蒼穹を往く奏楽・9




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ガノンのノック音は鳴りやまない。

それに観念したのか、腹を括ったのか、イスハークは拓深の上そしてベッドから降りた。

「早過ぎだ・・・」

「え」

覆いかぶさられていたイスハークが居なくなり視界が明るくなると、拓深もベッドから身体を起こし端に腰掛ける。

早過ぎだという呟きは何を指しているのか拓深には解らない。

けれど、見つめた彼の面もちが至極不機嫌である事だけは解る。

まだガノンから何も聞かされてはいないが、彼にはその理由の察しがついているのだろう。

ドアノブに手を掛けたイスハークは、一瞬の躊躇いを見せながらも一気に引き開けた。

「ガノン、何事だ」

「イスハーク様、お休み中に申し訳ありません」

「今更だ。悪いと思うなら早く用件を言え」

「はい。ご推測通り兵士が押し掛けています。大臣らしき男の姿もあります」

「やはりな。追い返せそうにないのか」

「船員が遠目で兵士に気が付きタラップを閉ざしました。ですが奴らは間もなく船の前まで到着すると思われます。船員らには甲板から退却を促せと、威嚇や攻撃も厭わないと指示をして参りましたが、あちらも武力に出る可能性が高く、そうしますと・・・」

「・・・兵士?」

唇を動かしただけの声にもならない拓深の呟きは、当然のようにイスハークにもガノンにも届かない。

兵士と、ガノンは言った。

それどころか、大臣とも言っていた。

そしてそれをイスハークは微塵も驚いてはいない。

ただいっそ忌々しげに顔をしかめるばかりで、やはりガノンの告げた知らせはイスハークの予測通りだったのだろう。

海賊である以上、イスハークを含む船員全員は犯罪者であり、兵士に押し掛けられても致し方がないと思える。

だが少なくとも、拓深の知る限りでは今までこのような事はなかった。

海上で海賊と、街で盗賊や山賊と軽い衝突をした場面は目撃している。

しかし兵士───国や軍との諍いは話にも聞いたことがない。

加えてイスハークの態度にもいつにない違和感を感じた。

唇を結び、視線を下げている。

まるで答えを決めかねているようなそれが、とても彼らしくないように思えた。

「イスハーク様」

「・・・解った。奴らが武力を行使する素振りを見せたなら此処へ通せ。船員らにはこちらからは手を出すなと言っておけ」

「・・・そのように」

重々しく、イスハークとガノンは言葉を交わす。

このような彼を見るのは初めてだ。

いつもならば豪快に、高らかに指示を飛ばしているイスハークが、今はその面影がない。

幸い感情が表に出にくい拓深がそのような事を考えながらイスハークを眺めていると、ふと彼はベッドに腰掛ける拓深を振り返った。

「それから・・・」

どこか暗く感じられる灰色の瞳で見つめ、イスハークは有無を言わさず手首を掴んだ。

「拓深は暫くガノンの部屋に居ろ。絶対に出てくるな」

「・・・え」

「姿も見られない方が良い。拓深の黒い髪は珍しい色だ」

腕を引かれると、訳も分からないまま立ち上がらされる。

イスハークとガノンの会話を聞いていただけでは状況が掴めず、理解が追いつかない。

何故今まで一度も入った事もないガノンの部屋に居なければならないのか。

その間イスハークも一緒なのか、別の何処かへ行ってしまうのか。

無言で立つ二人の男を交互に見やるしかないでいると、不意に拓深は白い世界に包まれた。

「わ・・・」

「拓深、良いというまで大人しく、荷物のふりをしていろ。ガノン、頼んだぞ」

「畏まりました」

「イスハーク・・・」

波打っていた周囲が落ち着くと、その白い物は大きな布であると解った。

白い大きな布など船長室に有ったかと考えたが、これはベッドのシーツで、イスハークはそれを拓深の頭から被せたのだろう。

だが白い物の正体が何であるかなど然したる問題ではない。

それよりも、イスハークの行動に対する対処が見出せない。

「イスハークは?イスハークも一緒?」

「・・・。いや、俺にはやらなくてはならない事がある。拓深はガノンに担いで行ってもらえ」

「え・・・でも・・・」

「大丈夫だ。お前は俺が守る。時間はあまりない。ガノン」

まだだ。

まだ何も理解も納得もしていない。

けれど、拓深がそれを訴えるよりも早く、頭から掛けられたシーツ越しに何かに触れ、そして身体が宙に浮きあがった。

「わっ・・・」

「拓深さん、どうか暴れないでください。万が一落下をしてはお怪我をしてしまいますし、何よりここにあるのが拓深さんであると見破られてしまっては元も子もありません」

触れたのはガノンの手だったのだろう。

シーツに視界を塞がれ見えはしなかったが、安定した場所に担がれた気がした。

初めから二人は、拓深の意見など聞くつもりはなかったのだ。

仕方がない。

現状で明確に反抗する理由がない以上、考えがあってだろうイスハークに従うべきだ。

拓深は、ガノンに身を預け身動きを止めた。

「わかった」

「拓深さん、ありがとうございます」

「拓深、直ぐだ。直ぐに迎えに行く。ガノン、行け」

「・・・イスッ」

イスハークの声を耳にした途端、ガノンは走り出した。

身体が上下に動き、風を感じる。

シーツを被っていても海の潮の匂いは届く。

向かうのは、この船にあるガノンの部屋。

たったそれだけ。

だというのに、拓深は妙な胸騒ぎを感じずにはいられなかった。

『直ぐに迎えに行く』。

そのイスハークの言葉は、どこかとても遠いもののように思えたのだった。