蒼穹を往く歌声     34



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まるでスクリーン越しに映像を見ているようだ。

この板張りの小部屋を粗末なベッドの上から眺めながらけれど身体だけはどこか遠くに行ってしまったような不思議な気分で、思考も迅速には動いてはくれず、ただ唇だけが動く。

時間の感覚も無く、拓深は陶酔状態のように歌い続けている。

清らかなその歌声は、この国の言葉ではない。

だが、だからと言ってどこの言葉であるのか、拓深も頭上に居るジッドも解りはしなかった。

「───、」

「ちょ、調子に乗ってんじゃねぇぞ」

未知の言葉で歌い続ける拓深を、ジッドは怒号を上げながらその身体を揺する。

奇妙な物を前に強がりの中に確実な怯えを伺わせ、ジッドの手つきは非常に乱暴であったがそれでも拓深の歌声は止まず、頬を何度か打たれたがその衝撃すら問題にならないとばかりに、拓深はぶれる事のない歌声を奏でた。

そうする事も余計にジッドの恐怖と怒りを買っていたが、拓深はそんな事を知る由もない。

どれ程そうしていたのか、小さく粗末な小部屋に似つかわしくない澄み渡ったその歌声は、けれど何の前触れもなく───唐突に止んだ。

「・・・っ」

歌が───曲が終わった訳ではない。

誰の耳で聞いても不自然なタイミングで歌は途切れ、だが当の拓深はそれすらも解っていないようで、唇を半開きのままボウっとしていた。

今まで自分が何をしていたのか良くは解らない。

ただ導かれるがままに歌っていただけで、しかもその歌にしても歌っているという自覚はあまりなかった。

だがそんな中、拓深は歌を止めた理由だけははっきりと理解していた。

急に、胸に下がる真紅のタリスが熱を持ったのだ。

普段このタリスにはそれ自体に熱がある訳ではない。

だというのに、その一瞬、燃えるように熱くなり拓深は意識を呼び戻されたのであった。

「・・・何・・ぁ」

何が何だか解らない。

何から思案して良いのかも解らない。

ただ考えようと思いながらも結局はボウっとするしかない拓深は、けれど今目の前の状況にだけは瞬時に理解する事が出来た。

「やっと止めやがったか、餓鬼」

唸るような声で憤怒の形相のジッドが、拓深を組み敷いたまま拳を振り上げていた。

殴られる。

暴力に慣れてはいても痛みは当然の事ながら感じるので、出来るならば拳で殴られるなど勘弁して欲しい。

けれどジッドに馬乗りになられ肩を奴の肉厚な手で押さえつけられている拓深は、逃げたくとも身動き一つまともに取れはしなかった。

「イヤっ───」

痛いのは、怖いのだ。

拓深は襲い来る恐怖心から無意識の内に目を瞑り肩を竦めた。

閉ざされた視界が漆黒の闇となる───その瞬間、ジッドと二人きりの小部屋に突然轟音が鳴り響いた。

「なんだ!?」

「・・・ぇ」

反射的に双方の視線が音をした方、小部屋唯一の出入り口へ向けられる。

ランプだけが頼りの薄暗い室内それでもはっきりと解るのは、その出入り口の扉が内側へ倒されている事とそしてもう一つ、扉を壊し蹴り倒したのだろう張本人の姿だ。

「ジッド、俺のモノを返せ」

淀んだ空気の中響く、バリトンの美声。

聞きなれた、大好きな声。

そして、見慣れない怒りが前面に現れた面持ち。

シルバーの髪を靡かせ───イスハークはジッドへ手にしていた剣──カトラスを振りかざした。

「まっ待て、コレはもう、俺のモンだ!俺が取引をしたんだ!」

悲痛に叫ぶジッド。

だが、イスハークはそんな物に耳を貸す事なく、ジッドが拓深を人質になどと考える間も与えず、奴の懐に入り込むと下からカトラスで切り上げた。

「っぐ・・ぁぁぁあ」

くぐもったジッドの叫び声と共に、腹から肩の肉が裂かれ血しぶきが舞う。

一撃か、とも思われたが、けれどジッドもまた腐っても海賊であったようだ。

ベッドへ横たわったままの拓深からは見えなかったが、ギラリと瞳に凶悪な光を宿したジッドは苦痛に荒い息を吐きながらも腰から小型ナイフを取り出した。

拓深の上から退き、ジッドはジリジリとイスハークと距離を図る。

「イスハーク・・・てめぇの事は昔から大っ嫌いだったんだ」

「偶然だな、俺もだ。だが今の俺は毛嫌いだけではなく、憎しみも宿しているっ」

最後の音は風となり聞こえなかった。

素早くイスハークの振るうカトラスを、ジッドのナイフが何度か受け止め甲高い金属音が室内へ響く。

「っ・・・クッソ・・・」

だがそれも数える程度で、すぐに金属音はジッドの呻きへと変化した。

一度目に負った傷が大き過ぎ、更にイスハークの動きについていけなかったのが要因だろう。

「安心しろ、すぐには殺しはしない。お前は嬲り殺してやる」

「グッぁあぁぁ・・」

グッサりと肉を切る音と苦痛の声が重なり、イスハークがジッドの何処かを切りつけたのだと解る。

殺しはしない、と言っていたが弱々しくなるジッドの呻きから、相当の重症を負わされているのだろうとは何となく察せられたのだった。