蒼穹を往く奏楽・30




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その向こうにイスハークが居る。

そう思えばこそ、拓深は身体が上手く動かなくなった。

ただただ気が焦るばかりで、頭と身体が繋がってくれない。

後方には通って来たばかりの森、前方にはガノンとジーノと数えられない人数の兵士。

そしてその向こうには、今は姿も見えないイスハークが居る。

「っ・・・クッ・・・」

「ハッ・・・・」

イスハークが拓深の名を叫んだのが合図となったように、兵士らは一斉に襲いかかって来た。

圧倒的な数の差が、それでもガノンもジーノも森で襲われた時と変わらず、手にした剣を振りかざし兵士らを倒していく。

だというのに拓深は、先ほどと同じようには出来なかった。

兵士らは拓深にも容赦なく剣を振るい、それを拓深は辛うじて交わせはする。

だが、それだけだ。

兵士の腹に潜り込み刺す事も、果敢に挑もうとする姿勢にもなれない。

じりじりと後ずさればジーノやガノンと離れてしまい、姿の見えないイスハークとはより一層離れてしまっているだろう。

少しでもイスハークの傍に行きたい。

早く会いたくて、その為に大人しく船で待つ選択肢を選ばずこうして無理を言ってまでついて来た。

すぐそこでイスハークの声を聞いたのだ。

そこに居ると、解っているというのに。

「イッ・・・イスハーク」

力の限り叫んでも、今度は誰からの返答も返ってはこない。

どこかしこで聞こえてくる剣がぶつかる音が、イスハークの元へ届ける前に拓深の声をかき消している。

「おい!拓深!どこ行くんだ。船長はあっちだろ」

「だ、だって・・・」

イスハークどころかジーノらからも離れてしまう拓深に、彼は兵士を切り付けながら駆け寄ろうとした。

拓深とて離れようとして離れている訳ではない。

ただ、兵士からの攻撃をかわしているうちに後ろへと下がらずを得なくなってしまうだけだ。

焦りが集中力を欠き、殊更攻撃が出来ず、前へ進めない。

悪循環だ。

けれど、解決策など思いつけない今の拓深は、己の身を守るだけで必死だ。

「・・・クッ」

振り返りもせず兵士からの剣をダガーで凌ぎながら逃げていた拓深は、森の入り口にある大木にぶつかり行く手を阻まれた。

足元が、木の太い根に取られて上手く踏み出せない。

それに気を取られた瞬間、兵士が拓深のダガーを弾き飛ばした。

「ハァハァ・・・賊のくせに」

「ぁ・・・・」

その反動は強く、拓深はダガーから手が離れたと同時に足を滑らせその場に尻もちをついた。

背中には木の幹、手をついているのは木の根。

地面にへたり込めば、面前に迫った兵士が迫っていた。

兵士が剣を振りかざし、その刃は太陽の光を受け鋭利な輝きを放つ。

もう、此処までなのだろうか。

此処で、殺されてしまうのだろうか。

殺されるなら、せめて最後に一目イスハークの姿を見たかった。

「ちょこまかと・・・っ」

「っ・・・」

兵士が剣を振り下ろそうとする。

もう駄目だ、どうにもならない。

諦めるしかないと拓深が瞼を閉ざした、その時だ。

「───え?」

どこからともなく、歌声が聞こえた。

美しく澄んだ、けれどどこか切なげな女性の歌声。

剣がぶつかり合う音が急に遠くなり、耳ではなく頭に直接響くように拓深はその歌を聞いた。

この声が何であるかは、良く知っている。

「・・・・・セイレーン」

彼女の存在を察したと同時に拓深は身をひるがえした。

今しがたまでの絶望感はなく、むしろ逆だ。

諦めるのはまだ早い。

ここまで来ておいてイスハークと会わずになどいられるものか。

地面に手をつきながらも大木の前から這い出た拓深は何とか立ち上がり、弾き飛ばされたダガーへと走り寄った。

「っ・・・ハァハァ」

ダガーを拾い、握りしめる。

その間にもセイレーンの歌声は大きくなっていた。

こんなにも強くはっきりと聞こえているというのに、ガノンやジーノ、他の兵士らにも聞こえていないというのが不思議だ。

「・・・何処」

ただ突っ立っていては当然やられてしまう。

セイレーンの歌が聞こえた時己がどうなるのかは、何度かの経験で察しはついた。

出来るだけ兵士らから離れ、安全な場所に向かう方が良いだろう。

彼女は、そして彼女の歌は、この現状で幸となるのか不幸となるのかは解らない。

けれどどちらにせよ、イスハーク達に迷惑を掛ける羽目にはさせたくはなかった。

ただでさせガノンに無理を言いついて来、やっとの思いで城まで到着してイスハークのすぐ近くまで来たのだから、此処でくらいは足手まといになどなりたくはない。

叶うなら、これがイスハーク達の助けになれば良い。

そう考えていると、拓深はふと頭が後ろへ引かれる感覚に襲われ、全身の動きが奪われた。

「・・・・あ」

周囲が、まるでスクリーン越しに見ている映像のように遠くに感じる。

己だけが違う場所に立っている錯覚にすら陥り、そして拓深は、何かに導かれるままに唇を開いた。

「ぁ───、───・・・っ」

「・・・なんだ?」

「なんだ、あれは」

「おい、あいつ・・・」

拓深の歌声に近場にいた兵士らが気がつき、動揺が広がった。

攻撃の手を休める者が出れば、剣がぶつかり合う音も減る。

そして代わりに多くのざわめき、そして少ない歓声が上がった。

「・・・・拓深だ。・・・・セイレーンだ!」

けれど、ガノンやジーノ兵士らの声ももはや拓深には聞こえない。

身体の動きも視界も自由にはならず、拓深はただただ異国の歌を口ずさむしかなかった。

しかし、その中でただ一つ。

スクリーン越しのような遠い風景の中、けれど兵士をかき分けてこちらへやって来るイスハークの姿だけは、やけに鮮明に感じられたのだった。