれるって」

城に乗り込む事がどれ程危険なのか、当初丸腰で向かうつもりでしていた拓深には解らないが、兵士は沢山居るという。

ならばもしかすると命を落とす結果になるかも知れないというのに、そんな中へ同行してくれるのだ。

誰に頼まれた訳でも命令をされた訳でもなく同行を決めたジーノに、心から感謝をしていると言っておかなければと思っていた。

上手く感情は表せれない。

ボキャブラリーも乏しい自覚がある。

それでもジーノには十分に伝わったのか、拓深から顔を反らすとぶっきらぼうに言った。

「そんな事か。放っておきゃぁお前、危なっかしいからな。副船長に迷惑だ」

「僕、頑張る」

「あぁ頑張ってくれ。精々生き残ってくれねぇと、船長に会せる顔がねぇ。お前が死んでみろ、俺も副船長も船長に惨殺確定だぞ?」

「・・・が、頑張るよ」

兵士らとの戦いで自身の身を死守出来たところで、助けたイスハークに殺されては浮かばれない。

イスハークがそのような事をするのかは別として、何が何でもたどり着いて見せると決意を改めた。

「・・・・そろそろだな」

「もう、か」

「あぁ。薄らと空が紫になってるだろ?」

「・・・そう、かな?」

拓深の目にはまだ辺りは一面の暗闇にしか見えない。

だが、出発が間近に迫っていると知らせるよう、静まり返った夜の空気を破り木の軋む音が聞こえたかと思うと船内からガノンが姿を見せた。

彼もまた、ジーノと同じように装備を整えている。

到底海賊にも、今から出撃するとも思えない上品な装い。

白にシルバーの細ストライプシャツは上までボタンを止め首元にはクロスタイを結び、長袖のジャケットはショート丈のダブル。

そして腰には、細身の剣が刺さっていた。

「拓深さん、ジーノ。準備は良いですか?」

「うん」

「イエッサ」

「では、参りましょうか」

船員の手によりタラップが、静かに降ろされる。

此処を降りれば、いつ襲われるかも解らない。

「・・・イスハーク」

早く会いたい。

今はその一心で、ジーノそしてガノンに続き最後に拓深がタラップへ足を掛ける。

ふと振り返った背後、大きく何処までも広がる海は、水平線の辺りが僅かに紫掛かって見えたのだった。