ヤクザものシリーズ・お礼用SS
(実の初登校)



待ちに待った実の初登校の日である。

弾む気持ちが身体から溢れんばかりの実の隣を歩きながら、長谷川はその危なっかしい仕草に恐々としてしまう。

もっとも、「待ちに待った」というのは心情でしかなく、実際は入学を思案し始めてから一週間足らずではある。

遠藤や千原に見送られた実と長谷川は、スクールのある駅ビルの中を進んでいた。

「実さん、緊張しないんですか?」

「きんちょお?何で」

「何でつーか。初めての事なんで緊張するかなぁって」

質問意図が解らないとばかりにキョトンとする実に、自身こそ緊張が伺える面持ちの長谷川は苦笑を浮かべた。

何せ、長谷川はやんちゃが過ぎて中学校すらまともに出ていないような男だ。

たとえ今から行くのが専門教室の外語スクールであったとしても、しかも付き添いでしかなったとしても、教師が居て生徒が居て、勉強する場に行く、というのは緊張モノであった。

「じゅんくんもいっしょ?」

「そっすよ。一応護衛なんで」

「じゅんくんも、おべんきょ?」

「いえ、教室の隅で見学してます」

知的障害のある実に付き添いが必要である、とスクール側に言い張り特別に許可を勝ち取ったものの、それは建前でしかない。

本音は護衛・監視が主である。

実に余計な虫が付かないように、また、遠藤唯一の弱点である実に余計な真似をされないように。

カタギの集まる場所であっても、いつそこに悪意的な者が忍び込むやも知れないのだ。

「じゅんくんもいっしょにおべんきょ、しよ?」

「いやぁ、そりゃ無理っすね」

乾いた笑いを浮かべ、長谷川は実の鞄を持っていない手でガシガシと頭を掻いた。

護衛という名目で実と日中を共に過ごすようになって数ヶ月。

その間も実は時間さえ合えばテレビの外語講座を見ているのだが、長谷川は何度隣で一緒に見ていてもさっぱり何一つ頭に残らなかった。

まだ馴染みのある英語ですら9割不明。

馴染みのない他の言語ともなれば、単語一つ覚えられない。

もっと言ってしまえば、訳の解らない言葉でペラペラ喋られ「次はお前が言ってみろ」と言われるような外語講座の番組は、見ているのすら苦痛であった。

その為、実がその番組を見ている間長谷川は大抵の場合逃げるように家事に勤しんでいる。

今回の件にしても、実同様、遠藤や千原からも「お前も習ってこい」と言われていた。

今のヤクザは腕力や人情だけでは話にならず、頭脳も必要だ。

最低限英語くらい取得しておいた方が良い。

かく言う遠藤も千原も、英会話はビジネスで使えるレベルである。

だが、それでも長谷川は断固拒否を見せ、「後ろで見学」となったのだった。

もっとも、中学生レベルの英語も出来ない長谷川が、日常会話を日本語以上にこなす実と同じクラスから始めるのは無理で、遠藤も千原も決して本気で言っていた訳ではなかったようだ。

「ここですよ」

「わぁ、ここかぁ」

エレベーターを上り廊下を進み、スクールのロゴが踊るガラスの自動扉の前に来ると実らは一旦立ち止まりそれを眺めた。

ここに長谷川が来るのは三度目。

一度目は、テレビCMでこのスクールを知り興味を示した実の為に入会案内のパンフレットを貰いに。

二度目は遠藤に代わり入学の手続きをしに。

そして今日だ。

どちらも長谷川一人で訪れている為、実は初訪問である。

「みのもね、きんちょお、してきた」

「そうですか。でも、実さんならきっと上手に出来ますからね」

「ほんと?だいじょうぶかな?」

見た目や普段の言・行動からは想像もつかない記憶力。

それは語学以外にも発揮され、いつか何かのテレビでやっていた歴史や記号も細かく覚える事が出来ていた。

だが、実が興味を示しているのは歴史や記号などではなく言語なのである。

「実さん、外国の言葉好きですか?」

「みのね、すきー」

「じゃぁ大丈夫ですよ。昔から、蓼食う虫も好き好きって言いますから」

「・・どういういみ?」

「好きだったら上手になりますよって意味です」

「そっか、よかった。あのね、みのね、すきー」

誰も何もツッコむ者の居ない中、実はパッとうれしそうに笑うと納得したように何度も頷いて見せた。

もしもここに遠藤か千原が居ればすぐさま鉄拳が飛んでいただろう。

「さ、行きましょうか」

「うん」

自然と長谷川の派手なシャツの裾を握り締めた実は、やや硬い面持ちでガラスの自動扉の中へ入ってゆく。

実の初登校がこれから始まるのであった。




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