花、香る・お礼用SS
(まさや行かないで)



片桐の職務の第一は、地堂組組長子息・新垣一の護衛兼世話である。

そして第二は、パソコンを使用し株取引や外国為替取引、最近では地堂組の事業に対して経営コンサルディングのような事も行っている。

もっとも、そのどれもが一般的な方法ではなく至って暴力団的なやり方だ。

組に入会してまだ数か月。

年齢的にもまだ十分若造の部類に入る片桐だが、外部組織とのやり取りの窓口となる場合も多く、取引を潤滑に進める為にも幹部の役職と部下も数名与えられていた。

「急がねぇと、時間押して来てやがる・・・」

基本的に片桐はしのぎよりも一を優先するようにと、一を溺愛する新垣により言われている。

だが時には例外も出てくるというものだ。

その日片桐は日が沈みかけころ、クリーニングからあがったばかりのスーツへと着替えていた。

一の世話の大半が屋敷の中で行われ、片桐もこの屋敷で、というよりも一の部屋で寝起きすらもしている。

パソコンを使っての仕事も一の部屋だ。

つまりは一日中一の部屋に籠もっている事も珍しくなかったが、それでも片桐は毎朝律儀にスーツを着用していた。

ネクタイとジャケットこそ身につけていないが、濃い色のシャツを開襟で着用すると片桐という男の素材の良さを十分に引き立たせた。

屋敷から出ないのが前提であるならラフな服装でも良いようにも思えるが、いつ現れるか解らない新垣と顔を合わせた時にそれでは困る。

そうでなくとも、入会したてで役職すら与えられている片桐を快く思わない兄貴分に隙を見せたくもなく、部屋から出ないと解っている時であってもスーツを着込み、今日にしても例外なくそうであった。

一日中畳の上に座りっぱなしのスラックスも、むやみやたらと一に握られているシャツも皺だらけだ。

その為いくらスーツを着用と言えど、いざ外出となるとそのままの恰好では出ては行けず、こうして今私室にて着替えをしているのである。

私室はもはやクロゼットだ。

朝夕着替える為だけに使用しているようなもので、日中は元より夜寝る時ですら一度も此処に居た試しが無い。

「ネクタイはこれで良いな」

ブラックスーツに、黒いシャツ。

細くラインの入った濃い青のネクタイ。

なでつける為に長くのばしている前髪をセットし、ジャケットを羽織る。

出所した時に身につけていた物よりもワンランクもツーランクの上のこのスーツは、新垣の好意により与えられたオーダーサイズのそれで、片桐の引き締まった身体にぴたりと合わせられていた。

「・・・そろそろか、一は・・・」

腕に巻いた重厚な重みのある時計で時刻を確認する。

これは新垣が私物の中から譲り受けたもので、下品なまでにギラギラと輝いている金のロレックスだ。

シルバーの落ち着き払った輝きよりも、ゴールドの派手派手しい輝きを好むというのは、新垣と片桐の共通点だ。

ゴールドのフレームの中、文字盤にダイヤも散りばめられ一体如何ほどの価格なのかも解らないそれを、片桐は物の価値以上に大切にしている。

そうして身なりを整え終えた頃、襖が予告なく開けられた。

「お、いち」

「・・・まさや。居た」

「悪かったな。加山[かやま]はどうした?」

「いち、来た」

「それは解ってんだっての・・・」

相変わらず、一の言葉からは要点が受け取り難い。

一は、心や頭で感じ思い描いている言葉の8割を端折っているようだ。

それも、重要な点ですら容赦なく削られるので、結果言葉として伝えられるのは動詞であったり名詞であったりのいくつかだけで、そこから何かを受け取るのは困難極まりない。

加山というのは片桐の部下として宛がわれた男だ。

まだまだ若く誰にでも出来る雑用を多しつけるに便利な程度の男で、大抵はパソコンを使って行う方の仕事の手伝いをさせている。

だが片桐が出かける準備をする為いつもべったりと絡み付いてくる一を引きはがす必要があり、今日は珍しく加山に一の面倒を頼んだのだ。

しかし、やはり上手くはいかなかったようだ。

着替えたばかりのジャケットを一に容赦なくグシャリと握られそうな気配を察し、片桐は慌てて一の片方しかない腕をさりげなく掴んで止めた。

「悪いな、一。俺はこれから出かけんだ。もうすぐオヤジも帰って来るから・・・」

「いちも、行く」

「すまん、今日は無理なんだ」

「・・・なんで?」

「仕事でな」

「・・・なんで?」

「なんでって言われてもな・・・」

今晩片桐が出かけるのは、一の世話ではない方の仕事、株取引についてだ。

ある証券会社の支店長と知り合う事が出来た為、今後の良いお付き合いの為に一席設けたのである。

この一晩でどれだけの利益に繋がるのか、考えただけで背に震えが走る。

その為、今晩片桐が一を置いて屋敷を空ける事は新垣も了承している事だ。

だが片桐はそれを今の今まで一に伝えはしていなかった。

「いち、オヤジがいちと二人で飯食いに行くってよ」

「まさやも」

「俺は仕事だ」

一の、感情が表に出ない面もちの中で、唯一瞳だけが揺らいだ。

「まさや・・・」

「いち、悪いな」

空いている手で一の頭を撫でると、一はふと顔を下げる。

これは、ショックを受けているのだろうか。

だとしても連れて行ける訳ではない。

「まさや」

「朝にはいちの隣りに居るからな。少しだけ我慢してくれ」

片桐が一の腕から手を離す。

その一の手が片桐に再び延ばされるよりも早く、片桐は一から距離を空けた。

言葉で説得をしても一が理解出来るとは思えない。

もう時間はなくどうする事も出来ないと、片桐は呆然と立ち尽くす一を横目に見ながらも足早に玄関へ向かったのだった。



****

新垣が長年贔屓にしている料亭でセッティングされた会食は、まずまずの良い結果を残せたのではないだろうか。

手付として片桐が渡した現金は証券会社支店長の懐に収まった。

その支店長は今頃、今晩の為にと片桐が用意した美女と閨の中だろう。

地堂組の幹部・片桐からそこまでの接待を受けたのだからその礼がどのような形であるか、片桐そして地堂組の望みは一つだ。

帰宅中の車内、片桐は口元を満足げに歪める。

片桐が何より欲するのは、信憑性と利益率の高いインサイダーの情報だ。

資金力は今時の暴力団にとって何よりも重要な武力である。

───しかし、こうして満足できる成果であったとしても片桐はどこか落ち着かなかった。

それは今に始まった事ではなく、屋敷を出る時から変わらないもので、つまるところ屋敷に置いてきた一が気になり仕方がないのだ。

ふと時計を見ると、今は深夜を少し回った時刻。

いつもの一ならば確実に眠っている時間だ。

帰ればさっさとシャワーを浴び一の布団に潜り込もう。

そうして朝になり隣りに片桐が居る事を確認すれば、一は何事もなかったように接してくれるだろう。

屋敷を空けたのも一から離れたのも仕事の為だとはいえ、瞳を悲しげに揺らせていた一に申し訳なさばかりが浮かぶ。

「・・・・いち」

背もたれに頭を預け、無意識に呟く。

もう眠っているだろうがそれでも早く会いたい。

そうしているうちに車は屋敷へと到着し、片桐は石畳を渡り玄関を潜った。

「おつかれさまです」

「おつかれさまです」

薄明りの屋外から明かりの煌々と照らされた室内へ入るとなんとも眩しい。

屋敷に残る構成員らの声がひっそりと片桐を出迎える。

その声が抑えられていたのは深夜であるからだと思ったが、一瞬の後、玄関の端にこんもりとある布に覆われた大きな物が何であるかを知った瞬間、理由はそれだけではないと察せられた。

「・・・いち?」

大きな布───毛布を捲る。

その下には、まるで猫のように丸く蹲り眠る一が居た。

「なんでいちがンなとこで寝てやがんだ」

「片桐幹部が外出なさったあと、此処から動こうとなさらなくて。眠られてしまったのでお部屋にお運びしようとしたのですが、オヤジが此処に居させてやれと・・・」

片桐の独り言のような呟きに、出迎えた構成員の一人が困惑しながら口にした。

此処から動こうとしなかったという一は、片桐の帰宅をずっと待っていたとでもいうのだろうか。

他に理由は思い当たらない。

土間から踏み台を越え玄関に上がる。

片手で自身を覆う毛布を握る一は、頬に黒い髪を貼りつかせ瞼を震わせていた。

片桐が外出した後から今までだというなら、新垣が一と予定していた外食にも出かける事なく、もしかすると食事も摂らずに玄関に居た可能性も十分にある。

一の思惟は分かり辛く、単なる構成員はもちろんながら実父である新垣ですら半分も理解が出来ないと常々言っている為、一を説得する事も気持ちを察してやる事も出来ず、好きにさせていたとしても不思議はない。

「・・・いち。風邪ひくぞ」

片桐は毛布で一を包みその身体を抱き上げた。

真冬ではないとはいえ空調設備の整わない玄関で眠るなど、体調を崩しやしないかと心配になる。

一自身も辛くあっただろうに、そうしてまで己の帰宅を待っていたなど、申し訳なさと、そして別の感情が片桐の胸に宿った。

可愛い。

可愛くて、愛しくて、愛してやまない。

幼い言行動に似合わずその身体は成人男性である一の身体は、腕の中でずっしりと重みを感じた。

もっとも、食に興味が薄くなかなかきちんと食事を行わない一はやせ細っており、だからこそ抱き運べるようなものだ。

「朝起きたら隣りで寝てるって約束したのによ」

構成員らを玄関に残し人気のない廊下を一を抱いて歩く。

あのようなところで寝られていては片桐の方が約束を破られる結果になりそうだ。

抱き上げても一は起きる気配を見せず、眠ったまま胸にすり寄る。

もうスーツが皺になる事など気にも止めない片桐は、この日一番に満足そうな笑みを湛えたのだった。









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