蒼穹を往く歌声     38



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威勢の良い声がどこそこから聞こえる。

忙しく働く船員達の邪魔にならないよう船長室の近くでじっとしていた拓深は、そろそろ良いかと下層の甲板へ降りていった。

ジッドの船から連れて帰られた拓深がイスハークに愛され、次に目覚めたのは小一時間前、バリアーカ・クイーン号の出航直前だ。

時間や状況を掴めず、ただ甲板の上でボンヤリとしていた拓深を見つけ一番に飛んできたのはジーノであった。

出航前の最も忙しい時であるにも関わらず仕事を投げ出しやってきたジーノは、拓深の近くまで来ると力の限りと言わんばかりの勢いで怒鳴りつけた。

乱暴で下品な言葉で、何故一人でサーンなどについて行ったのか、何故自分や近くの他の船員に相談しなかったのか、そもそもイスハークの事を理解していれば怪しいと思えた筈だ、と散々に怒られたのである。

最後の方にはただ罵りの言葉を繰り返すだけのジーノからは、けれど彼が如何に心配をしてくれたのかが伝えられた。

一通り聞き終えた拓深は素直に謝り、今後は気をつけると約束をした。

ジッドの船に向かう最中拓深自身も「何かがおかしい」と気づいたのだ。

それが随分と遅く意味のない事態になってしまったのだが、あの時、ジーノが一緒であれば安心だと思い一度酒場に戻ろうとしていたのだと、僅かな弁明の意味を込めて拓深は口にすると、効果は覿面したのかジーノは急に叱責するのを止め顔を背けてしまった。

そうこうしている内に、痺れを切らした別の船員に怒り交じりの大声で名を呼ばれたジーノは、歯切れの悪さを残しながらも仕事へ戻っていったのである。

一人になった拓深はイスハークの姿を見かける事もなく、邪魔にならないようにだけ気をつけ青空の下じっとしていたのだが、無事出航も終え船内が一段落したのを見計らい、船首の方へ行こうとしていたのだ。

梯子を二回降りる。

風を受け船は進み、頭上には漆黒の海賊旗が靡く。

船員たちの視線を感じながらも声は掛けられる事無く、お気に入りとなった船首近くの樽に腰を降ろすといくらとしないうちに背中へ熱を感じた。

「拓深、何をしている」

「ぁ、イスハーク。船はもういいの?」

「あぁ。後は航海士と操舵手の仕事だ」

酒に掠れた耳に心地よいイスハークの声音。

潮の匂いの合間に、彼の香りを感じた。

「そっか。そういえば、次は何処行くの?遠く?」

「ここだ」

抱きしめられていたイスハークの腕が片方離れたかと思うと、彼は拓深にポケットから取り出した物を示して見せた。

濁った緑色の、宝石とも呼べないだろう地味な石。

だがその周囲には繊細な金細工のフレームがはめ込まれ、その先端にはチェーンもつけられている事から、それは何らかのタリスではないだろうかと思えた。

けれど一見してただの濁った緑色でしかないそれが次の目的地と何の関係があるのか、いぶかしんで見せる拓深にイスハークはそのタリスを頭上へと───太陽へと掲げて見せた。

「・・・あ」

「見えたか?」

「うん」

今まで濁っていたのが嘘のように。

そのタリスは太陽の光に翳されると、まるでステンドグラスのようなスケルトンカラーの鮮やかなグリーンへと姿を変えていた。

だが、驚いたのはそれだけではない。

透けた美しいタリス、その中に、地図が描かれていたのである。

子供の落書きのようなタッチっで描かれた海と島々、そして一つの「×印」。

「・・・ここ、何処?」

「さぁな」

「解らないの?なら行けないよ」

「あぁ。だが探してるんだ。いつか、必ず行く」

「イスハークの夢?」

「夢?そうだな、そんなところだ」

イスハークが緑のタリスを手のひらに握りこむと、遮る物のなくなった太陽は鋭く目に刺さり、拓深は逃げるよう顔を背けた。

「僕も、行ってみたいな」

「もちろん一緒だ。この場所にたどり着く時は、いや、これからは何処へ行くにも俺の隣には必ず拓深が共に居る」

ふと、振り返る。

そこには、銀の髪を風に靡かせたイスハークが何かを企んでいるかのような笑みを浮かべていた。

その笑みにあまりに惹かれて。

拓深は腕を伸ばし彼の手を指先で握りこむと、ぎこちのなく小さく微笑んだ。

「うん。僕も、そうしたい」

遠い過去に思えるつい最近。

輪廻転生を願った時があった。

その時は、もしも生まれ変われるのならばほんの少しだけ遠くを目指してみたいと考えていた気がする。

けれど、今はどこまでも行く事が出来るのだ。

あの二色の青が混じりあう空と海の向こう、見知らぬ国、最愛の彼が目指す世界。

「・・・ぁ」

イスハークから海へと視線を戻りかけた拓深は、波の音と風の音を縫うように、一節の歌を聞いた。

美しい女性の歌声。

それは異国の響きであったが、どこか祝福の歌に感じられた。

イスハークの夢があの地図の場所を探す事なら、拓深の夢はこの歌声と己がこの世界へ飛ばされた理由を知る事。

いつか貴女に会いたいと思う。

───ありがとう

返す歌を知らない拓深はイスハークの手を握り締めると、遠くの空を見上げ心の中で呟いたのだった。





【完結】









++あとがき++