蒼穹を往く歌声     13



−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

この船で生活を始め数日が経った。

穏やかな波間漂う船の甲板、隅に寄せられた酒樽に腰掛け拓深はぼうっと一面の青空を見上げている。

平和だ。

頭上には黒地に白のスカルマークの海賊旗がはためいているというのに、今までの拓深の人生ではありえない程平穏過ぎる日々である。

イスハークが「所有物宣言」した事もあり、拓深は副船長・ガノン以下船員ほぼ全員に慇懃な態度で接せられていた。

もちろん殴られる事もなければ怒鳴られる事もなく、いっそ恭しくすらされるので拓深としてはどのように振舞ってよいのか一向に解らない。

丁寧にされればされる程オロオロとしてしまい会話らしい会話も成り立っていない、というのが現状だ。

その為、威圧的な態度のイスハークと居る方が落ち着けている。

平穏を感じるのは対人関係に対してだけではなく生活そのものもそうで、拓深はいつも清潔な衣類、望む限りの食事を与えて貰っていた。

飢えを感じるなどまずなく、一日三食に加えて欲しい時に欲しいだけの間食を。

その全てが絶品に旨かったが、それもその筈、拓深が与えられているのはイスハークや幹部らと同じ物で、船の上の食事とは思えない程豪華で贅沢なメニューであった。

大きな肉や野菜の塊に恐縮を感じながらも、拓深は有りがたく頂いていた。

だが何よりも拓深に平静を与えたのは、「仕事」をしなくてよくなった、という事だろう。

日永一日、特別何とする事もなく、食事と睡眠を得て唯一一日の終わりにイスハークとのみ性交をするだけ。

それが今の拓深の生活の全てだ。

イスハークとのSEXは何度回数を重ねても初めの日と同じく、いつも己を制御出来ない程の強く甘い快感にみまわれるだけのものであった。

SEXとセットだと思い込んでいた暴力や痛み苦しみもない。

罵られもせずいっそ聞き馴染みのない睦言ばかりを囁かれるので、SEXで羞恥など感じなかった筈の拓深がその羞恥心を煽られていた。

イスハークは拓深にとって初めての事ばかりを仕掛けてくる。

つい今しがたもそうで、イスハークは食事中の拓深の首に赤い石が煌くネックレスを落とし「やる」とだけ言うとどこかへ消えていったのだ。

それをどうしてよいのか例のごとく解らない拓深は、思案の意味も込めてここへ来ては空を見上げていたのである。

「・・・いらない、のかな」

拓深が誰かから何かを与えられる時は大抵、それが相手の不要である場合だ。

物であったり仕事であったり、己が要らない物を拓深へ押し付ける。

そんなプレゼントしか知らないのでこれもイスハークの不用品なのかも知れないと自然に考え浮かんだが、見れば見るほど吸い込まれそうな見事な深紅のそれにどうにもその考えは間違っている気がしていた。

黒い皮ひもの先端に通された、金の枠飾りが嵌められた雫型の真っ赤な石。

ギラギラピカピカと輝くそれはとても綺麗で、不用品か否か、イスハークの意図は解らなかったけれど拓深は単純に嬉しかった。

目の高さに掲げ見つめていた石を何気なく握り締めてみると、宝石の持つ無機質の冷たい印象とは異なり、それは仄かな熱を持っていた。

「・・・暖かい」

これがこの石───タリスの特性なのか、やはり「異世界」は未知の物で溢れているな、と拓深の脳裏を過ぎる。

ここは拓深の居た場所とは違う世界、異なる原理の元成り立っている異世界であると、初めの日にイスハークが結論つけていた。

イスハークに問われたいくつもの質問に拓深が出来うる限り答えてゆくと、俄かに信じられなかったものの他に事の説明のしようがなくなったのである。

その中でも、ここが異世界であると拓深が最も納得したのは、この世界に「電気」がないと言われたからだ。

ただ文明が遅れているだけなのかと思えばそうでもなく、代わりに特殊な「タリス」と呼ばれる物が類似の役割を担っているという。

それは鉱物であり見た目は石のよう、そして様々な力を宿した物があるらしい。

例えば炎よりも熱い熱を持つ物、逆に氷よりも強力な冷却能力がある物、または電気・電池のような動力源となる物まで。

多岐に渡るタリスが存在し、その価値はピンキリ。

イスハーク率いる海賊船も、海賊行為の最たるは貴族の船や海の底に沈んでいる高価値なタリスを得る事だという。

単なる宝石よりも高価な鉱物・タリス。

拓深の拙い常識をいとも容易く覆されるものであった。

「後で、イスハークに聞いてみよ」

異世界なるものの存在が信じ難くとも、拓深はこうしてタリスという現物を突きつけられているのだから納得するのは容易い。

だが聞いた物事から理解しなくてはならないイスハークは、それでも拓深の拙い情報を組み立て、驚きながらも独自で理解に至ってくれた。

イスハークは頭が良く理解力に優れており、会話能力があまり高くない拓深でも1言えば、彼は10解ってくれるかのようだ。

いくら拓深が要領なく話してもイスハークは正しく読み取ってくれたので、そうした結果拓深は元の場所の話しだけではなくそれまでの生活をも全て彼に話していた。

学校に行っていない事、幼い頃から客や父親の相手をさせられていた事、暴力など日常茶飯であった事。

それらを聞いたイスハークが僅かに驚いていたような気がしないでもないが、けれど特には何も言わず受け流していた。

一方、イスハークのように上手く質問も出来なければ頭の回転が良い訳でもない拓深は、目に見える物以上の理解には至っておらず、そしてイスハーク自身についても多くを知らないままであった。