花、香る・お礼用SS
(競馬場に行こう!・1)



三年のお勤めを終え数か月。

片桐にとって地堂組での日々が日常となったある日曜日。

週末は必ず見ると決めているテレビ番組を一の部屋で見ていた片桐は、ふと唇から声が漏れていた。

「・・・生で見てぇな・・・」

「・・・な、ま?」

大型テレビの前、畳の上で肘をつき横たわっている片桐の上に馬乗りになった一は、不安定にフラつきながら片桐の顔を覗きこんだ。

番組が開始してから数時間。

テレビと新聞を真剣に眺める片桐の一方、放っておかれっぱなしの一は退屈しているのだろう。

そうと解っていながら、先ほどから上に乗って来たり叩いて来たり気を引こうとしている一を更に放っておいたのが悪かったようだ。

一に馬乗りにされた程度、サホド重いとも痛いとも思わない。

けれど顔の前に来れば片桐は怒る。

それを学習してかわざとそうとして見せる一は、片桐の目の前で真っ直ぐに見つめた。

「だから、顔の前に来んなって何度も言ってんだろ。見えねぇって」

「なま?」

「あ?あぁ、教えてやるから退け」

退けと言いながらも空いている腕で一の胴を掴んだ片桐は、身体の上から一を引きずり降ろすと胸へと抱き込んだ。

腕の中に納めた一は、ごそごそと身をよじりながらも大人しくなり、どうやら一応は満足をしたようだ。

「まさや。まさや」

一が此処で大人しくしていてくれるならテレビ観戦を邪魔される事もないだろう。

片桐の前に横たわっているのが楽しいのか、一は腕や足を絡ませて来る。

おざなりにでも頭を撫でてやれば、殊更すり寄った。

やはり一は猫だ。

人の形をした子猫だ。

そう思えば何とも愛おしく、会話が成り立たなかったり行動の先が読めないところすらも可愛く感じられる。

じっとはしていないが邪魔をしなくなった一の相手をしながら、片桐は尚もテレビを見つめた。

「競馬をな、生で見てぇなぁって話だ」

「・・・、・・・けいば。まさや好き。いつも、見てる」

「そうだな。けどなぁ、テレビじゃなくて実際のレースが見てぇんだよ」

元々片桐はギャンブルが全般好きな方だが、中でも競馬が好きだ。

騎手と競走馬の相性やその日の馬場の条件を考えるのが良いし、小金から大金まで気分で遊べるのも良い。

刑務所の中では競馬中継など見せてもらえなかった為、毎週土日にテレビで見れる、新聞だって買える、という現状だけでも嬉しかった。

だがそれが日常となってしまった今、欲が出てしまうものだ。

テレビの中継ではなく、生のレースが見たい。

あの興奮と歓声をこの身で味わいたい。

けれど、そうと思ったところで行動に起こしきれない思いもあった。

「・・・いち、行かしてくれっかなぁ・・・」

一応、地堂組との当初の取り決めでは、片桐は証券取引場が休みの土日と祝日は自由にして良い事になっている。

一の世話についても同じくの筈だ。

しかしいざ此処での暮らしを初めてみると、曜日に関係なく一日中一と過ごしているのが現実だ。

それに対しこれまでは不便も不満も感じた事はない。

一が自由に振る舞うのと同等に己も好きにしているので、今にしてもそうであるが片桐がテレビを見ているのに一が絡んでくるのも邪魔さえされなければ一向に構わない。

だが、いつでも片桐とのスキンシップを望む一は、片桐が離れる事を極端に嫌う。

一日と言わず半日であっても、一は大人しく外出を許してくれるだろうか。

それだけが問題だ。

「なぁ、いち。来週俺出かけていいか?」

「・・・。いちも」

「は?いちもってか?」

「いちも」

「いちも・・・いちもかぁ」

片桐にとって競馬場は一人で行く場所だ。

その為一と一緒に行くという考えはなかったが、よく考えれば競馬場には家族連れも沢山居る。

もちろん十八歳未満の博打は禁じられているが、子供向けのヒーローショーが開催されたり世界的に有名な白い子猫の着ぐるみが居たりとするのだ。

子供を連れていける場所なら、一も連れて行けるだろうか。

「いちが見て楽しいもんなんかねぇかも知れねぇぞ?俺だってずっといちに構ってられねぇぞ?」

「いちも。まさや、一緒」

一が一つしかない手で片桐の手を取る。

それを強く握りしめると、大きく振るって見せた。

催促をしているのか、喜んでいるのか、どちらにせよ不の感情でない事は確かだ。

「仕方ねぇなぁ。大人しくついて来んだぞ」

行ってしまえば一人で行動をする方が都合が良いのは解りきっているが、出かけるまでを考えると、一を置いていく方が面倒だろう。

片桐の久しぶりの競馬観戦は、『デート』と名を変えたのであった。


*****



それから6日。

土曜日の開催を狙い片桐は一と、そして数名の舎弟を連れ東京の競馬場へと訪れた。

地堂組に入会して以来特別派手な何かをしたつもりもないが、それでも片桐には慕ってくれる先輩である部下や、何が良かったのか舎弟になりたいとやって来た若者も居る。

折角慕ってくれているのだからたまにはこいつらにも良い思いをさせてやろう───という建前で連れて来たのだが、実際は普段と変わらず小間使いに使う為だ。

大きなレースが開催される日曜程でないにしても、土曜でも十分に混雑が予想される。

本来一の護衛は片桐であるが、その片桐が競馬に集中する為にも、他の舎弟の存在は必須だ。

片桐が三年暮らした刑務所と同じ名を掲げた競馬場の看板を見ると無意識に苦笑が浮かぶ。

「やっぱ良いもんだなぁ」

西門を潜ると次第に気分が高揚して来た。

この感覚が味わいたかったのだ。

だが、最たる興奮は此処からである。

暫く行くと第一コーナーの端に出る。

そうしてその先には───。

「わ・・・・」

「広いだろ、いち」

面前に広がる緑のターフ、そして抜けるような大きな青空。

それは、都会ではどこででも見れるものではない。

「まさや、まさや」

「どうした?綺麗か?」

「うん。うん」

きっと一には此処が何処で何をする場所なのかはっきりと解っていない。

けれど、頭上の空の美しさだけは身体で感じられたのか、一は片桐の手を振るいながら何度も頷いたのだった。







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