蒼穹を往く奏楽・34




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兵士───王国軍に囲まれた。

その人数はイスハークの場所からでは計り知れなかったが、10や20ではない事は明らかだ。

この先にはバリアーカ・クイーン号がある。

イスハークが必ず戻ると考え、中庭に集まった以外の兵士をこちらに集中させたと考えても過言にはならないだろう。

丸腰で出て行けば蜂の巣。

武器を振りかざしたとしても、大差はない結果になる筈だ。

「くそ・・・」

右も左も、前も後ろも、何処にも行き場などない。

真っ当に考えて、死を覚悟するか白旗を振るのが妥当だろう。

「イスハーク・・・大丈夫?」

「・・・拓深」

己に身を摺り寄せる拓深が、黒曜石の瞳で見つめた。

表情の大きくない拓深の面立ちが今は心配げに揺れている。

もしも自分やガノン・ジーノだけならば諦めていたやもしれない。

けれど今は、拓深が居る。

「あぁ、問題はない。だが拓深にも協力をしてもらう」

「・・・う、うん。僕で出来る事なんてある。あるなら、なんでもする。何?」

現状は前後左右兵士らの手の中だ。

だが、まだ上は───上空はこちらの味方である。

「歌え。セイレーンの歌を、歌ってくれ」

「・・・え?でも、僕が歌おうと思っても・・・」

「あぁ、解っている。歌が聞こえないと歌えないのだろう?ならばどうにか、歌を聞かせてくれと頼めないか?」

「頼むって?」

「セイレーンにだ」

拓深と出会うまで、というよりも拓深の歌声を聴くまで、セイレーンなど伝承の幻だとしか思っていなかった。

故に、何処にセイレーンが居るのかも考えた事もないし、これが本当にセイレーンである確証もない。

だが、未だ降り続ける雨。

それに頼るしか、もう道は残されていない。

イスハークは拓深の背に腕を回すと、華奢なその身体を引き寄せた。

こんなに細く頼りないというのに、己を迎えに来てくれたのだ。

何がなんでも、船に戻らなくては。

拓深さえ───セイレーンさえ力になってくれたなら、後はこの身がどうなろうが船へと走り込むつもりだ。

「やってみては、くれないか?」

近く迫った眼差しに、真摯に語りかける。

拓深のこの黒い瞳が好きだ。

どんな闇をも呑み込んでしまいそうな黒は、いっそ神々しくすら感じられる。

「イスハーク・・・うん。やってみるよ」

「本当か。ありがとう、拓深」

「ちゃんと出来るかは解らないけど。でも僕も、イスハークの助けが出来るなら、嬉しいんだ」

唇を結んだ拓深が、いつになく真摯な面持になるとイスハークから離れ立ち上がる。

そうして小雨パラつく空を、拓深は見上げた。

その頬に、髪に、雨が滴る。

全身ずぶ濡れながらも、今の拓深は異様な存在感を放っていた。

「・・・拓深」

「歌を、聞かせて欲しいんです・・・お願い・・・僕に力を貸して」

拓深の声音は、独り言のような呟き。

雨音が邪魔をして耳を澄ませていなければ聞き漏らしそうなその言葉は、きっとジーノやガノンには届いていない。

そんな事でどこにいるのかも解らないセイレーンに聞こえるのだろうか。

もしもイスハークであれば、否、ガノンらにしても、力の限り叫んでいただろう。

何故と問われても解らないが、神に祈るとはそういう事だからだ。

しかしただ小さく呟き続けるばかりの拓深を見ていると自分たちとの感覚の違いは明白で、彼が違う場所から来たのだと見せつけられる気がした。

拓深の行いを叱咤し己の思うように正そうなどとは思わない。

ひっそりとした呟きであるからこそ、拓深のそれはいっそ神聖に感じられた。

「セイレーンさん。お願い・・・船に、帰りたいんだ。だから、お願・・・っぁ」

「拓深!」

上空を見上げていた拓深の指先が跳ねる。

視界の端に映ったそれにイスハークが気をとられた次の瞬間には、拓深はゆっくりと唇を開いていた。

「あっ・・・・ぁ・・・───、───ッ」

「・・・拓深・・・願いは、通じたのか・・・」

それは、悲しい程に美しい歌声。

胸を締め付けられる切なさを帯びた歌声に導かれるよう、急速に雨脚が早くなった。

拓深の願いが、セイレーンに通じたのだ。

これで道は開けた。

咄嗟に立ち上がったイスハークは、上空を見上げながら雨が口内に入るのも構わずに歌う拓深を軽々と肩に担ぎ上げた。

「拓深、後は任せろ。お前は安心して歌い続けるんだ。ガノン、ジーノ、合図をしたら走れ。船に着く前にタラップをギリギリまで降ろさせろ。飛ぶぞ!」

「イエッサ」

「イエッサ!」

どこか遠い目をしている拓深は、ここではないどこかに意識を飛ばしてしまっているようだ。

だが、恐れる事は無い。

何があっても拓深は守り通すのだと、イスハークはずっと以前から決めている。

「・・・よし・・・行くぞ!」

どんな宝石よりも、己が命よりも大切な世界一の宝。

それを肩に、イスハークは湿った地面を踏み込んだのだった。