花、香る・お礼用SS
(エがない)



いつもと変わらぬ宵の口。

一と共に入った風呂から上がった片桐は、膝の前に座らせた一の頭を拭いていた。

片腕という事と、それ以上に自立心の無い一は自分で髪を拭こうとしない。

だが放って置き風邪をひいては大変なので一の髪を拭くのは長年護衛の仕事となっている。

そして現在それは片桐の役目であった。

風呂場で全身を洗うのも髪を洗うのも上がった後に拭くのも片桐だ。

そこに面倒など感じはせず、ただただ身体を預けてくる一に妙な支配欲を感じている。

それは毎日の事だ。

だが今日は、一の様子に少し違和感を感じていた。

「いち、どうしたんだ?」

「・・・んー」

「だるいのか?」

「ん・・・」

何を聞いても答えらしい答えは返ってこなかったが、やはり一の様子はおかしく感じられた。

いつもなら髪を拭いている時の一はじっとしていない。

すぐに片桐を振り返ろうとしたり触れようとしたりとするか、もしくは興味のあるテレビに夢中になり髪を拭かれていると意識はいかないか、どちらかだ。

だが今はそのどちらでもなく、テレビはついていないが大人しくしている。

その状態は楽であったが、違和感を感じずにはいられない。

「おい、いち。どうしたんだ」

「・・・まさや」

髪を拭いていた手を止め、片桐が一をのぞき込む。

その表情はいつも通り無表情に近く、何を考えているのかは察せられなかった。

「ほら、何かあったなら言え」

一を見ただけでその心情を読み取れる場面は少なく、ならば聞くしかない。

聞いても一はなかなか言葉にしない。

『しない』というより『出来ない』のだと解っているので、後は根気よく待つだけだ。

「どうした、いち?」

片桐が一の髪を撫でると、タオルドライをしただけのそこはまだ少し湿り気を帯びていた。

一の瞳を眺め片桐が微笑む。

そうすると暫くして、一は片桐を見返し小さく口を開いた。

「いち、手、ない」

「そうだな。それがどうした?」

「だから、え、ない」

「・・・は?」

「え、ない」

「・・・」

一の手が片桐の腕をつかむと、真っ直ぐに見つめられた瞳からはようやくそこに悲観の色を見た。

一は何かを訴えている。

けれどそれが何であるか、片桐には解らなかった。

「いち、なんだそれは」

「えー」

「え?え、ってなん・・・」

「えー!」

抑揚の薄い一の声音が大きく叫ぶ。

苛立っているのだろうがそれでも解らず、困惑から眉間に皺を寄せていると一が片桐の背中を叩いた。

「えー、ない。いち、ない」

「・・・っ・・・お前」

一に叩かれても痛くはないが、それでも一の手の感覚は残る。

ようやく解った。

叩かれた場所、そこにある『え』。

つまるところ一は───刺青を指しているのだろう。

それは続けられた一の言葉で確信へと変わった。

「まさやも、おとさんもある。いちない」

「・・・あぁ」

片桐の背中にはそれは厳めしい雷神が描かれている。

そして一の父・新垣には、背中だけでなく腕や足に至るまで広範囲に渡り極彩色が刺されている。

片桐以前の護衛はただ一を風呂に入れただけだという。

ならば、もしも一が裸体を知っている男が新垣と片桐だけだというなら、何らかの勘違いをしているのだろう。

ない、ない、という一に返す言葉を探していると、ふと一が顔を下げた。

「いち、手、ない。だから、絵、ない」

「それは違うぞ」

「・・・?」

咄嗟に唇をついた片桐を、一は無表情ながら首を傾げて見上げた。

一は何故今日、今頃になってそのような事を言い出したのかは不明だ。

今までも片桐とは風呂に入っていたのだし、新垣とも入っていた筈である。

だがその理由を考えるつもりは片桐にはなかった。

一の思考は特殊で突拍子もなく、いくら考えてもたどり着けるとは思えないのでそれは何であっても良い。

しかし妙な勘違いをしているのは放っておけそうにはなかった。

一は、背中の絵───刺青が無いのは腕も無いからだと言っている。

だがそれは断じて関係が無い。

むしろ背中に彫り物が入っている片桐と新垣が特殊なのだ。

うなだれた様子の一に片桐は一際困惑をした。

何というべきか。

きちんと話して一は理解をしてくれるだろうか。

探るように一を眺めた片桐は、その頭を撫でながら言葉を探して口を開いた。

「いち、これは特別なもんだ。本当は皆ねぇんだよ。俺とオヤジと・・・まぁ、組のモンは結構居るかもしれねぇが、それでも全員じゃねぇ」

「・・・いちも」

「は?」

「いちも、えー」

一の手が再び片桐の背中を叩く。

それが何を訴えているのか、今度は直ぐに理解が出来た。

法律上、一は成人をしているので可能と言えば可能だ。

だが。

「絶対駄目だ!」

「・・・まさ」

「それだけは駄目だ」

「・・・、まさぁ」

「っ・・・」

一の上をいく大声で、片桐は一を制した。

その途端一は項垂れて見せ、その様子はなんとも悲しげだ。

だが、言葉を選んでいる余裕も片桐には持てなかったのである。

一が刺青を入れるなど。

そこに特別な理由がありどうしてもというなら認めない事もないが、出来るなら、そのような姿は見たくない。

「いち、まさといっしょの」

それもどうやら一はただ、皆がある刺青を自身も欲しいだけのようだ。

そのような不純な動機では絶対に認められない。

「これだけは駄目だ」

「まさぁ・・・いちも。いちも」

「あのな。遊びじゃねぇんだよ。痛いんだぞ?」

「いち、我慢する。いちも。いちもいっしょ」

「あのな・・・」

刺青のなんたるかを一が解っているとは思えない。

だが、単に反対をしたところで一はそれを受け入れないだろう。

思案に眉を潜めていた片桐は、ふと思いついた事を咄嗟に口にしていた。

「そんなに揃いがいいなら、今度揃いの何か買ってやるからな。それでどうだ?」

「・・・そろい?お揃い?」

「あぁ。そうだ。そっちの方が良いだろ?」

「・・・、・・・いち、まさやとお揃いの」

一が、何度も繰り返し頷く。

刺青は諦め、そして妥協策に納得をしてくれたようだ。

「そうか、一。良い子だ」

「いち、まさや好き」

「俺もいちが好きだぞ」

全身でぶつかるように抱きついてくる一を片桐は両腕で抱きとめた。

『揃いの何か』を一は何だと言って来るだろうか。

それもまた未知数だ。

置物や日用品なら問題はない。

衣料品は厳しいが、何にしても刺青のお揃いよりマシだ。

「今日もやるか?」

「いち、する。いち、まさやとエッチ」

片桐に絡みつく一にそっと口づける。

この白く細い背中に雷神が描かれるなどと考えたくもない。

だが、もしも一に刺青が全身に入ったとしても、なんだかんだと言いながらもそのような一もまた愛してしまうのだろう。

どうしたって一が愛しくて仕方がないのだ。

口づけだけでぼんやりとする一の身体を離すと、片桐は既に敷かれているダブルサイズの布団の上へ一を誘ったのだった。


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