ヤクザものシリーズ・お礼用SS
(中里の怪我・・・その後の湯沢)



ジャケットを脱ぎネクタイを外し、着替えるのもだるいなとソファーでうな垂れていた最中に掛かってきた、今日は『仕事』で遅くなると言っていた筈の恋人からの一本の電話。

その『仕事』が如何なるものか理解しているからこそ、自分でも不機嫌だと解る声で出た電話で告げられた言葉。

それに驚き不機嫌さも吹き飛び、だらしのない格好を最低限整え飛び出して来たのだ。

だというのに。

電話口で言われたように15分と掛からず合流した彼───恋人であり、真夜中までいくらもない時間に呼び出した張本人、中里はあっけらかんとした表情で笑っていた。

「よ、亮太。早かったじゃねぇか」

指定されたビルの医務室。

『医務室』というわりには本格的過ぎる医療器具が揃うそこの医療用ベッドに腰掛けていた中里が片手を挙げるのを目に、息を切らせながらやってきた湯沢は途端に目じりを吊り上げた。

「・・・、俺、『大怪我』って聞いて来たんですけど」

「あ?ンな事言ったか?」

「言いましたよ。どんな大怪我かと思って飛んできたのに・・・まさかその指先の出血だけじゃないですよね?」

中里がヒラヒラと振ってみせる手の指先。

そこに巻かれた白いお絞りは赤く染まっているが、けれど日夜ボトボトに赤くなるまで鮮血を吸い上げるガーゼを見ている湯沢にとっては、少なすぎる出血でしかない。

第一、出血量は元より中里の態度だ。

至って元気そうで、到底『大怪我』を負った人間だとは思えない。

「これだけだぞ。それがどうした?」

「なっ・・・、そ、そんな物、唾つけて絆創膏でも貼っといたら直ります!」

「おい、それが医者の言うセリフかぁ?亮太、早く診ろ」

「大体、これ止血してませんよね?俺、止血しといて下さいっていいましたよね?それに、心臓より上げておいてくださいとも言いましたよね!?」

カッとなった感情を抑えられないまま、それでも医者の本分を真っ当する為中里に近づくと、赤く染まったお絞りで覆われている指の手首を掴むと目線まで乱暴に持ち上げた。

そこを診ただけでも簡単な事くらい解る。

電話で中里に指示した事すら守られていなければ、苛立ちは高まるばかりだ。

病院でも、医者の指示を聞かない患者はいくらでも居る。

それに一々腹を立てないだけの忍耐とやり過ごし方はここ数年の医者生活で身に着けてきたと思っているが、ただの患者と中里とはまるで違う。

「止血の仕方解らなくてよ」

「嘘です。前に、簡単な応急処置くらい知っておきたいって言うから俺教えましたよ」

「そうだったか?」

「そうです。学さん、記憶力良いくせに」

ヘラリと笑う中里に湯沢は詰め寄る。

普段軽いノリでいる事が多い中里だが、その実、とても頭が良いのだと知っている。

会社の経営や組の運営をしているのだからただの馬鹿では勤まらないだろうというのは容易に想像が出来る事だが、悔しいが医学ではなくいわゆる5教科ならば中里に負けるのではないかと思う時も在るほどだ。

その中里がいけしゃしゃと『知らない』という。

からかわれているのか馬鹿にされているのか、湯沢は握っていた彼の腕を投げ捨てるように離した。

「ぃってー、亮太、何すんだ」

「知りません」

「お前なぁ、普段でもこんな感じかぁ?患者減るぞ」

「馬鹿げた怪我人が居なくなって患者さんが減るなら結構」

つんけんどんに言いながら、それでもガーゼなどがありそうなカートに近づきそれごと中里の元へ戻る。

このまま帰ってしまいたい心境ではあったが、しかし医者であるという自尊心故にそうは出来ない。

再び中里の腕を掴むと、消毒液に浸されたコットンで乱暴にも思える手つきで傷口を拭った。

「痛いって、亮太。もっと優しくしろ」

「十分優しくしてます。俺が処置してるだけでもありがたく思ってください」

さすがに絆創膏だけ、という訳にはいきそうにはなかったが、縫合をするまででも無さそうな傷だ。

テーピングで事足りるだろうし、毎日朝晩でも巻きなおせば十分。

他の患者ならば朝晩きちんと巻きなおすのは困難で縫合をしてしまうだろうが、縫合痕も傷口と同じような痕として残る。

そして中里には自分がいるのだから巻き直すのは容易なのだ。

つまるところ、なんだかんだと言いながらも湯沢は中里の処置を続けるつもりではあった。

なんといっても恋人だ。

それも、これまでの人生で一番に愛していると言っても過言ではない、最愛の恋人。

その彼の怪我なのだから、朝の忙しい時間や疲れて帰った後の時間を割くぐらいはする気持ちは十分にある。

「・・・、はい、出来ましたよ。今回はやりましたけど、もうこんな程度の傷で呼び出さないでください」

使ったテープやピンセットを片付け、処置をしているうちに怒気は削がれたが不満は残ったままだ。

ここが病院でない事もあり、不必要に大きな音を立て乱暴にカートを片付けた。

「帰ります」

「亮太、まだ怒ってんのか?」

「当たり前です。俺がどれだけ心配したと思って・・・・あ」

カートに気が向いていただろうか。

伝えるつもりの無かった言葉が、ふいに湯沢の口をついてしまった。

ばつが悪く顔を反らした湯沢に中里の腕が伸ばされ、あっと思った時には腰に絡みつく。

そして引き寄せられれば、湯沢はベッドに腰掛けたままの中里の腕の中に居た。

「心配、してくれたのか?」

「そりゃぁ・・・俺は医者ですから。怪我って聞いたら誰にでも心配します」

とはいえ、その度合いが違うのは明らかで。

目元を赤くする湯沢に、中里は聞かずとも察したのだろう。

抱き寄せる腕が腰から背中へと上がり、膝に跨がされるよう腰を下ろさせられると、中里は腕全体で湯沢をしっかりと抱きしめた。

「そうか。そりゃ悪かったな。俺はただ、お前をちょっと心配させて治療してもらいたかっただけなんだ」

「だったら『大怪我』とか言わないでください」

中里の肩に頬を沿え、息を吐き出すと共に一気に気が抜けた気がする。

怒りや不満を持ち続けるというのも中々に体力を使うのだ。

疲れて帰って来て家で一人だった。

疲労感が寂しさを連れてくる。

だというのに今頃彼は夜のお仕事、すなわちキャバクラ巡りの最中だと聞かされており、仕事だと言われればそれまでだかだが面白くないモノを感じていた。

そんな最中告げられた『大怪我』にどれ程───どれ程心配をした事か。

また腹を刺されたのではないか、神経はどうなっているのか、万が一取り返しのつかない事になったらどうしよう。

電話を持つ手も振るえ、焦燥ばかりに襲われる。

こんな自分がきちんと中里を診れるだろうか、とさえ考えていたというのに、いざ見てみれば指先の傷だけ。

怪我は小さいに限る。

だか、あれだけ心配した事を思えば、湯沢の怒気も仕方が無いだろう。

「俺はもう、学さんの怪我なんて見たくないんですから、怪我しないでください」

「わかったよ、気をつける」

「約束ですからね」

診るのも、見るのも嫌なのだ。

中里の前では医者で居続けられる自信がない。

けれどそんな事を言ってしまえば、またいつもの『病院を辞めろ』攻撃に合いかねず、己の心の中だけに閉じ込める。

「また、明日朝巻きなおしますから。それまで大人しくしててください」

「それは無理な相談だな」

「学さん・・・ぁ」

片腕で背中を支えられたまま、中里の丁寧にテーピングをした指が湯沢の指を絡め取る。

『無理な相談』、その理由は、湯沢の膝に当たる熱い感覚で知らせられた。

まさか此処でするとでもいうのだろうか。

一瞬の拒絶感は中里の口付けにより押し流されてゆく。

怒気や不満よりも大きな安堵感に包まれ、湯沢は此処がどこであるか知りながらも今日だけは特別だと言い訳をし、中里に身体を委ねたのであった。



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