蒼穹を往く歌声     19



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あの晴れ渡った嵐の後、拓深は船長室に連れ込まれたっきり行為に持ち込まれ、そして気がつけば翌日となっていた。

その為、その間船内でどのような動きがあったのか知らず、いつもと同じ調子でイスハークが船長室に居ない間の時間を過ごそうと食堂へ足を踏み入れると、あま
り周囲の動向に敏感ではない拓深ですら、既にそこに居た船員達の妙な行動に気づかずにいられなかった。

拓深がこの船に来て以来、イスハークのお気に入りというだけでジロジロと見られたり、ある事ない事噂を立てられていたとは知っている。

けれど今の船員達は以前のそれとは異なった風で、調理場へ注文を付けようとカウンターに向かっても、料理番の船員すらよそよそしかった。

「おー拓深、ようやく見つけたぞ」

食堂の隅で暖かい飲み物をちびちび飲んでいた拓深の元へ、周囲の妙な雰囲気など蹴散らすような大声を放ちジーノが現れた。

いつもと変わらぬジーノの様子に妙な安堵感を感じる。

ジーノもまたカウンターへ行き緑のビンを片手に下げると、テーブルを挟んで拓深の向かいに腰を降ろした。

「昨日あれから姿見なかったからよ。船長に『ご奉仕』してんのかと思ってたぞ」

ニタニタと笑ったジーノは、からかい口調で言う。

だが拓深にしてみれば、紛う事なき真実故にただ平然と頷くだけだ。

「うん。・・・あ、違うか。されるばっかりで、イスハークはさせてくれないから。お礼は、出来なかった」

高価だという物を貰った礼はしたかった。

けれどイスハークは、彼は拓深に口淫すらするというのに、拓深には何もさせてくれないのだ。

させてくれないならさせてくれないで、もっと過激な行為を求められるなら受け入れる心積もりだがそれもない。

だた拓深が今まで知らなかった部類の、性行為における快感を与えてくるばかりで、すぐに訳が解らなく思うように身体が動かなくなり「お礼」どころではなくな
るのである。

そのうえ、それを詫びれば何故かイスハークの機嫌は悪くなるようで、解らないが故に拓深は口を噤むしかない状態だ。

「は?させてくれなかった、ってか?」

「うん」

「やってたんじゃねぇのか?」

「エッチはしたけど。僕はただされてただけ」

「それで良いんじゃねぇのか?」

「でも、僕が何かしないと、『お礼』にならないよ。けど、僕が何かしようとしたら、イスハークは怒るから」

「何かって何だ?」

「手コキとかフェラとか。後、上に乗ったり」

「そりゃな・・・」

ドンッとアルコールの入ったビンをテーブルに音を立てて置いたジーノは、わざとらしく演技掛かったため息を吐いてみせた。

テーブルに置いたビンを支えにする格好でうな垂れながら首を振るジーノを、拓深は掛ける言葉も見つからずただ眺めるしかない。

「そりゃな。お前の事だ、どーせ船長の前でも、仕事だとか礼だからだとか言ってんだろ?」

「うん」

明確にいつ言ったかなど覚えていないが、きっと口にしている。

今までの客には「俺は客だ」「仕事なんだからちゃんとやれ」と言われていたので、そういった部類の言葉を行為中に口にしてはいけないという認識が拓深にはま
るでなかった。

それが何だとジーノを見れば、彼はまたもやため息を吐き出した。

「SEX中にンな事言われたら萎えるつーの」

「・・・。でもイスハークは萎えてなかったよ。立ってた」

「バカ。ちんぽの話しじゃなくって、心だ、心」

「こころ?」

「男のハートは繊細なんだぞ?拓深、お前も男のくせに解んねーのか?自分のものだって言ってるヤツに仕事だとか連呼されちゃぁキツイだろ」

「キツイ?」

思えば、以前店に勤めていた時は稼いだ金は根こそぎ父親に奪われ食事すらままならなかったので忘れていたが、一応性行為に対する報酬を貰っていた。

けれど今は暖かい寝床と旨い食事の代わりに金銭は受け取っていない。

それに気づいたからといって特別欲しいとは全く感じないが、つまり仕事だと考えるのもおこがましいという事か。

「自分の物だから、エッチするのも当たり前に思えってこと?」

「あのな、なんでそーなんだよ。たまに、いや頻繁にだが拓深の頭ン中がわかんねぇようになる」

「じゃぁ、なに?」

「まずな、船長とヤル事を『仕事』なんて言うな、って事だ。思ってても言うな。そんで、『せんちょーのおおきーのさわりたぁい』とか言やぁ、手コキだろうが
なんだろうがさせてくれるだろうよ」

気味悪く裏声を使い身をくねらせてみせるジーノを、拓深はじっと真摯な眼差しで見つめた。

それにしても不気味で、あまり見ていたい姿ではないのだが。

「でも、イスハークは演技もするなって言った」

「演技じゃねぇだろ。理由はなんであれ、拓深が船長にしてやりてぇって思ってんのは本音なんだからよ、ただ言い方変えるだけだ」

「そんなもん?」

「そんなもんだ。男ってやつは単純だからな」

「イスハークも?」

「あぁ。惚れた女に入れ込んでる時は年も地位もなんも関係ねぇ、ってのが死んだジィちゃんの口癖だ」

言い終えると、ジーノは勢い良くシェリー酒を煽ってみせた。

ジーノの言葉は半信半疑だ。

けれど、イスハーク自体今までの拓深の客とまるで違うのだから、こちらも同じではいけないのではないかと思えた。

だが、頷きかけた拓深は下げた顎のまま首を傾げた。

ジーノは何か引っかかる事を言っていた気がする。

「・・・。ジーノ、イスハークが惚れてるって誰?」

「はぁ?お前に決まってるだろ」

「・・・・。え」

「え?って。まさか気づいてなかたのか?」

気づくも何も、言われた今もまったくしっくりと来ない。

「ないよ、そんなの」

「ねぇわけねぇだろ。嘘だと思うならガノン様にでも聞け!拓深、いい加減にしねぇと怒るぞ!」

何故か怒気を荒げるジーノに、拓深は上目に肩を寄せた。

ここに来て以来初めて怒鳴られた。

それも、よく解らない理由で。

一層重いため息を吐き出し、ジーノはやれやれとばかりに首を振ると、哀れみにも思える眼差しを拓深へと向ける。

「こりゃぁ船長も苦労するわな。俺はてっきり、わかってて拓深が「仕事」やなんだと言ってると思ってたんだが」

「知らなかったし、まだよくわからないよ」

「もう言うな。俺が昏々と説教してやりてぇとこだが、ンな事してんのが船長にばれちゃぁ俺が怒られる」

「・・うん」

訪れた沈黙は、いつにない重苦しさだ。

拓深が手にしているカップの中の飲み物もぬるいを通り越し冷たくなった頃、一旦席を立ったジーノが新しいシェリー酒のビンを二本手に戻ってくると一本を拓深
へ差し出した。

「それより、あのセイレーンの嵐の日の何があったんだ?」

「そうだ。皆なんでいつもよりその、僕をみてるの?」

ビンを差し出すジーノと、受け取った拓深の声が微妙にずれながら重なり合う。

それにハッとし一瞬互いに視線を交じ合わせたが、何かを解った風なジーノは一人ニヤリと笑った。

「そりゃぁ、皆あの日の事が気になるからさ」

ジーノが言うには、あの時拓深が雨に向かい歌っていた事は船員の多くが目撃しているという。

それが何であるのか、拓深が元居た場所での風習か何かかと思いただ奇妙に感じていたのだが、そこへイスハークが拓深の行動そして異世界から来たのではという
憶測に緘口令を引いたので、皆の好奇心は疑問と共に膨らんでいるらしい。

「緘口令・・・」

船外はもちろん船内でも話題に上げる事を禁じたというセイレーンの嵐での一幕。

ジーノは船長命令を無視して、今ここに居るという事になる。

けれど拓深はそれを悪い風には思えず、むしろやはり特別な男だなとイスハークに感じるのとは別の意味合いで再認識したのだった。