ヤクザものシリーズ・お礼用SS
(中里の怪我)



ネオン煌めく夜の町。

不況が続く昨今であるが、今夜も霧島組のシマがある歓楽街は賑わっている。

その中の一軒、最近開店したばかりのキャバクラへ中里は訪れていた。

元々はこの近くに店を構える高級クラブを経営していたオーナーが二号店としてオープンさせた店だ。

中里が此処に来るのは二度目、オープン記念に招待されて以来である。

「中里様、やだぁ」

薄暗い店内に煌くシャンデリア。

胸元が大きく露出されたキャミソールタイプのドレスに身を包んだ若い女が中里の腕に軽く触れた。

盛り上げられた髪、派手に彩られた爪、長い付けまつげが施されたメイク。

高級店とはいえ同系列のクラブよりも幾分若い雰囲気で、どちらかといえば中里の好みだ。

目当ても特に居ない中里についたその女性は、店のはからいでNO.1ホステス・かすみであった。

彼女以外も、中里が同行させた舎弟らについたホステス達は皆、容姿も接客も店のトップクラスの女性らのようだ。

中里はもちろん霧島組の連中が自ら稼業を明かす事はないが、彼女らは少なからず店側から何か聞かされているのだろう。

ヤクザと知っているのか、ただVIPと言われているのか、それともプロの経験で察せられているのか。

彼女らの接客は丁寧さの中に強い緊張も滲ませていた。

「中里様って、色々お詳しいんですねぇ」

「たまたまなだけだ」

『どうしても来たくて来た』店ではないが、どうせ『どこかに』飲みに行かなければならないのなら楽しい方が良いに決まっている。

その表情の何パーセントが作り物なのか、ニコニコと笑みを浮かべるかすみに中里は笑み返した。

彼女は中里を客にしようと必死なのだろう。

そりゃそうだ、入店からたった三十分余りで中里が落とした金額は三桁に届かんばかり。

今晩一回であればどれ程の額に達するというのか。

こんな太い客を物に出来るかもしれないチャンスがそう多くある筈もなく、かすみの意気込みも理解出来る。

さすがNO.1となる女だけあり、かすみとの会話は気軽で心地よい。

だが、彼女は中里の好みではなかった。

たとえホストスとしてであっても、中里が彼女を目にかける事はないと言い切れる。

会話や接客は良い。

しかし、見せつけるように強調している大きな胸も、脱色を重ねた髪もわざとらしい笑みも、見れば見るほど、まるで無いものねだりのように中里の脳裏へここには居ない別の面もちを浮かべさせた。

融通が利かないまでに堅くまじめな黒髪の最愛の恋人。

今日は夜勤ではないと聞いているのでもう帰宅しているだろうか。

早く会いたい。

今夜はとりあえず飲みに出てきたものの全く集中出来ずこの有様で、出来るだけ早く帰りたい───などと考えていた時である。

中里の隣で水割りを作ろうとしていたかすみが、小さな悲鳴をあげた。

「きゃっ・・・ご、ごめんなさい」

「・・・。いや、構わねぇ」

ガラス張りのテーブルには割れたグラスと中に残っていた氷とアルコール。

かすみが手を滑らせグラスを落としてしまい、当たり所が悪かったのかそれは鈍い音を立てて割れたのである。

ガラス片も氷もアルコール衝撃で飛び散り、中里のスーツを汚す。

それを見たかすみは途端に慌て、ボーイを呼んではお絞りを持って来させた。

「ごめんなさい。・・・どうしよう、申し訳ございません」

おろおろとしながら、手元にあるお絞りで被害の拡大を防ごうとしてるのか、液体の滴るテーブルの端を拭く。

舎弟や他のホステスもグラスが割れたのに気がついたのか俄かにざわついているが、客が中里でありホステスがかすみだという事もあり、皆何も出来ずにいるようだ。

ボーイがお絞りを持ってくれば、かすみは何度も謝罪を口にしながら丁寧に中里のスーツを拭いた。

しかし、中里のそれが汚れたのなど、ほんの僅かだ。

それよりも当人であるかすみのドレスの方が余程濡れており、気づいた中里はかすみの手を止めさせると自身を拭くよう促した。

「俺は構わねぇ。それより、そっちの方が随分濡れちまったんじゃないのか」

「いえ、でも私は・・」

「いいから、先に拭きな。どうせクリーニングに出そうと思ってた服だ、気にしなくて良い」

言うと中里は気にした様子もなく軽く口元を歪めて見せた。

店からすれば中里はVIP中のVIPであり、些細な粗相も許されないと考えていると思えばこそだ。

「ありがとうございます。優しいんですね」

「俺の優しさを知ってくれて良かったよ」

悪戯めかしてニッと笑う中里に、かすみは握り締めていたお絞りでドレスの膝の部分をさっと拭くと、緊張を称えながらも息を吐いた。

怒声を浴びせられるや暴力の一つでも覚悟していたのだろうか。

だが中里にしてみれば、このような程度怒るのも面倒だ。

テーブルとソファーの構造上ボーイの手が届かず、汚れたままのそこを片付けようとかすみがテーブルへ向き直った。

「もう、私ったらそそっかしいんだから。ごめんなさい、たまにやっちゃうんです」

「いや、女はそれぐらいの方が可愛いもんだ」

作ったような、固さの残る声でかすみが言う。

どんなに可愛らしくフォローしようとしても、かすみは緊張と恐怖心を完全にカバーは出来ていないようだ。

とはいえ、言いながらも中里が思い浮かべるのはただ一人。

外科医のくせにどこか危なっかしく感じてしまう恋人。

もはやかすみになど良くも悪くも興味はない。

だがかすみはそうは思えなかったようで、中里を伺いながらテーブルを拭こうとし───見えていなかったのだろう。

「危ないっ」

「え?・・・あ、中里様っ、ヤダ、どうしよう・・・」

「ってぇ・・・」

咄嗟の行動であった。

かすみが手を付こうとしたその下に鋭利で大きなグラスの欠片があるというのが見えた中里は、かすみの手がテーブルへ付く前にそこへ手を差し出し、自身の手のひらをその欠片で切ってしまった。

ピリリとした痛みが走る。

鮮血が流れ、シャツの袖を滲ませると、中里の居るボックスは、そして店中のボーイらは騒然とした。

一気にざわつく周囲で、かすみだけが固まったようにじっとしている。

目を見開き、青ざめ、身体よりも頭が動かないのだろう。

何度か唇を震わせると、ようやくかすみは口を開いた。

「中里様、ごめんなさい。ごめんなさい。すぐ手当を・・・ごめんなさい・・・」

「中里様、大変申し訳ございません。すぐ医者の手配をいたします」

「組長、応急処置を」

その時には、ソファーに座っていたホステスや組員が退き、ボーイと側近・谷が二人を囲っていた。

高まる緊張が、嫌でも伝わってくる。

しかし、真剣な眼差しを向ける男らに、中里は幸い無事であった利き手を軽く振った。

「いや、医者も処置も必要ない。それより、少し静かにしてくれ」

中里は胸元から携帯電話を取り出すと、短縮でダイヤルをした。

『・・・もしもし、学さん?』

コール三回で通話に出たのは、最愛の恋人、そして一時期は主治医でもあった、湯沢だ。

悠然とソファーに深く腰掛けた中里は、怪我をしているなど伺わせない様子で携帯電話を肩と耳に挟むと、傷口ではなく手首にお絞りを宛がい血が滴るのだけを防いでいる。

ニッと笑うさまは狡猾で、怪我人というよりも獲物を狙う獣だ。

「お、亮太。今、家か?」

『はい、そうですけど。どうしたんですか?今日は遅くなるんじゃなかったんですか?『お仕事』で』

中里からの電話だという一瞬の驚きが去ってみれば、湯沢は至極とげとげしい口調で言い捨てた。

湯沢には事前に今夜は帰宅が遅くなると伝えてあり、こんな深夜近くに中里が行っている『仕事』が何であるのか察しているのだろう。

そのとげとげしさの正体は紛う事なき嫉妬で、中里はそんな湯沢に気分を良くする。

普段素直でない分、そういった面がとても可愛く感じられる。

喜びに揺れそうな声音を、けれど中里はいかにも芝居がかった苦痛そうなそれに変化させた。

「それがな、大怪我をしちまったんだ。だから亮太、診てくれ」

「は?・・えぇ!?大怪我ってなんですか!?え!?」

今までのぶっきらぼな様子が一変、湯沢は動揺しきった風に言った。

常日頃から『自分は医者である』と湯沢は怪我や病気に敏感である。

その為、『怪我をした』などと言えばどうなるか予測をしていた。

「今からすぐ帰るから、よろしくな」

『大怪我ってどんなモノですか?どこですか?またお腹ですか?ダメです、直ぐ病院行ってください』

だが、結果は予想外、否、予想以上となってしまったようだ。

病院を進める湯沢に、中里は眉を寄せた。

「なんだ?俺は亮太に診てもらいたいんだ。じゃねぇと治らねぇ」

『何言ってるんですか。家に帰ってこられても何も医療器具とかありませんから、俺何も出来ませんよ。それよりちゃんとした設備のある病院に行ってください。どうしてもっていうなら、もし入院になったらウチに転院してもらえるよう院長にもお願いしますから、だから・・・』

失敗したか。

心配させようと『大怪我』だと言ったが、実際は素人考えならば絆創膏もしくは包帯ですむ程度。

絶対に入院などならないと言い切れる。

湯沢の慌てっぷりを聞けたのは嬉しかったが、彼に診てもらえないのでなければ怪我をした損だ。

ここで引き下がってたまるものか、と中里は続けた。

「・・・。じゃぁ、第一ビルはどうだ?あそこなら一通り揃ってるだろ?」

『第一?』

「前に亮太がうちの下のモン治療してやったビルだ」

『・・・あぁ』

湯沢には組と関わらせていない。

基本的には、どんな怪我をした組員が居たとしても、その時専属医が捉まらなかったとしても、湯沢を医者として使う事はない。

だが、以前一度だけ、湯沢を霧島組本部である霧島第一ビルの一階で待たせている時にたまたま腹部を刺された組員を見かけ、専属医の不在からどうしても治療がしたいと言われ許した事があるのだ。

その時湯沢を連れて行ったのは第一ビルの医務室で、医務室という名にも関わらずその設備は病院レベル。

湯沢が勤める総合病院には到底及ばないものの、町の個人病院よりは遥かに凌ぐだろう。

外科も内科も医療器具・薬などが揃えられているそこを思い出したのか、ほんの僅かな沈黙の後湯沢は早口で真面目に言った。

『学さんの居るところから第一ビルまでどれぐらいかかりますか?』

「10分掛からねぇくらいだ」

『家から第一ビルまでは?』

「15分掛からねぇくらいだろうな」

『・・・、解りました、直ぐ来てください。俺もすぐ行きます』

しめた、と中里は喜色面を浮かべる。

これで実際の怪我の程度を知れば、湯沢は安堵よりも先に怒り出しそうな気がしなくもない。

「そうか、来てくれるか。わかった直ぐ行く。だが、亮太は焦らず来いよ。車飛ばさせるなよ」

『あ、はい。制限速度は守ってもらいます。じゃ、えっと、止血ちゃんとしてください。それから出来るなら心臓より上に傷口上げてください。えっと、じゃ、あの、後で』

湯沢は焦った口調で通話を切った。

怪我の場所も、状態も詳しくは聞かず。

医者としてそれで良いのかと伺いたくもなるが、それ程までに心配してくれ焦っていたのだろう。

そう考えれば、中里は嬉しくて仕方が無い。

「さ、俺も行くかな」

中里が湯沢に『急ぐな』と言ったのは制限速度を気にして、などではない。

それによりも、自分を心配するあまり車を飛ばさせ万が一湯沢が事故にあえば、と思えばこそだ。

通話の切れた携帯を眺め、中里は嬉しげに笑った。

「谷、第一ビルに行くぞ。亮太が来る」

「先生が、ですか?」

「あぁ、治療は亮太に頼む」

「中里様・・・あの、」

立ち上がった中里に、谷とかすみも立ち上がる。

中里の通話の間中息を殺し震えていたかすみに、中里は楽天的な笑みを向けた。

「あぁ、気にしないでくれ。今日は俺は帰るがこいつらは置いていくからサービスしてやってくれ、な」

「え?」

心配げにするかすみの肩を軽く叩く。

この件についてかすみも、店も責めるつもりなど微塵もない。

要因はどうであれ、結果的に怪我を招いたのは己自身であると納得しているし、そんな事よりも今重要なのは久しぶりに湯沢に治療してもらえる、という貴重な時間が得られた、という事である。

「谷、お前はついてこい」

「はい」

「会計はツケといてくれ。近々騒いじまった侘びも入れに来るからよ。悪いがこれは貰って行くな」

中里は鮮血に染まるお絞りを新しい物に変えると、ボックス席を横切り店の出口へ向かった。

次々に頭を下げる舎弟らの姿も目に入っていない。

痛みが宿る手のひらも、しかし怪我に慣れている中里にとっては耐えるに値する程度でしかない。

白いお手拭が少しだけ赤く染まる。

鮮血に染まる手を胸より高く掲げた中里は、入店時よりも嬉しげに店を後にしたのであった。




+目次+