蒼穹を往く歌声     06



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灰色の髪の男は、拓深の居る甲板から2m以上は高くなっているでだろうそこから深紅に金糸の飾りが豪奢なコートを風になびかせ優雅に飛び降りた。

トンッと小さな音だけが響き着地すると、その反動を身体に受けていないかのようにすぐさま歩き出した。

小船から無様に落ちた拓深とは大違いだ。

「拓深、お前何処から来た?何故海に漂っていた?」

海の男らしく灰銀の髪の男は酒に焼けた声をしていたが、それは拓深のこれまでの客や父親とも同じだというのに、けれどこの男のそれはみっともなさを感じさせずむしろ耳に心地よかった。

男は革のブーツの足音を鳴らしながら拓深へと近づく。

すると近づけば近づくほど、拓深には男の容姿がとても印象的であると思わずにはいられなかった。

足首まで届くコートをなびかせる男の裸体の胸には、見えている限りでも肩から胸や腹にかけて左側の大部分に波か蔦か何かのようなトライバル模様の刺青が彫られている。

髪は太陽の光を受けキラキラと輝く灰銀色で、襟足や前髪がやや長め。

ほりが深く目鼻立ちがくっきりとしており、顎のラインが男性的。

切れ長の目に瞳は灰色で、意志の強そうな眉が男らしく、薄い唇は微笑すら浮かべている。

輪郭も骨格もしっかりとしているというのに、灰銀の髪の男は綺麗だった。

決して女々しい訳ではなく、これが男としての美しさなのだろう。

「解らない。気がついたら、そこに居た」

「気がついたら、だと?船から落ちて気を失ったのか?」

「違う。・・・池に、飛び込んだら・・」

「・・・なんだと?池に飛び込んだら海に出てきたとでも言うのか?」

真剣に問い返す男に、拓深は黙って頷こうとした。

池に飛び込んだら海に出たと、それ以外に説明のしようがないのだ。

だが、拓深が頷きを見せた途端、拓深の腕を掴むジーノを始め周囲の船員達がワッと沸いたように大声を上げて笑った。

「池に飛び込んだら海に出たんだとよ!」

「池から海に来られる訳ねぇだろ」

「そりゃそうだ」

腹を抱えたような笑い声は拓深を嘲笑っているとありありと伝えたが、それに対して拓深は羞恥心など感じなかった。

この程度何とも感じないというのが一つ。

もう一つは、拓深も船員達と同意見だったからだろう。

池と海が続いている筈がない。

それぐらい、いくら無知を自覚している拓深でも理解は出来る。

だが、だからといってそれ以上此処に居る理由を説明出来ないのも事実で、拓深は顔を上げると灰銀の髪の男を見上げた。

「それは本当に池だったのか?」

「うん。池」

船員達が笑えば笑うほど、先ほどまで口元に称えていたニヤリとした笑みすらも消し、男は拓深をじっと見据えた。

灰色の瞳が真っ直ぐに注がれ、まるで値踏みをするかのように拓深を上から下まで何度も眺める。

まさかこの男だけは拓深の言葉を信じてくれたのだろうか。

沸き起こりかけた淡い期待は、ただ期待で終わってしまった。

「・・・そうか」

拓深を見つめたまま再びニッと唇を吊り上げた男は、拓深がその表情に目を奪われたと同時に無常な言葉を放った。

「こいつは気違いだ。下に閉じ込めておけ」

「イエッサー」

「あっ・・・」

裏返った声のジーノに後ろ手で掴まれていた腕をグイッと強く引かれる。

自分の発言を受け入れて貰えないなどいつもの事、痛めつけられるのも日常であるし、それに抵抗しないのも同じく。

両方の二の腕が肉のない背中を締め付け痛み、拓深は来いとばかりに腕を引っ張るジーノに大人しく従おうとした。

だが数歩歩いても、何故か灰銀の髪の男の灰色の瞳から視線が外せなかった。

これ以上離れては男を見ていられなくなる。

そう感じると、拓深は無意識のうちに足を止め歩行を止めていた。

「おい。来い」

「・・・名前。名前、教えて」

「ンな事、お前には関係ねぇだろ。来い」

今までの人生与えられない物が多すぎて、何かを欲しいや知りたいと感じる事が珍しい拓深にとっては、自分でも説明の出来ない行動だった。

確かに男の名など知ったところで何にもならない。

引きずらん勢いのジーノに、腕や背中だけではなく足も肩も痛くなったけれど、それでも拓深は男に視線を注ぎ続けた。

この程度の痛みが平気だというのは、ある意味父親や客達に感謝をしなければならないかもしれない。

風が吹きなびき、そこへ太陽の光を受け輝く男の髪が、とても綺麗だった。

「教えて」

「・・・。イスハークだ。海賊船・パリアーカ・クイーン船長・イスハーク。捕虜だとしても、てめぇが誰に捕まったか知っておけば諦めも付くだろう」

動かない拓深を鬱陶しく思ったのだろう。

フッと不適に鼻先で笑い灰銀の髪の男・イスハークは、高らかに名を名乗った。

「・・・イスハーク」

異国の言葉の意味は解からないが、その名は男にとても似合っている気がする。

「イスハーク様だ」

「っ・・あ・・・」

拓深の腕をジーノが乱暴に振るったので身体が大きく揺らされる。

来い、と再度腕を引くジーノに、今度こそ拓深は大人しく従ったのだった。




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さすがに後ろ手に掴まれたままでは歩けないだろうと前で両腕を掴み直してくれ、拓深はジーノに下層部の冷え冷えとした一室へ連れて来られた。

窓も家具も無い、横たわるのが精々な狭さだ。

「入れ。逃げようなんて考えんなよ」

拓深の腕を放り投げ、背中を押して突き飛ばす。

よろけてぶつかった木製の壁は冷たかったけれど、コンクリートの無機質な冷たさよりはマシだった。

体勢を立て直し振り振り返ったが、するとその拓深の顔面めがけ何かがぶつけられた。

「っ・・・」

痛くはないが驚いてしまう。

受け止める事も出来ず足元に落ちた物を拾い上げていると、ガチャガチャと音が聞こえ鍵が掛けられたと解かった。

そんな事をされなくても拓深は逃げるつもりなどない。

壁に掛けられたランプだけが狭い部屋の光源の全ての中、手にした布を広げてみるとどうやらそれは毛布のようであった。

「・・・・使って、いいのかな」

良いからジーノはそれを拓深へ投げたのだろう。

乱暴に扱い蹴り飛ばしたりもした彼が何故これを渡してくれたのかは解からないが、拓深はそれをありがたく使わせてもらう事にした。

海水を浴びずぶ濡れだった全身は甲板で太陽の光を浴びた事により随分と乾いていたが、それでも湿った髪やトレーナーが冷たい。

毛布は両手で広げても広げきれない程十分な大きさがあり、拓深は迷った末全裸になると裸体にそれを巻きつけた。

重くなった衣類を壁際に追いやり、部屋の隅に行くと毛布を巻きつけたまま疼く理まり楽な体勢を探る。

その毛布は見た目はぼろいもののとても温かくて、冷たい部屋も風が吹き込まないとあり、これ一枚さえあれば拓深には十分だった。

「あったかい・・・」

いろいろ疲れてしまった。

海を漂っていたのも、訳の解からない状況も、また売られるのだろうという現実も。

どうせならあの時池に沈んで死んでしまえていれば良かったのに、と思わなくもない。

だが、それが叶わなかった今、結局これまでの生活と大差がないならばイスハークを見れて良かったとも感じた。

何処とも解からない地で売られるくらいなら、ジーノの言うようにこの船で『仕事』が出来れば良いなと考えながら、拓深は瞼を閉ざし現実から逃れるかのように眠ってしまったのだった。