ヤクザものシリーズ・お礼用SS
(会議室に残されて)



遠藤の退室した矢友ビルの会議室で、身体を強張らせ椅子に身を預ける弘樹を千原は見下ろしていた。

彼が遠藤を尋ねて来た時はどうなるかと思ったが、少年はデリケートな心を打ち砕かれた程度の怪我で済んでいる。

あれでも遠藤にしては随分と手加減したようだと、側近中の側近である千原は内心感心していた。

これも実と付き合うようになってからの変化だ。

とはいえ、まだ恐怖から立ち直れない様子の弘樹の前に立つと、千原は腕を組み不遜な声を放った。

「おい、餓鬼。さっさと帰れ」

「・・・・」

「解っただろ?ここはお前の居る場所じゃねぇんだ」

「・・・・・はい」

顔を上げ千原の言葉を聴いていた弘樹であるが、ボソリと聞き取り辛い返事を返すと、それきり俯いてしまい動こうとしなかった。

弘樹をそうとさせたのは遠藤の怒号か、それとも兄・実に会えないという現実からか。

そんな事は千原の知るところではないが、どちらにせよ放っておく訳にもいかない。

「俺もいつまでも社長待たせる訳に行かねぇんだよ。ほら、立て」

「・・・俺、大丈夫なんで。先帰ってください」

「馬鹿。お前一人残して戻れる訳ねぇだろ」

今しがたまでそこに居た平井はいつの間にか居なくなっている。

遠藤の退室を追って出て行ったのか、ただ単に逃げただけか、とにかく今ここに居るのは千原と弘樹だけだ。

「それにしても、うちの社長に盾突くとは、お前もいい度胸してるもんだ」

早く帰れと思えど動かない弘樹を見下ろしたまま、千原は呆れたように呟いた。

毎日長い時間を共にしている千原からしても遠藤を恐ろしく感じる時は多々あり、他の舎弟やカタギの人間が恐れるには十分で、中里の情人・湯沢ですらも遠藤を怖がっていると知っている。

遠藤の側で自由に振舞えそれが許されているのは実だけであり、そして彼は特別なのだ。

その為、遠藤とあれ程までのラリーを繰り返した弘樹は千原にはとても珍しいものとして映っていた。

やはり兄弟だという事か。

それともただ、考えや恐怖心の浅い餓鬼とうだけなのか。

自分よりも一回りも二回りも体格の大きな千原の視線に耐えかねたのか、弘樹はそろそろと顔を上げた。

「・・・多少は、覚悟してました。こないだ家に来た時の事もあったから。だけど、思ってたよりもっと・・・怖い人で。あんな・・・あの人と一緒で兄さんは本当に幸せなのかな。本当は無理やり言う事訊かされてるだけで、だから俺に会わせられないんじゃないかな、とか考えてしまって」

「そりゃぁ無いな。社長と一緒に居るのは実さんの意思だ。お前が心配する事じゃねぇ」

「でも・・・」

「安心しろ、実さんの前じゃぁ、社長も優しいもんだ」

確かに、先ほどの遠藤しか知らなければそうと感じて仕方が無いかもしれない。

けれど実際は、口調こそ荒いものの実に相対している時の遠藤は他とはまるで違う。

今まで何人もの「遠藤の女」を見てきたけれど、一度も怒声を浴びせられていないというのも、実くらいのものだろう。

遠藤が実を大切にしているのは紛う事なき事実だと千原も心底理解しており、麗華や弘樹に向けた怒号はそれ故にだ。

元の彼は、他人の怒りを代弁してやるような情の篤さを持ち合わせてはいない。

それでもまだ納得出来ない様子の弘樹に、千原は深いため息を吐いた。

「俺には解らねぇな。社長が怖かったんだろ?だったらこの件から手ぇ引け。社長や実さんに関わるな」

「・・・俺、自分に兄さんが居るってこの間初めて知ったんです。それで母さんから話も聞いて、最初は『脳に障害があるから病院に預けてる』としか言わなかったんですけど、問い詰めたら一度も会いに行ってないとか、子供は俺だけだ、とか言い出して。俺、すっげぇ腹立って。それって兄さん見捨てたって事でしょ?だったら、遠藤さんが怒っても仕方ないな、母さんが殴られて当然だって思って」

「・・・・」

「だから、俺は兄さんに良くしよう、って思ったんです。けど・・・」

「そりゃぁ、気づくのが遅かったな。もうその役目は埋まってる」

遅い早いの問題ではないのかもしれない。

もしも、遠藤と実が出会うよりも早く、弘樹が実という存在を感知していたとしても、遠藤はそんな弘樹から実を奪って行っただろう。

そんな事が瞬時に脳裏を駆け巡ったが、千原は口にはしなかった。

「それに、お前にはこれから人生があるんだ。学校行って、彼女でも作るんだろ。考える事はもっとあるはずだ。もう一度言う、社長や実さんに関わってくれるな」

もしも、これ以上弘樹が遠藤に、それ以上に実に接触を持とうとすれば、今日のようなこの程度では済まなくなるだろう。

目障りなモノは女子供関係なく牙を剥くのが霧島組の虎である。

千原としては、このまだ高校に上がったばかりの、世間の作為も知らない子供に人生の絶望を与えたくはない。

じっと千原を見上げていた弘樹は、俯くとぼそりと呟いた。

「遠藤さん、兄さんを幸せにしてくれるんでしょうか?ガキの俺が何かするより、遠藤さんの方が幸せに出来ますか?」

「あぁ。間違いねぇな。社長は実さんと養子縁組をするんだ。今後妻子を持つつもりはねぇだろうよ」

「そう、ですか」

養子縁組という言葉をどう受け取ったのか、弘樹は俯いていたところから更に頷くとようやく顔を上げた。

千原を見つめ、寂しげにも見える苦笑を浮かべて見せる。

「俺、帰ります」

納得したのか諦めがついたのか。

どちらであるかは解らなかったが、もう弘樹は遠藤や実に接触しないのではないかと千原は感じた。

それで良いのだ。

真っ直ぐに、正義感もある少年ならばこんな裏社会と関わってはいけない。

「そうか。外まで送ってってやる。ただし裏口だけどな」

立ち上がった弘樹は、千原よりも頭一つ分以上小さい。

実よりもしっかりした身体であるとはいえ千原からすれば細い事この上ない肩を促すよう抱き寄せ、二人きりであった会議室を後にしたのであった。



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