蒼穹を往く奏楽・33




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来る時はなんとも困難だった道のりが嘘のように、さくさくと帰り道を進む。

イスハークと合流した事で妙に張りつめていた気が緩んだのか、彼が側に居る事が安堵に繋がっているのか。

井戸から繋がる地下通路を通り抜けるのはあっと言う間で、外の森を走る足取りも軽かった。

雨は相変わらず降っている。

だが豪雨と呼ぶには雨足は弱くなり、ぬかるんだ足下にさえ気をつければ問題がない程度だ。

しかし拓深らが通って来た時も既に雨が入り込んでいた井戸は、この雨が続けば地下道に水が溜まり人が歩いて通るのが難しくなるのは間もなくだろう。

たとえ兵士が拓深らに追いついたとしても、井戸で足止めだ。

「拓深、大丈夫か?運んでやるぞ」

「・・・いい。大丈夫、走れる」

拓深のペースに合わせ走るイスハークは随分と余裕があるようで、息一つ乱さず片手を差し伸べた。

前方を走るジーノも、後方のガノンも似たようなものだ。

拓深と彼らの体力や脚力の差は圧倒的なのは考えるまでもない。

自分が皆の足を引っ張っている。

ならば素直にまたイスハークに運ばれた方が良いかもしれないが、けれど城から脱出する際は気がつかなかったイスハークの傷をしっかりと見てしまった拓深は、できる限りの事は自分でしたいと思っていた。

イスハークには複数の切り傷があるようだ。

痛いも苦しいも言いはしないが、怪我の影響は有るはずで、もしかすると服で隠れている部分にはもっと大きな怪我があるかもしれない。

彼に優しくされればされる程、その好意を素直に受け入れられない拓深がいた。

「拓深、苦しいのだろ。無理をするな」

「イスハークも怪我してる。僕は、もう少し頑張る」

「拓深・・・」

今までならば多くをイスハークに従っていた。

その方が楽であるし、彼も納得をするだろう。

それでもそうとしなくなったのは、反発心などではなくむしろイスハークと離れ彼が居なくなる恐怖を知ったからだ。

側にいて欲しいからこそ、自分がしっかりとしなければ。

そう考えるようになった拓深にイスハークは何を感じたのか、併走しながら拓深を眺めていた彼はふとした間を置きニッと唇を歪めて見せた。

「好きにしろ。だが苦しくなったらすぐに俺を頼れ。解ったな」

「うん」

隣のイスハークをチラリとだけ見、拓深は正面に視線を戻す。

頼って良いというのは強い言葉だ。

だからこそ頑張れると、一人でも乗り越えられる気にもなった。

「船長、もう少しです」

拓深らよりも何メートルも先を走っているジーノが振り返りもしないまま叫ぶ。

周りは木々があるばかりの森で、拓深には今どこを走っているのかなど見分けがつかないが、ジーノが言うのだからもう少しなのだろう。

雨の香りの間から、磯の香りが届いた気がした───その時だ。

「っ・・・船長、来ないでください!」

「え・・・?」

「なんだ・・・っ・・・まさか」

「クソッ・・・囲まれています・・・」

「船長」

前方のジーノが、太い木の幹に背を預ける。

来るなという彼の言葉を聞きながらも歩みを止めないイスハークは、ジーノの近くまで行くと同じように木に隠れるようにした。

「拓深、俺から離れるな。俺の指示に従え」

「え・・・あの・・・」

「解ったな」

断言的な口調。

そのイスハークは、もう優しい顔をしていない。

結んだ口元も、鋭い目つきも、海賊船の船長の肩書きに相応しいそれだ。

ほかに答えなど許されない、そんな気がして、拓深はイスハークの側で緊張しながら頷いた。

「わかった、イスハークの言う通りにする」

「解れば良い。俺は何があっても拓深を守る。信じろ」

何があっても、それはどういう意味なのだろう。

今だからこそ、深く考えたくなどない。

息を整えるイスハークの近くへガノンも駆けつけると、彼もまた同じように木に身を隠し声を潜めた。

「イスハーク様、これは・・・」

「待ち伏せられてたようだ。確かに、中庭に駆けつけた兵士だけでは少な過ぎると思っていたところだ」

「軍は・・・イスハーク様をどうなさるおつもりでしょうか」

「さぁな。最初は俺を王に祭り上げたかったみたいだがな。だが、今となってはどうだろうな。国外に逃げられるくらいなら、殺す事も厭わないかもしれない」

「え・・・?」

自嘲気味に笑うイスハークは、けれどその瞳は少しも笑っていない。

彼が王に。

この国の、あの大きな城の王に祭り上げられる

その驚きは大きい。

だがそれ以上に、イスハークが殺されるかもしれないと聞かされた衝撃は何物にも勝る。

イスハークはもう、拓深を見てない。

その視線の先にあるものは姿のまだ見えない敵、それだけのように思えたのだった。