蒼穹を往く奏楽・32




−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

先頭を走るイスハークは、拓深達がどこから来たのか理解していたようだ。

迷いもなく走る足取りは一度も止まる事はなく、ガノン達を振り返る事もなかった。

「拓深、追っ手はどうだ?」

「もう居ない。遠くにも見えないよ」

「そうか」

森に逃げ込み暫くした頃、ジーノが腰に巻いたスカーフの中に隠していた爆弾を、兵士らに向け投げたのだ。

そんな物を隠し持っていた事すら拓深は知らなかったが、激しい爆発音にイスハークもガノンも驚いた様子はなかった。

これまでも道中や城の中庭で兵士らに囲まれたのに使わなかったのは、使用するタイミングを見計らっていたからだろうか。

その甲斐あってか、爆弾の効果はてきめんだった。

二つ三つと投げた爆弾は、直接兵士を負傷させるのはもちろん、森の木々をなぎ倒し地面を陥没させ、それどころか火の手もあがっていた。

加えて、激しい爆音と硝煙で不意打ちを食らった兵士等は大騒動となっており、一気に兵士らの追跡から逃げる事が出来たのだ。

イスハークに担がれたまま後方を眺めていた拓深の目には、その全てが鮮明に映った。

爆音も、火がはぜる音も、木々がなぎ倒される音も。

兵士の叫び声もすぐ近くにあるようで、これまでの剣をぶつけ合う戦闘とはまるで違う恐怖を感じた。

だが、やらなければやられる。

これはどう考えてもジーノの大手柄だ。

だというのに当のジーノも、それを知っている筈のイスハークやガノンも、特別な興奮は見せていない。

拓深がいくら凄いと思ったところで、海賊からすればこの程度当然なのだろうか。

「見えてきたぞ。・・・昔と変わらんな」

そうしてそれから間もなくして、イスハークは独り言のように呟くと足取りを走るから歩くへと変え、拓深はようやく彼の肩から卸された。

湿った地面の上に立つと、よろけてしまう。

イスハークに運ばれているうちにバランス感覚がずれてしまった気がした。

「悪かった。辛くはなかったか?」

「ううん。大丈夫」

彼の灰色の瞳が、真っ直ぐに拓深をのぞき込む。

たった一日にも満たない間離れていただけだというのに、その眼差しが、とても懐かしい。

拓深がイスハークへと触れようとした時、後方からガノンとジーノがこちらへと駆け寄った。

「イスハーク様、お怪我は・・・」

「ハッ。此処まで来て今更だな。走れる程度には怪我はない」

「お迎えが遅くなり、申し訳ございません」

「そりゃぁ、拓深が一緒なら、お前一人より遅くなるだろう」

「それは・・・」

「だが、礼をいう。よく拓深を守り、そして連れてきてくれた」

拓深がイスハークに触れる前に、彼の手が拓深の髪に触れた。

「イスハーク・・・」

微笑む様は優しく、先ほど戦いの場で剣を振りかざしていた彼と同一だとは思えないほどだ。

ガノンやジーノには迷惑も、面倒も掛けてしまった。

けれど、来て良かったと心から思える。

「来て、ごめん」

「いや。俺も一刻も早く拓深に会いたかったのだ。怖かっただろうに、よく来てくれた」

「ジーノとガノンが守ってくれたから」

ふと、彼らを振り返る。

走り続けた故に荒い息を繰り返し、全身土と血で汚れきっているが、皆顔色も良く大きな怪我をしている様子はない。

イスハークの頬に走る鮮血を、拓深は指先で拭った。

「イスハーク様、カットラスは・・・」

「ランヒスに会った。奴に会う前に取り上げられた」

「・・・そうですか、それでそれを・・・」

「あぁ。ナイフだけでは限度があるからな。ただ借りてきただけだ」

軽い口調でニヤリと笑って言い、イスハークは手にしていた剣を腰のベルトへ突き刺した。

どこかで見覚えのあるデザインだと思っていたそれは、よく見れば兵士が持っていた物と同じだ。

「それにしても、よく、我々の到着地点がおわかりになられましたね。秘密のぬけ口はいくらでもご存じでしょう」

「タリスがお前を示した。それに、いくらぬけ口を知っていても、ここは特別だろ」

イスハークがガノンにニヤリと笑い、目の前にある物へ触れた。

そこにあるもの。

それは、拓深達が城へ進入する為に通って来た地下通路の出口───煉瓦づくりの古びた井戸であった。

城壁の中と外を結ぶ井戸の出口もまた、同じ作りの井戸となっていたのである。

一見、井戸もその周囲も入り口と同じように見えた為、こちら側から出たばかりの拓深はなんとも驚いたものだ。

「覚えておいででしたか」

「当然だ。忘れるものか」

ここは、昔イスハークとガノンが城を抜け出た時に使ったと言っていた。

それは二十年以上前であるらしいのに、ガノンも、イスハークも鮮明に覚えていたという事は、そこにあるのは思い出と、そして絆だろう。

「ぼやぼやもしていられん。急ぐぞ」

「イエッサ」

「イエッサ」

「拓深、ここは梯子の筈だが・・・」

「大丈夫、来る時も出来たから、ちゃんと降りれるよ」

「そうか・・・なら、まずジーノが降りろ。それから俺が降りるから次は拓深だ」

「最後は私ですね。畏まりました」

「早く帰るぞ、拓深」

「・・・うん」

イスハークの手が、拓深の肩を叩く。

その手はとても力強くて、そして優しくも感じられた。

早く。

イスハークと再会出来た今、もう焦る事もないように思えたが、それでも早く帰りたいと考えてしまう。

それは多分、船が、家だからだ。

早く家に帰って、安堵を得たい。

それはとても自然に思えた事で、しかし拓深にとっては新鮮な想いであった。

帰れる家がある。

そしてそこで迎えてくれるだろう船員───家族が居る。

それは、考えた事がないまでに幸せだ。

「よし、と。じゃぁ俺から降ります」

腰に光るタリスを腰のスカーフの中に準備をし、井戸の淵に立ったジーノが梯子を降りてゆく。

此処を潜れば城から脱出出来、森を抜ければ船だ。

無意識のうちにイスハークのシャツの裾を握っていた拓深は、太陽に光を受ける銀色の髪を見上げたのだった。