ヤクザものシリーズ・お礼用SS
(花岡の理緒の)



香坂甲斐と中里学が兄弟の盃を交わす約三年前。

指定暴力団・香坂組若頭補佐にして顧問弁護士・花岡静也、当時29歳。

それは、ある冬の日のありふれた日常であった。



***

執務室に側近すら入れず一人パソコンに向かっていた花岡は、携帯電話のメール受信を知るとキーボードの上にある手を休めそれを取り出した。

無音でバイブレーションのみであるが、ビジネス相手とは違う、ただ一人にだけ設定している振動。

そのメールを見た花岡は、それまで称えていた鋭い眼光をノーフレーム眼鏡の奥で柔らかい色に変えると、ふと口元すら緩めてみせた。

日本の会社員の平均的な終業時間を数時間越えた頃である。

疲れが出始めてはいたが、その疲れすら薄らいでしまうメールであった。

内容はなんて事のないものだ。

しかし、それを送って来たのが誰であるのかを思えば、花岡の眼差しにも納得が出来るだろう。

冷酷・冷徹、他人を省みずいっそ情の欠片も無いと語られる場面も多い花岡の唯一無二の弱点で、心からの笑みを作らせる事の出来きる人物。

今まで出会った誰とも違う存在、それが───最愛の恋人・理緒【りお】である。

花岡と理緒が『恋人』という関係になったのは、遡ること数ヶ月前。

まだ年を越す前の冬の頃だ。

その少し前より同じ家に暮らしてはいたが、しかし二人の関係が『恋人』と名を変えて以来、その生活は『甘い』の一言となり、仕えるべき上司であり友人でも香坂らには『新婚』と揶揄される程であった。

もっとも、今の理緒の状態を思えばそれもただの冷やかしだとは言い切れないものがある。

生活面だけで言っても、今まではむさ苦しいだけの組員が行っていた家事の殆どを理緒がこなしてくれていた。

朝夕の食事はもちろん、組員に任せてしまえば良いのに理緒は進んで洗濯や掃除まで自らの手で行っていた。

あまり身体が丈夫だとは言い難い理緒がせっせと働くのに花岡は賛同しかねるのだが、そう思う反面、理緒の『新妻』っぷりがまんざらでもないという本心も抱えている。

矛盾や、説明の出来ない感情を花岡に抱かせる事が出来るのも、理緒の特権かもしれない。

───理緒は、17歳。

『青年』というよりも『少年』、否いっそ『少女』といった雰囲気を持ち合わせている男子である。

クオーターながら不幸な出生の一因により祖父のイギリス人の血が強く現れ、一見して日本人離れをした容姿、金茶色の癖毛、光の加減で青に見える紺の瞳をしていた。

加えて、元々白い肌は日にあまり当たっていなかった年月が長かった為透けるようで、先天性の理由により男にしては身体全体的に細く小さい。

その容姿から、『美少女』もしくは『天使のよう』と現される事も度々。

だが花岡に言わせれば、『天使のよう』であるのは外見よりも内面がより一層であるようだ。

理緒は健気で控えめ、生まれもあるのだろうが決して我侭や贅沢を言わない。

些細なプレゼントですら嬉しそうにしている様は、ひっそりと咲く野花を思わせた。

そんな理緒だからこそ、花岡は逆にどんな願い事でも叶えてやりたいと感じてしまう。

我侭でも贅沢でも、いくらでも叶えてやれるだけの力も財力も有しているのだ。

それを、理緒にならばいつでも惜しげもなく捧げるだろうと花岡は言い切れる。

つまるところ、花岡は理緒に溺愛してならないという事だ。

己が人を愛するなどという日が来るなどとは、ましてやここまで心の底からそう思える相手と出会えるなど、つい数ヶ月前の花岡には考えも出来なかっただろう。

「今日の夕食はハンバーグなんですか。せやったら、早よ帰えらなあきませんね」

届いたばかりのメールの内容を、無意識に唇の中で呟く。

早く帰って来いと言われた訳ではない。

ただ夕食のメニューを知らせるだけのメールが理緒から届いただけに過ぎない。

だというのに、そのたった数文字のそのメールが、花岡をこれでもかと落ち着かなくさせている。

早く帰って、理緒の手料理を食べたい。

そしてそれ以上に、理緒そのものも食べてしまいたい。

「・・・はよ、帰らせてもらいましょか」

誰も居ない執務室での呟き。

携帯電話をポケットへ戻した花岡は、その欲望を叶える為もやりかけていた仕事へ戻るべく、真面目な面持ちに切り替えると再びキーボードを叩き始めたのだった。




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