蒼穹を往く歌声・お礼用SS
(その想いここに・3)



久しぶりの揺れていない床。

ナジャーヌに上陸した夜、イスハークは窓から差し込む月明かりを頼りに拓深の寝顔を眺めていた。

普段は表情少ないその面もちが快楽に歪むのを見るのも好きだが、途端に幼く映る寝顔もとても好きだ。

今日も抱き潰してしまった拓深は、最後は譫言をこぼしながら涙を瞼いっぱいに溜めていた。

止めてくれと懇願されるとつい余計に泣かせたくなってしまうのだが、苛めたい訳ではない。

冷静になった今になれば心苦しくも感じながら、流れた涙が乾いたその頬を撫でた。

「拓深・・・」

拓深の髪は黒曜の如く黒くサラサラと流れる手触りは上質であったが、今まで真っ当な手入れもされておらずただ長くなれば適当に切っていただけだというそれはザンバラであったし、服も靴もそれしかないからと拓深より一回りも二回りも体格が大きいものを無理やり借りていた事もあり全体的に不格好であった。

イスハークがそのような拓深を見てみっともないなどと思う筈もなく、普段は気に止めもしていなかったのだが、今日、きちんとプロに髪を整えてもらい、身体に合った衣類を与えてみれば、今までが如何に拓深に損をさせていたのかと突きつけられたような気持ちになってしまった。

元々顔の造りが可愛いと、イスハークの好みであるという事はもちろん知っている。

けれど、これ程だったというのか。

全身を磨き上げられ新しい衣服に身を包んだ拓深は、何よりも美しかった。

女に見えるという訳ではなく、男でありながら、そしてただ幼いだけではない大人になりかけている雰囲気が、拓深の静かな瞳に至極似合っている。

こんなにも好みだと思った者は今まで男でも女でもいないし、今後現れはしないだろう。

あまりの拓深の様子に、イスハークは出来る限りの事をしたく───目に付く様々な物を買い与えたくてしかたがなくなってしまった。

服も靴も、これからの船での生活に必要な物から不必要な物まで、イスハークが良いと思った物を勧めれば拓深はそれらを受け入れてくれる。

拓深自身が選ぶ事はなく、曰く、イスハークが良い物で良い、などと健気な事を言ってくれた。

ただ、一つだけ拓深が全てを拒否した物がある。

ジュエリー・アクセサリーの類だ。

どんなに美しい細工がなされているジュエリーも、人気のデザインだというアクセサリーも、ネックレスだろうがブローチだろうが指輪だろうが、拓深は一切必要ないと言い張った。

服や靴など値段が張ると言ってもたかがしれている。

その為イスハークにしてみれば高価な装飾品を贈りたかったのだが、拓深要らないと言い、そして胸に下がるタリスを握り締めた。

『イスハークに初めて貰ったこれがあるから、他は要らない』

そのような言葉を、まるで唇から零れ落ちたようにポツリと言われれば、拓深を愛しく感じる感情はこれでもかと跳ね上がるばかりだ。

見た目が可愛くなった拓深。

だが、内面の愛らしさに勝るものはない。

ブティックの中だというのもお構いなしに拓深を抱きしめたイスハークは、機嫌良く夜の街をつれて歩いた。

すれ違えば振り返る人。

遠めからでも感じる視線。

それは皆拓深を見ているからなのだろうとしかイスハークには思えない。

周囲の人々に自慢してまわりたいと思う一方、自分だけが愛でる対象であってもらいたいかもしれない、などと不毛な事を考えてしまう。

そうしてたどり着いた宿屋、そして下の酒場。

どこの港に行っても大抵がそうのように、今日も酒場では己を待つ女らが居るだろうと察しはついていた。

その中心に彼女が───イザベラが居るだろうというのも同じくである。

だがまさか、拓深にあのような事を言われるなんて。

思い出したイスハークは苦々しげに苦笑を浮かべた。

イザベラは今までこの港に来た時に買っていた女だ。

そして彼女自身、イスハークのお気に入りである事に自尊心を感じていたのだろう。

今夜も誘いはあるだろうとは考えていたが、今は拓深という存在のあるイスハークが他の売女を相手にするつもりなど少しも無かったのは当然だ。

だというのに。

イザベラの言葉を聞いた拓深に、今夜は出かけるのではないのか、と言われてしまうなんて。

愛している者にそのような事を言われたのは、隠し切れないまでにショックであった。

そして、そのショックをぶつけるかのように拓深を抱いてしまい、現在に至る。

豊満な胸も、彩られた面もちも、グラマラスなボディーも、噎せ返るような色気も、そんな物は要らない。

今、イスハークにはただ一つ、拓深が居ればそれだけで良いというのに。

「可愛いな、拓深。愛している・・・」

「ん・・・・いす・・・」

シーツに頬を寄せ、拓深は微かな寝言をこぼす。

身を捩りながら何かを探していたその指先は、イスハークの腕に触れると己の胸へと抱き込んだ。

「っと・・・」

拓深に引き寄せられイスハークはバランスを崩したが、そんな些細な事さえも今は楽しくてならない。

「風邪引くぞ」

自身の価値を知らない拓深は、己を大切にするという概念がない。

拓深の価値、それはセイレーンの歌声を聞けるなどというつまらないものではない。

そっと拓深の隣に身を横たえたイスハークは、二人を覆うようにシーツをかけた。

拓深が拓深であるという事実。

それが彼の価値であり、何事にも代えられない宝。

拓深が自身を大切にしないのであれば、その役目は自分が果たすのみだ。

何よりも大切な拓深。

壊れ物を扱うように、けれどどこにも逃さないとばかりに、その身体を腕の中に納めイスハークは穏やかな眠りへと落ちていったのだった。





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