蒼穹を往く歌声     02



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歩くのも辛い。

かと言ってその場に座り込めば真冬の風に晒されるだけで、顔を赤紫に腫らした拓深は足を引きずりながらも自宅を目指していた。

真っ当なカップルならば避けるだろう裏ぶれたラブホテルと、民家なのか商店なのかも解らない建物と、それからブルーシートとダンボールの住まいが並ぶ界隈に拓深の家と店はある。

「あ・・・っつ・・」

上がらない爪先が小さな段差に引っかかれば前のめりになり、転倒を免れようと踏ん張れば傷ついた下肢部が痛む。

今日の客は特に酷かった。

───拓深は、劣悪な性風俗店で働いている。

部屋に入って来た途端殴り蹴飛ばすのでただの乱暴者かと思えばそうでもなく、嬌声よりも叫喚を好む性質の男であった。

オプション料金を払ったと言い、拓深の意思など伺う素振りも見せないまま敏感な部分に針を突き立てたのだ。

ペニスの裏筋の薄い皮を突き破り針は貫通し、そこにはシルバーカラーのステンレス製のピアスが嵌められる。

吐き気にも似た気分の悪さを感じたけれど、それを伝える事すら出来ないまま直ぐに後孔を犯され、快感には程遠い時間を過ごさせられた。

男の生臭い精子を傷つけられたばかりのペニスに掛けられ、ズキズキと余計に痛みを感じたけれどまだ身体を放しては貰えない。

何度も体内を内側から殴られるような悪夢の時間は、けれど一日の始まりでしかなく、それが今晩一人目の客である。

その後続いた客も、どれもこれも碌なものではなかった。

開けられたばかりのピアスを引っ張るわ、リング状になっているそれと元々付けられていた両乳首の同じくリング状のピアスを短いチェーンで繋ごうとするわ、そのみっともない格好を写真に撮られるわで、そしてそれらにより一層の興奮を得た客たちに激しく求められる始末。

拓深にとってそれがどんな苦痛であれ、店側としてはこの新しい装飾品を「大好評」と捉えたようで、絶対に外すなと言いつけられている。

ピアスを突き刺した一番客を褒め称えはしても、拓深への労いは言葉一つもない。

とはいえ、そんな事は毎度の事だ。

店は拓深を商品だとしか考えていない。

物同然の扱いで、それも長く勤める拓深は磨耗した中古品だとばかり。

ついでに言えば、どんな部類の、今日のような後に残る傷を付けられたプレイであっても、オプション料金が拓深の収入に反映される事はない。

ただ何分何円、と支払われるだけだ。

幼い頃から拓深は幼児趣味の男に身体を売らされていた。

なんて事はない、洋司が金欲しさに息子を売ったのだ。

物心つくかつかないか、という年齢の可愛い男の子はそれは高値がつく。

拓深は───可愛かった。

否、今でも十分に容姿は可愛い部類に入るのだが、いかんせん顔や身体中に傷を纏っているし、そのうえ表情らしい表情を失っている。

殴られても怒らなければ涙も見せない、もちろん笑顔など何年も誰も見ていないがそんな事を気に掛けられもしない。

もしもそれらさえ無ければ、ストレートの黒髪や大きな瞳、男にしてはほっそりとした鼻腔と顎は人目を惹いた事だろう。

年を重ねる毎に「幼子」という付加価値のつかなくなった拓深は、ただ「可愛い」だけでは店や洋司が許さなくなった。

容姿だけならば拓深より見劣りはしても、未経験同然で、純粋そうであったり笑顔が明るい子の方が客受けが良いのだ。

そこで設けられた拓深の付加価値こそが、この過激なプレイである。

初めはただの複数プレイだった気もするが、いつのまにか今のようになっていた。

殴られ鞭で打たれるなど無い客の方が稀、プレイ用の蝋燭を使用されれば感謝もので摂氏400℃のタバコを腕や腹に押し付けられるのも日常茶飯。

ピアスにしても、局部だけで今日のを含め3つ付けられている。

「・・・お腹、すいたな」

今時コンビニも無い地域だ。

タバコ屋、と錆だらけの看板が下がる小さな店だけが拓深にとっての商店である。

ポケットには今日の売り上げの数万円が入っているが、けれどそれには触れず反対側のポケットから小さな布製のケースを取り出し小銭を確認した。

運が良ければ客が食べ物を与えてくれる日もあったが、残念ながらここ暫くは一度も恵んで貰えていない。

今日に関して良かった事といえば、客と客の間に十分眠る事が出来た事くらいだろうか。

拓深の勤める店は法など関係ないとばかりの店舗型で、待合室はなく出勤から上がりまで個室に押し込められるシステムだ。

狭い部屋で安物のマットレスがあるだけ、客が居ない間は暖房設備ねど付けられなかったが、けれど薄い毛布だけは与えて貰っていたのでなんとか凌げた。

少なくとも隙間風は自宅よりもマシだ。

だが、休む時間が長いという事は当然のようにその分収入は少なく、それを果たして洋司は許してくれるだろうか。

頭上の高架橋を始発から何本目かの電車が通り過ぎて行く。

そこからでは線路を見る事も叶わない拓深は、見知った狭い世界以外の何処へも行けないまま家の真下までたどり着いたのだった。