蒼穹を往く歌声     31



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薄暗い、ランプだけが頼りの小部屋に拓深は放り込まれた。

窓は無く、あるのは粗末な造りのベッドだけで、他には棚もテーブルも何もない。

船の下層に当たるらしいここは、きっと胸に下げた真紅のタリスがなければとても寒かっただろう。

とはいえ、タリスは暖かさで包んでくれるだけであり全ての温度を無にする訳ではなく、寒さはともかく床や壁の氷のような冷たさはそれを身に着けた拓深をも襲った。

だがこの部屋に椅子の類などなくベッドが一つあるだけで、そこはもう使用されてしまっているとあれば床以外他に身体を休める場所はなく、拓深は仕方が無いと床に座ると壁に背を預け蹲った。

ここの部屋に入れられたのは拓深だけではない。

見張りの役割もあり、酒場から拓深を連れ出したあの男も一緒であった。

ベッドに一人腰を下ろし靴を履いたまま片足をそこへ掛けた男は、床で膝を抱く拓深を見下ろし悦に入った口調を開いた。

「泣きも喚きもしねぇんだな。それとも、自分の立場を理解して潔く諦めたのか?」

ゲラゲラと笑う男はいかにも愉快げだ。

どうやらこの男はバリアーカ・クイーン号からこの船に乗り換えたいらしく、その懇願の為にバリアーカから持ち出した貴重なモノを───拓深をこの船の船長へ差し出すつもりらしい。

船に乗り込む前から此処へ入れられるまでの男とこの船の船員達との会話からの憶測である。

自分が物のように扱われるのは構わない。

構わない、と言えば語弊はあるが、この世界に来るまでの感情や感覚を思い出してしまった拓深にとっては受け入れるに値する事柄であった。

だが、己が一体なんの役に立つのか、この船の船長に差し出して喜ばれるだけの価値があるのかについては疑問だ。

どうしたものかと考えていると、その内心を読み取ったのかたまたまなのか、男の方から拓深の疑問を解明してくれた。

「なんたってイスハークがてめぇの手元に置いておく程の宝だからな。船一個や二個なんかの価値じゃねぇ」

「・・・宝?」

「あ?あぁ、そうだ。お前はイスハークの宝だ」

自信有りげに言い切る男に、拓深は顔を上げ彼を見つめながら首を傾げた。

自分はイスハークの宝なのか。

確かにイスハークは「可愛い」や「愛している」や、今まで拓深が閨の中でしか聞かされた事の無かった甘い言葉を昼夜問わず囁いてくれる。

その中に「宝だ」という意味合いのモノも含まれていた気はする。

だがそんな睦言のような言葉を前面的に信じられる拓深ではないし、イスハークにしても何処まで本気か解らない。

そして、例えそれが本気であったとしても、彼の言う「宝」は決して「金銀財宝」という意味ではないのだ。

いくらイスハークに大切にしてもらっていたからとして拓深に船が買える価値が有る訳ではない、と首を傾げるばかりであった拓深は、ふと胸元で光るモノが目に入り一つの可能性を思い浮かべた。

金細工の施された深紅のタリス。

以前ジーノがこれを「船が買える価値」と言っていた気がする。

この男が言っているのもこのタリスの事かも知れない、と思えば拓深はランプの明かりを受け光を返すそれを男へ示した。

「宝って、コレの事?」

「は?・・・俺をからかってんのか?ンなチンケなモンでジッド様がお喜びになる訳ねぇだろ」

ジット、とは聞き覚えのない名だが、様と敬称をつける辺りから考えるにこの船の船長だろう。

だがそんな事はどうでもよく、拓深はその前の言葉を聞き逃せなかった。

「ちんけ?」

「そうだ。そんなもんじゃぁせいぜい、小型の帆船一隻が買える程度だ。俺が言ってんのはお前だ。お前そのものだ」

「・・・僕?」

「あぁ、お前の───嵐を操れる力だ」

「・・・え」

手持ち無沙汰に指先で弄んでいたタリスを、拓深は胸の上に落とす。

呆然と男を見つめるばかりの拓深に気づいていないのか、奴は片手を掲げながら語って見せた。

「海の男にとっちゃぁ天候は命に関わる大事だ。それをお前、嵐を蹴散らせるとなりゃぁ海を治めたも同然だ」

「・・・。そんな、僕出来ないよ」

男はあたかも素晴らしいと言わんばかりであったが、実際拓深が嵐を追い払えたのはあの時一度きりである。

次に嵐が来た時にまたあの歌声が聞こえるか、例え聞こえたとしても歌い返せるのか、そもそも拓深が歌った事により嵐が消えたの事自体がたまたまであったのかも知れない。

それをそんなにも期待と価値を掛けられても困る。

否定的に首を振る拓深に、けれど男は機嫌を損ねた風に口調を尖らせた。

「嘘吐いてんじゃねぇぞ。だったら何故イスハークがお前を手元に置いている?あんなにも毎日ベッタリだ。船員と話すな?一人で出歩くな?そりゃぁ、折角の嵐を操れる力を余所で使われたくねぇからだろ」

「え・・・イスハークは・・、だから僕と居るの?」

「そりゃそうだろ。こんなにも貴重なモンもねぇ。そりゃぁ大切にもするわな。そのうえちんぽの面倒も見てくれるとありゃ上等過ぎる」

ゲラゲラと下品に笑う男の声が、とても遠くに聞こえる。

あの嵐の日からの出来事が、走馬燈のように拓深の頭を走り抜けた。

このタリスをくれたのも、抱きしめてくれたのも、大切だと愛していると言ってくれたのも、全て自分を手元に置く為───有るのか無いのかも解らない嵐を操る力を手にしたいからだったというのだろうか。

だが、そうかもしれないと考えれば、色々と納得が出来た。

自分などが本当に愛して貰える筈が無い。

細々と考える事が出来ず、ただ拓深は呆然とした。

結局、何処へ行ったとしても、相手が誰だったとしても、自分は物の扱いをされるしかないのだろう。

けれど、父親や客やこの男やジッドという船長にならば諦めがつくというのに、それがイスハークであると思えば胸が苦しくなった。

イスハークが好きだから。

彼もまた愛していると言ってくれた言葉を、少しづつ信じられるようになっていた最中であるから。

どうしようもない程、胸が苦しいのだ。

「おいおい、泣いてんのか?女みてぇなツラしてるとは思ってたが、中身も女みてぇなのか?」

「泣いてなんて・・・」

いない、そう続けようとした拓深は、指で触れるよりも先に頬に水分を感じた。

「・・え」

目元に指をやると、そこはこれでもかと涙で満たされている。

笑顔と共に涙も遠い昔に忘れてきたと思っていたというのに。

動揺を隠せない拓深は慌てて袖口で涙を拭ったけれど、それはなかなか止まってはくれなかったのだった。