ヤクザものシリーズ・お礼用SS
(雨の日のお泊り)



雨の降りしきる夜。

上杉は息を切らせマンションの一室の前に立っていた。

うっかりしていたと言おうかなんというか。

普段より天気予報を確認する習慣はなかったものの、梅雨の時期なのだからいつ雨が降って来てもおかしくないのだ。

折りたたみ傘くらい鞄に入れておけば良かったのだが、それを怠ってしまった為この様───頭からつま先までびしょ濡れである。

いつもならばこの程度気にしない。

これが朝で『今から一日が始まる』という頃なら問題だが、そうでなく現在のように夜であれば帰って着替えれば済むと考えるだろう。

だが、残念ながら今は『いつも』ではなかった。

「あーぁ、これじゃぁどこにも出かけられないや・・・」

ポケットから鍵を取り出し、唇から零れるような呟きを漏らす。

この向こうに己の服はあれど、まだ部屋着と下着しか用意をしていない。

都心の中心にあるこのマンションの界隈であれば、たとえコンビニ程度へ行くにしても気を使いそうな服装だ。

こんな事になるなら、もっと前からまともな私服を用意しておけば良かったと改めて後悔する。

馴れた手つきで鍵を回してみせたが、しかしここは上杉の自宅ではなかった。

「・・・。おじゃまします」

「いらっしゃい、和人。あれ?雨降ってたの?」

「はい、会社出る時は降ってなかったんですけど電車乗ってる間に降っちゃったみたいで。傘なくても平気かなと思ったんですけど、思ってたより雨足強かったみたいで濡れちゃいました。傘、買えば良かったですね」

上杉が濡れた前髪を払い苦笑を浮かべる。

それは『雨に合った事に対する』というよりも、ただ目の前の人物への照れ隠し。

濡れている事なんてもうどうでもよくて。

久しぶりに───約一週間ぶりに会った大好きな彼・益田の顔がまっすぐに見れなからだ。

ここは、毎週末訪れては休み中連泊している益田の自宅であった。

都心一等地のワンルームマンション。

駅から徒歩5分の道のりは彼の職場でもある歓楽街にも近い。

玄関で突っ立つばかりの上杉に、家主・益田は背を向けた。

「タオル、取ってくるね。それとも直ぐお風呂入っちゃう?」

「あ、どうしよう・・・」

「スーツ乾かした方が良いし、どうせ脱ぐならシャワーくらい浴びたら?」

「じゃぁ・・・そう、させてもらいます」

遠慮がちになりながらも靴を脱ぎ部屋へあがる。

広めのワンルームの益田の部屋は、初めて訪れた時よりも随分と生活感が現れていた。

益田曰く『寝に帰るだけの家』だったところへ上杉が毎週末通うようになっていたからだ。

キッチンに食器や調理器具が増え、上杉の衣類や私物を置くためのラックも用意された。

口にはしないが、上杉が週末と言わずこの部屋に在住する日も近いようにも思える。

「和人がシャワー浴びてる間に出前でも頼んでおくね。何でも良い?」

「あ、はい。ごめんなさい、食材買ってこれなかったし、外食も行けなくなってしまって」

「良いんだよ、気にしないで。それにいつも当たり前みたいに和人に夕食作ってもらうのも悪いからね」

「そんな。それは僕が好きでやっているだけですから」

慌てて首を振る上杉に益田は微笑を称える。

職業柄もあってか大抵の場合益田の帰宅は深夜近くで、今日のように益田に出迎えてもらう日は稀だ。

そして、普段ならば、帰宅の遅い益田を待って上杉は夕食を作り待っているのである。

元々一人暮らしの節約で作っていた程度の腕前だ。

そんな上杉が人生で初めて出来た最愛の彼の為に四苦八苦しながら作る料理は、愛情だけは自慢出来るだけ注がれている。

だが、それも今日は叶わないだろう。

益田が先に帰宅していた事、加えて雨でただ家に向かうだけで精一杯だった事から、買い出しもなにも出来てはいないのだ。

自炊は殆どしないという益田なので、冷蔵庫の中にあるのは先週上杉が残していった食材の残り程度と考えていた方が良く、そんな物で何が作れるというのか。

そして濡れた格好では外食も出来ず、ならば残された選択は出前しかない。

わざわざ自分が来ていながら夕食が出前、というのを益田に申し訳なく感じながら、上杉はバッグを適当に置き、一人バスルームへと向かったのだった。



***


自分の家よりも広く暖かいバスルーム。

全身に湯を浴び手早く洗うと、小さっぱりとし上杉はそこからあがった。

二人で入ればなんだかんだと時間が過ぎてしまう風呂も、一人ならば別段する事もなくて、洗うだけ洗えばさっさと終わる。

短い髪は洗い晒しで、益田が用意してくれたバスタオルで乱雑に拭く。

パウダールームで脱いだ筈のスーツ一式が無くなっている事を思えば、益田が持っていったのだろう。

濡れている事を気にしてくれていたのでどこか風通しの良いところにつってくれているのかも知れない。

さすが、女の子を『商品』と扱う商売をしているだけあり、益田はとても気遣いの出来る人だ。

もっとも、益田のそれとは違い上杉のスーツなど量販店の吊し売りのスーツでしかない為、そんなにも丁寧に扱ってもらえば申し訳なくもあるのだが。

代わりに用意されていた部屋着のスエットを身に纏い、上杉は唯一の部屋へと戻った。

「・・・あれ?益田さん?」

「あ、あがった?早かったね。もうすぐ出来るから待っててくれる?」

リビングと間続きのキッチン。

風呂から上がった上杉を待っていたのは、そのキッチンに立つ益田の姿であった。

彼の前には湯の立つ鍋。

そこから漂う香りはどう考えても───

「益田さん、ラーメン?」

「うん。あ、風呂あがりにラーメン、きつい?」

「いえ、それは大丈夫ですけど」

「ごめんね、こんな物しか作れなくて」

「そんな事もないんですけど・・・」

「出前さ、とろうかと思ってたんだけど、金曜の夜のこの時間なんて、どこも混んでだろうなぁと思ってね。袋緬ならあったから」

益田の横へ立った上杉に、彼はチラリと笑んで見せた。

鍋の中には、インスタントラーメンとキャベツと卵が煮え立っている。

「こんなもんかな」

気を利かせ上杉が棚から取り出した丼に、益田は鍋から作ったばかりのラーメンを注ぐ。

有り触れたどこにでも売っている、上杉自身も意識せず頻繁に食べている有名メーカーのインスタントラーメン。

けれど、それを作ったのが益田だと思うだけで、それはこれでもかとご馳走に思えた。

キラキラと光って見えたのは、決してラーメンの油のせいだけではないだろう。

「おいしそうです。作ってくれてありがとうございます」

「どういたしまして。ま、いっつも和人が作ってくれる手の込んだものとは比べ物にならないけど。召し上がれ」

「そんなことないです。僕は・・・僕は益田さんが作ってくれたって思うだけで、十分」

「和人は可愛い事を言うね。そんな風に言ってくれるなら、今度はもっとちゃんとした物を食べてもらいたいと思ってしまうよ」

「益田さん・・・」

それは、いつも上杉が感じている感情。

益田が喜んでくれるのが嬉しくて、興味の無かった料理を勉強しようと思えたのだ。

伝えは事もない筈の心情が不意に重なり、胸が暖かくなった。

ラーメンと箸と水の入ったグラスが一人向けのローテーブルに並べられる。

外食よりも出前よりもずっとこちらの方が良い。

今夜の夕食は、大好きな彼が作ってくれたご馳走となったのだった。



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