蒼穹を往く奏楽・39




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バリアーカ・クイーン号が海を往く。

今は波も穏やかで空は晴れ渡り、海鳥の鳴き声だけが聞こえる。

「イスハーク、ガノンが探してた」

何をするでもなく甲板で水平線を眺めていたイスハークは、不意に背後から掛けた拓深の声に振り返った。

イスハークの元へ小走りで駆け寄る拓深は生成り生地のタンクトップにネイビーの膝丈のズボン。

さり気なく二の腕に施された刺青に日に焼けた肌で、随分と海の男らしくなっている。

「ガノンか?・・・なんの用だ」

「聞いてない。けど、イスハークが船長室に居なかったから」

「そうか。だが放っておけ、此処に居れば直ぐに見つかる」

「でも僕、イスハークを見つけたらガノンが探してたって言っておくって言って・・・」

「だから聞いただろ。お前の役目は果たせている」

イスハークの言い分に不満が残るのか拓深は眉間に皺を寄せたが、それ以上何も言わずイスハークの隣りで船の淵に手を付いた。

クレイアーク国での一件以来、拓深は船の中を動き回るようになっている。

初めこそ何故そのようにするのかイスハークには解らなかったが、船の仕事を手伝い船員としてこの船に乗りたいのだと拓深は考えているようだ。

イスハークとしてはそのような事などせず楽をしていれば良いと思うのだが、しかし働きたいという拓深の意思を尊重してやるのも一つだと今は見守っている。

「イスハークがこんなところに居るの珍しい。だから、ガノンも探すんだよ」

「だが拓深は見つけられただろ?」

「そうだけど。でもそれはたまたま・・・」

「十分だ」

『こんなところ』と言い、拓深は船のへりの一部に積み上げられた木箱を見上げた。

その陰に隠れて船長室らのある船尾楼からでは此処は見えない筈だ。

傍らで背を向ける拓深の髪が風にそよぐ。

それを目にすると、何かに誘われるかのようにイスハークは片腕でその腰を抱き寄せた。

驚いた様子を見せながらも、拓深は拒絶する事無くその腕の中に納まった。

拓深が変わったのは行動だけではない。

まだ豊富だとは言えないながらに、けれど確実に表情がとてもよく出るようになっていた。

瞳を覗きこまなくても感情が伝わるようになり、微笑も時折浮かべている。

言葉数も増え、ジーノら以外の船員とも話をしている姿も目にした。

本音を言えば拓深が己以外に笑みを向ける事に苛立ちを感じもするのだが、だが船の中で一人浮いているのだと言っていた拓深を思い出せば止めさせようとはもう思わない。

この船に拾い上げたばかりの人形のような拓深を一目で気に入った。

だが今は、あの時とはまるで違う生き生きと船の中を歩く拓深をイスハークは愛している。

「イスハーク、次はどこに行くの?前に行ってたザサンヌの港?」

「さぁな」

「なにそれ」

「どこでも良い、という事だ。何せ俺たちは海賊で、自由だ」

「・・・、そっか。うん僕も、イスハークさえ・・・出来たらジーノとガノンと、バリアーカの皆も一緒に居られたら、それでいいや」

「拓深・・・」

『皆』とう拓深の言葉にイスハークは一瞬眉間を寄せたが、すぐにそれも緩めた。

拓深の気持ちを自分一人で独占したいものだが仕方がない。

バリアーカ・クイーン号は家であり、船員は家族だ。

そしてイスハークはその長なのだから、拓深もそれを好んでくれて素直に嬉しかった。

「・・・この事、だったのかもな」

「え?なに?」

「少し昔を思い出しただけだ」

クレイアークを離れる時にランヒスが打ち抜いた自身の幼い頃の肖像画。

それを見て思い出した事がある。

あの頃の自分。

まだ城を出ようとも考えて居なかった頃。

当時より変わらぬ風貌であった『老婆』に、イスハークはその時も謎めいた言葉を継げられていた。

一語一句は思い出せない。

だが確か、『血縁のない家族が集まる時、真の自由が得られる』という主旨の事を言っていた気がする。

それは、正に───。

「あ、イスハーク。ガノンが来てくれた」

「だからなんだ。俺は今拓深と居たい」

「・・・じゃぁ僕もついて行くから、ガノンのとこ行きなよ。仕事しなきゃ」

「拓深に言われたら仕方がないな」

もう母国の苦い過去に捕らわれる事も無くなった。

拓深と船員らを家族と呼び、これを自由だと呼ぶのなら、もしかすると老婆の予言はあながち大嘘でもないのかも知れない。

「・・・・行ってみるか、アニムの聖地へ」

「どうしたの、イスハーク」

「いや、行き先が決まっただけだ───」

空は晴れて遠くに雲が見えるばかり。

海鳥の鳴き声は美しく、その合間にほんの一瞬歌声を聞いた気がした。

拓深にしか聞こえない筈の海の魔女の旋律。

それは無限に広がる海と、そして自由への後押しとなっているように聞こえたのだった。




【完結】