蒼穹を往く奏楽・27




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影に隠れ拓深の位置からは見えなかったが、井戸の中には梯子が掛けられていた。

煉瓦と同じ赤茶色に塗られたそれは影に隠れていなくとも見え難く、存在を隠しているのだと伝えられる。

「まず私が降ります。次に拓深さんが来てください。最後にジーノ、お願いしますね」

「イエッサ」

「うん。これ、深い?底が見えないけど」

「本物の井戸ほど深くはありませんよ」

井戸の縁に立っていたガノンは易々と井戸の中へ足を入れ梯子を降りて行く。

本物の井戸程深くはないと言われたところで、本物の井戸を、まして深さなど知らない拓深には何のヒントにもならず、結局は先の見えない闇に入るだけだ。

「・・・よし」

のぞき込めば闇。

けれど今は、そこの先にガノンが居る。

躊躇っているうちにガノンの姿すら見えなくなりそうで、拓深は慎重に井戸の縁に登ると後ろ向きで梯子へと足を延ばした。

「気ぃつけろよ。お前が落ちたら副船長も大惨事なんだからな」

「うん。頑張るよ」

「頑張るじゃなくて絶対だ」

口うるさく言いながらも心配をしてくれているのだろうジーノを残し、拓深は一歩一歩と確実に梯子を降りてゆく。

以前の拓深ならば梯子を前にしただけで立ちすくんでいただろうが、今は梯子を降りるのは日常茶飯事だ。

バリアーカクイーン号では戦闘での優位さを優先し三層に別れている甲板への行き来は全て梯子である。

だが、この梯子は船のそれの何倍もの長さがあるだろう。

梯子を降りながら見上げた頭上は丸くぽっかりと空いているが、次第にジーノの姿や森の風景が遠くなる。

そうして前を向けば目の前は煉瓦だが、それも梯子を降りてゆくと暗がりから見えなくなった。

手元すら見えず手探りで梯子を掴んでは降りている状態で、次第に周囲の暗さと空気の冷たさも感じる。

冷たさだけではない。

空気が、薄くなる。

それはゾッとする感覚で、拓深は唇を結び梯子を握り直した。

大丈夫、ガノンを信じていればイスハークに会える。

そう心の中で繰り返すのが精一杯で、上も下も見る気になれなかった。

踏み外せば闇。

それだけではなくガノンにも危害が加わる。

緊張はより一層足下を不安定にさせ、降りてゆく毎に緊張の恐怖は増すかのようだった。

「拓深、まだか?」

「・・・・」

「おい、拓深!」

「・・・え?あ、何?ビックリした」

「ぼうっとすんなよ。先はまだかって聞いてんだよ」

苛立った風に声を張り上げるジーノはため息を漏らす。

だが拓深はぼうっとしていた訳ではなく、むしろ集中をしていたのだ。

けれどジーノからの質問に答えるよりも、反論を口にするよりも先に、それに応じたのはガノンであった。

「・・・、着きました。拓深さん、後四段です」

「あ、うん」

「頑張れよ、拓深」

後四段。

この高さならば、例え落ちたとしてもたかだ知れるだろう。

安堵感からの逸る気持ちを抑え、拓深は残す梯子を降りた。

「・・・ついた」

両足が、地面につく。

棒一本を踏んでいた梯子とは比べものにならない安定感に、拓深は深く息を吐き出した。

地面は水が溜まっているようで足を踏めば小さく水音がする。

この周辺はどうなっているのだろう。

まるで光のない井戸の底では、周辺どころかガノンの姿も今降りてきたばかりの梯子すら見えない。

このまま、手探りで先に進むのだろうか。

ならばもし敵に襲われたとしたらどうするのだろう。

梯子を降りていた時とは違う不安を感じていると、フッと背後が明るくなった。

「・・・え?あ、ガノン」

「暗くて出すのに手間取ってしまい申し訳ありません」

「俺も持ってきてるぞ」

続いて正面も明るくなり、ガノンとジーノの姿が光の中に浮かび上がった。

彼らはそれぞれ、手のひらに光る何か───タリスを持っている。

ガノンの持つタリスは薄らと緑に光り、ジーノの持つタリスは薄らと青く光る。

暗闇の中突如現れた明かりは、明るさと共に暖かささえ与えてくれる錯覚を持てた。

「ジーノも持っていましたか」

「そりゃぁ、いつどこで何があるか解りませんから。海賊の基本っすよ」

軽く言うガノンにジーノは冗談めかえして返す。

まさかこんな暗いところに来るなど考えもしなかったし、ジーノにしても井戸に降りるなど知らなかった筈だというのに。

拓深とジーノのこれまでの経験の差は歴然だ。

「ジーノ凄いね。聞かないでも持ってきたって」

「だから、海賊にとってはあたり前だっての」

「でも、凄いね」

「お前なぁ・・・。お前、俺から離れんなよな!」

何も聞かされていなくても光源を持っていたと、ただ関心しただけだ。

それ以上でもそれ以下でもない、という拓深にジーノは何度か唇を開閉させた後顔を背け、それが何を意味するのか拓深は解らないまま、鋭い口調で言ったジーノは拓深の腕を掴んだのだった。