蒼穹を往く歌声     04



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肌を刺すような冷水に沈み空気を奪われたが、それを苦しいと感じる前に拓深は意識を失っていた。





「っハァっ・・ハァっ・・・」

意識を取り戻したのと肺に空気が満たされたのとは、どちらが先であるか解らない。

何もかもが急だったので真っ当な判断など行う隙もなく、気がついた時には拓深は水面から顔を出し整わない呼吸を繰り返していた。

水の中では諦めからか息苦しさも気にならなかったが、いざ空気に触れると息をしようと懸命になっている。

大きく口を開け酸素を求めると、波立つ水が口内に入りしょっぱかった。

「っぁ・・・」

池の水は塩味なのだろうか。

ただでさえ息をするのに精一杯だというのに塩辛い水に喉をやられ苦しく、加えて全身にある傷に塩水が触れとても痛い。

池に飛び込んだ時はそんな事を感じなかったのに、と考えれば、そういえば水面もこんなにも揺れていただろうかと疑問に感じた。

頭からずぶ濡れで閉ざしたままであった瞼を恐る恐る持ち上げる。

目にも塩水が入り痛かったが、それよりも視界に入って来た光景に拓深は信じられない想いになった。

「・・・え」

そこにあったのは何も無い青。

一面に広がる水面と、水平線の向こうにはカラリとした大空。

青以外にあるとすれば、空に漂う雲の白くらいだ。

鬱蒼と生い茂る木々も無ければ、地面もブルーシートも無く、何処をどう考えても店から走って行ける距離にある公園ではなかった。

だが、だからといって此処がどこなのだと聞かれても皆目検討はつかない。

もちろんどうやって此処まで来たのかも解らず、拓深はぼんやりと初めて見る広い世界にただ魅入っていた。

これは死後の世界なのだろうか。

けれど天国にしては苦しいししょっぱいし痛いし、地獄にしてはサンサンと降り注ぐまるで真夏の太陽も空や水面──海原も美し過ぎた。

まるで現[うつつ]のようであるが、空間移動をしたような此処までの経緯からしてとてもそうだとは思えない。

とても不思議だ。

もう一つ不思議な事と言えば、池に飛び込んだ時にはあれ程あっさりと沈んでしまったというのに、今は波間に浮かんでいられる事である。

塩分を含んだ海水だから身体が浮いているのか、肩から下が水に浸かっていても、それより上は揺れる波が襲う程度で沈みはしない。

しかし泳げない拓深はただ漂うしかなかった。

現状の打開策を思いつけないまま、青い世界に見惚れていた。

綺麗だ。

それは生まれてこの方裏ぶれた地域しか知らない拓深にとって、何よりも美しい光景であった。

こんなにも綺麗な場所を見られるのなら、ずっと此処に居ても良いかも知れない───そう考えた時。

後頭部の向こうから、何やら音が聞こえた。

バサバサかカタカタと聞える音だ。

だが振り返りたくても水中で思うように身動きが取れず首を捻るのが精々で、肝心の音の出所までは解らなかった。

声なのか物音なのか、恐ろしい海の生物であればどうするべきか。

視線だけを惑わす拓深がおろおろするばかりでどうする事も出来ずにいると、今までキラキラと輝く青であった世界が暗い闇に包まれていった。

徐々に影は大きく水面を黒に染め、そしてそれに比例するように聞こえていた音も大きくなり、加えて拓深が浮かんでいる波も荒々しいモノへと変化する。

怖いと、本能的に感じた。

今までの体罰などとは比べ物にならない、頭の芯から駆け巡るような恐怖だ。

得も知れぬモノ、というのと動けないから、という二つの要素がそうさせたのだろう。

振り返るにも気が動転してしまったのもあり、水の中で上手く身体を動かせない拓深は迫り来る影と大きくなる音にギュッと目を瞑った。

どれ程そうしていたのか、身を硬くする拓深の耳に届いたのは───男のダミ声である。

「おい、お前、人か?」

「・・・え」

キィキィと小さな音が耳を掠めたかと思うと、拓深の肩にガサガサの大きな手が掛かり強制的に振り返させられた。

「あ・・・」

「おい、やっぱり人だ」

「生きてる、よな?」

そこに在ったのは、木製の安易なボートに乗った男二人、そしてその背後には大きな、とても大きな船らしき物であった。

船らしき物、というのも、あまりに近く真下に近い場所に大きなそれがある為に全貌が見えなかったからだ。

影と音の正体はこれらだったのだと理解する。

こんなにも大きな船が迫り来れば、水面に落とす影が大きいのも道理。

だが、何よりも拓深の目を惹いたのは大きな船よりも、小船に乗る男達だ。

年齢は30代くらいだろうか、働き盛りでいかにも健康そう。

海の男らしく日に焼けた肌と盛り上がった筋肉。

二枚目には程遠いながら、とても男らしいタイプ。

しかしその服装は、男らしい男が着るにはいささかファンタジックな物であった。

あまり知識が広くないと自覚のある拓深には上手く説明出来ないが、わかり易く言えばそれは正に──絵本の中の海賊そのものである。

派手なボーダー柄のタンクトップに7分丈ズボン。

腰にはスカーフが巻かれており、頭にはバンダナ。

髪や目の色もそうで、一人は金髪碧眼、もう一人は髪も瞳も水色だ。

「・・・なに」

彼らは日本人なのだろうか。

日本人にしては骨格を含めた見た目の何もかもが拓深の知っている日本人像とは違ったが、けれどあまりに流暢な日本語が外国人だとも思い難かった。

拓深は見た事が無かったが、洋画の日本語吹き替え版というよりももっと日本語らしく、アニメを見ている感覚に近い。

どちらにせよ、男達の外観と日本語に違和感が否めないという事だ。

「喋った。こいつ生きてる」

「連れて行くか?」

「あぁ、船長に見せる。おいお前、乗れ」

二人の男は、「乗れ」と言いながらも拓深の腕を強く掴むと無理矢理その小船に引き上げた。

とはいえ、乱暴に扱われたとしても、身動きの取れなかった拓深としてはとても有難い。

「妙な格好してやがるぜ。商人か?」

「貴族が船から落っこちたんじゃねぇか?あいつらバカだからな」

船に拓深を上げた男達は、拓深の手を後ろ手に纏めて掴みケラケラと笑った。

彼らが現れ、何が何であるのかより一層解らなくなった。

どうする事も出来ない、波に漂うしか無かった次は男について行くしかない。

けれど、思えば拓深の人生など今までも己の意思や選択など皆無だったと、この状況もいつもと変わらないなと感じたのだった。