蒼穹を往く歌声     08



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毛布に包まりじっと扉を眺め待っていると、数分の内にやって来たのは両手を荷物で塞いだジーノであった。

乱暴に足で扉を蹴り開け、きちんと閉める事も無く持っていた物を拓深の前に置く。

「着替えろ。で、食え」

「・・・え」

ドカリと胡坐を組み言うジーノから、拓深は毛布で包んだ足の先に置かれた物へ視線を移し言葉無くそれを見つめた。

一つは布の塊。

きっと衣類なのだろう、薄い茶系統の物と薄汚れた白い物が乱雑に畳まれている。

そしてもう一つ。

木製の盆に、パンとスープと茶色い液体の注がれたカップが乗せられていた。

スープから湯気こそ立ち上ってはいないが、それが温かい事は漂う香りから伝えられる。

「捕虜つっても、餓死されちゃぁ後処理が面倒だからな。残飯だが、お前程度これで十分だ」

あざ笑った風に言って見せるジーノのセリフなど、拓深の耳には入っては来ない。

盆の上には皿やカップが3つ。

普段の拓深が一食一つのパンを齧っていた事を考えれば、これはなんとも豪華なメニューである。

「ンだ?こんなもん食えねぇってか?」

「・・・違う。ほんとに、これ食べていいの?」

毛布の中から手を出し、拓深はボウル状の碗へ伸ばした。

元は薄い茶色の半透明だったのだろうスープも、拓深の碗に盛られているのは鍋の底を浚ったような野菜カスが浮いた物だ。

「・・・・おいしい」

碗に口を付け一口啜る。

すると途端に身体中が温まり、野菜のカスが浮いているという事は野菜が煮詰められていたという事で、そのスープは優しく深い味わいがした。

温かい食事などいつ振りだろうか。

拓深は長年きつく小さく締め付けられ続けていた緊張が緩和するような気すらした。

スープを一気に飲み干しパンを手にする。

少し固くなったパンも、拓深が一個百円で買っていた物よりもずっと旨い。

「なんだお前。そんなに腹減ってたのか?」

「うん」

「こんなもんでも旨いって言えるんだったら、何処でもやっていけるだろうよ。それともやっぱり、船長の言うようにただの気違いか?」

気違いであるつもりはないし、拓深からすればイスハークやジーノやこの船の船員達の方が妙な格好をした変な人だ。

何度ここが死後の別の世界なのではないかと考えたが、その度に死後の世界にしては痛みや冷たさや、それに温かさもまるでそれまでの現実と変わらな過ぎる。

「気は違ってない、と思う。何処でもって?僕、何処にやられるの?」

「自分で気違いです、って言う奴はいねぇだろ。お前はそうだな、港ででも売られるんじゃねぇか。次の予定地はナジャーヌだからな。あそこはそこそこデカイ街だ。男のお前でも良いってう道楽ジジィが居るかもな」

「売る、って。売られて、何するの?」

「そりゃぁ、お前の場合は身体だろ。SEXだSEX。肉体労働なんて出来ねぇだろうからな。どうした?怖ぇか?死んだ方がマシか?」

またしても喉の奥で笑うジーノに、けれど拓深は平然と首を振った。

甲板でも話しをしていたのを目の前で聞いているので「やっぱりか」というだけだ。

出来ればその「仕事」をイスハークが治めるこの船で行いたかったけれど、この船に居ても売り上げにはならないしむしろ食費やなんやと掛かり船的に特は無い為無理かと直ぐに納得する。

誰とSEXをしても金になる訳ではない。

ならば少しでも金になる相手と寝た方が良いと考えてしまうのは、店で働く傍ら自宅でも父親に性交の相手を強いられていたからだろう。

いくら疲れていると言っても止めてはくれず、余計に殴られるだけ。

もちろんそれが拓深の懐を潤わす事にはならず、ただ働きも良いところなのだ。

「別に、大丈夫。・・・腕、切らない?」

皿二つを空にし、最後のカップを持ち上げると、拓深は思い出したように口にした。

元はと言えば、店の店長らが売れ行きの悪くなった拓深の付加価値として腕を切り落とすなどと言ったところから始まっている。

見知らぬ男達だとしても、拓深を売るならば少しでも高く売る為に腕を切り落とされるのではないか。

そう考えると血の気が引けたが、拓深の表情は無表情なまま大して変化はなかった。

「は?お前何言ってんだ?腕?」

「僕売るのに、腕切り落とさない?」

「切らねぇだろ。ンな話し初めて聞いたぞ。やっぱりお前気違いじゃねぇのか?それに身体売らされるのは大丈夫ってか?売春舐めるなよ、それも男にな。あれはお前が考えてるより───」

「・・・良かった。大丈夫。男の人に身体売るのは・・・ずっとやってたし、上手だねって言ってもらえた事もあるから、ちゃんと出来る、と思う」

実際は「上手だね」の何十倍も「下手」や「ガバガバ」だと罵りの言葉を受けていたのだけれど。

己の仕事に自尊心など何も感じてない筈だったのに、少しでも良く言ってしまうのは何故なのだろうかと考え、理由は知れないまま何故かふとイスハークの顔が脳裏を過ぎった。

「お前、売夫だったのか?ンな身なりじゃぁ高級売夫って訳じゃなさそうだが・・・」

「おい、まだそんな格好をしているのか。俺を待たすな」

ジーノと雑談と呼んでよい会話を交わしながらカップの中身、紅茶のようなウーロン茶のようなそれを飲んでいると、半端に開けられていた扉からイスハークが現れた。

未だ毛布に包まる拓深を見ると、不機嫌そうに眉を寄せる。

「すっすみまんせん。こいつに早く着替えろつったんですが」

「言い訳はいらん。てめぇは出て行け。他の奴らも入れさせるな」

「いっイエッサッ」

イスハークの姿を見るなり飛び上がったジーノは、震える早口で言いそそくさと部屋を後にした。

残された拓深は、カップを手にしたまま頭上のイスハークを見上げる。

ただでさえ長身の彼を、座った体勢から見ようとすると首の後ろが痛くなった。

「拓深、お前さっき言ってた事は本当か?」

「さっき?」

「売女・・違うな、売夫だって話しだ」

「・・・ほんとう、だけど」

それがどうした、と思えど、真っ直ぐに視線を注ぐイスハークの瞳から逃れられない。

吸い込まれるような綺麗な灰色のそこをただ見返していると、彼は一変してニヤリと面持ちを歪めた。

「なるほど、経験有りでその顔なら、確かにうちの船の便所に丁度良いかも知れないな」

「・・・え」

「まずは俺が試してやる」

ブーツのつま先でイスハークは盆を隅へと蹴る。

彼が何を言っているのか理解が追いつかない。

呆然と見上げる拓深に距離を詰めると、イスハークは拓深を床へと押し倒したのだった。