花、香る・お礼用SS
(競馬場に行こう!・3)



一つレースが終わり次の予想に取りかかっても、柴田は戻ってこなかった。

どこで油を売っているのかさっさと戻って来て欲しい。

隣の一が煩いのだ。

「うまーうまー」

「いち、静かにしてろよ」

煩いうえに、腕を引っ張るものだから邪魔だ。

そうする仕草を可愛いと思ったのも初めのうちだけで、次第に予想に集中が出来なくなってしまっていた。

多少キツい言葉で言っても一には伝わらないが、だからといってこれ以上どうする事も出来ない。

ただただ片桐の苛立ちばかりが沸き起こり始めていると、ようやく使いにださせていた柴田が走って戻って来た。

「あ、兄貴!」

「おっせぇんだよ馬鹿。何してやがった」

後方から声を掛ける柴田に、片桐は振り返り怒鳴りつける。

大声で叫んでも周囲も騒がしいので目立つ事がないのは幸いだ。

一にぶつけられない苛立ちを柴田に八つ当たりすれば、奴は咄嗟に背筋を伸ばして見せた。

「す、すみません。それが、並んでたんすよ」

「並んでた?」

「はい。馬乗るのに整理券がいるって忘れてて。それ貰ってました」

「・・・そんなモンがあんのか」

「はい。時間に行ったら乗れます」

柴田に渡された整理券を片桐が受け取る。

競馬場で馬に乗れる場所があるというのも知らなかったので当然だが、どういうシステムになっているのかも全く知らなかった。

ただその場に行き、金を払えばそれだけで済むと思っていたがそうではないらしい。

後から聞いた話によると、競馬場での遊具や展示室も一切無料だという。

「まるでファミリーだなぁ」

子供を退屈させないように、子供でも楽しめるように。

そういった競馬場の配慮がありがたく思う日が来るなど、ましてそれが恋人に対してなど、以前の片桐なら考えもしなかった事だ。

新垣に貰った腕時計で時刻を確認すると、整理券に書かれた時間まではまだ随分とある。

ならばと、片桐は一の頭をポンポンと叩き新聞に向き直った。

「いち、うまに乗れるからな。ただもう少し待ってくれ」

「うまー」

「乗れるからな。それまで静かに出来るか?」

「・・・うん」

片桐の隣りで一が唇を結ぶ。

それでも、身体を揺らしたりそわそわと落ち着かない様子であったが、その程度ならば見逃す事にした。

一を22歳の青年と思ってはいけない。

子猫だと思え。

そうすれば一の態度の大抵は許せる。

それを片桐や一の周りに居る舎弟らにも教えてやれば、彼らもいくらかは一の扱いが解るようになったようだ。

こまめに時間を確認しながら新聞を睨みつける。

何とか次のレースの予想は立てたが、どうにも一が気になってならない。

静かにすると約束をした一だが、それもつかの間、やはり退屈をしてまた片桐に絡み始めた頃、片桐は諦めと共に盛大なため息を吐き立ち上がった。

「まぁ、良い頃合いか。じゃぁ行くか、いち」

「・・・いく?」

「あぁ。ほら。馬に乗りに行くんだろ」

新聞紙を脇に挟み片手を一に差し出す。

後ろに座っていた舎弟等も立ち上がると、一はじっと片桐を見つめた後に片桐へと抱きついた。

「おい、いち。ちげぇよ。手だ、手」

「・・・いち、だっこ」

「ここは外だから駄目だ」

「だっこ!」

周囲がうるさくて本当に良かった。

それでも近くに居た通りすがりの人からは視線を集めてしまうというのに、当の一はまるで気にした素振りが無い。

散々退屈をさせたので一の希望を叶えてやりたい気持ちはある。

されど、見た目だけは立派に大人である一が、いかにもヤクザものである片桐に抱かれていれば嫌でも目を惹くというもの。

そのうえ一は片腕で、好奇の視線は免れない。

本来片桐自身は人目をあまり気にするタイプではなく、モラリストだとも考えてはいないとはいえ、それでも限度という物はある。

何より、己ではなく一が笑われる場面に出くわせば、黙っていられる自信はない。

せっかくの競馬場で、騒ぎは御免だ。

「いち、後でな」

「・・・・」

「おい、いち」

一が片桐の胸を平手で叩く。

その程度痛くも痒くもないが、怒っているのだろう一が心配だ。

一の面持を覗きこもうとした片桐だが、一方の一は片桐を叩いた事で満足をしたのか、何事も無かったようにその手を繋いだ。

まったく、一の考えている事はやはりよく解らない。

「あとで」

「あぁ。後でな」

もっとも、一の考える『後で』と片桐の考えるそれが同じくであるとは解らないので、その辺りも対策が必要そうだ。

いちが手を大きく降りながら歩く。

新垣の話しによるとあまり人の多いところには来た事がないらしいので、人ごみも珍しくて楽しいのだろう。

建物の中を進み、柴田の案内目的まで目指す。

片桐の見慣れた場所もあるが、普段気にもしない場所もある。

馬と猫の着ぐるみに一は興味をひいていたが、時間があるからとそこから引き離し馬に乗る場所、乗馬センターまで向かった。

「あっちです」

「・・・ここか」

競馬場の隅に乗馬センターがあるのはなんとなく知っていたが、そこで乗馬体験をしていたのは知らなかった。

指定の場所には既に列が出来ており、女と子供が目立つそこに片桐は一の手を引いたまま並んだ。

すぐ近くに厩舎に入った馬が何頭も見える。

「うまーうまー」

「あぁ、もうすぐだからな」

一も興奮をしているのだろう。

忙しなく落ち着かない様子も、その声も、いつもの一とはまるで違う。

そうして列を並んでいると、いよいよ一の順になった。

乗馬といえど簡単なもので、小さな円をスタッフが手綱を持った馬で一回りするだけだ。

馬に乗るのも、馬に横づけをされた階段を使うので、子供でも一人で簡単に乗れるようだ。

「じゃぁ俺はここで見てるからな」

一から手を離し、スタッフに預ける。

問題はないと思いながらも、やはり一は片腕だという想いから心配にはなった。

けれど一は、その片桐の心情など知りもしないのだろう。

「・・・わぁ。わぁ。うまーうまー」

「ちゃんと掴まってろよ。・・・見てる方が怖ぇなぁ・・・・でも」

いつもとは逆に、片桐よりも一が目線が高い。

そこに居る一は───なんとも嬉しげに目を細めていた。

「俺にもあんな顔した事ねぇくせによぉ」

一の表情はあまりない。

けれど、全くない訳ではないし、機能がない訳でもなくて、今こうして嬉しげにしている。

「まさやぁ」

馬に負けた。

それは悔しい。

けれどそれ以上に、一の笑顔を見られたのは何よりの収穫だと、幼げな口調で名を呼ぶ一に片桐はつられて笑みを返しながら手を振ったのだった。



  

+目次+