ヤクザものシリーズ・お礼用SS
(長谷川の代理候補・6)



遠藤が帰宅したのは、ちょうど実が風呂に入ろうとしている頃であった。

玄関が騒がしくなり、人の気配もする。

それを感じれば桃井はこれでもかと全身に緊張が走った。

玄関とリビングルームを仕切る扉が外側から開けられる。

その瞬間、場の空気がガラリと急変したのは気のせいではない。

「お、おつかれさまです」

遠藤と、その第一の側近である千原が部屋へと足を踏み入れる。

霧島組の若頭と若頭補佐。

この二人を同時に、それもこんなにも近い距離で見たのは初めてだ。

その威圧感は凄まじく息をするのも憚られる。

霧島組のブレーンとされる遠藤であるが、その腕っ節も並ではないのだろう。

きっちりと着込んだスーツの上からでも解る肩幅や胸や胴の厚みが威圧感を更に増させていた。

勢いよく頭を下げる桃井に遠藤は一瞥もくれない。

ただその視線は一点に向かっているようで、遠藤の背後で千原が仕切扉を閉めた音が聞こえたと同時に、それまでただ厳めしく研ぎ澄まさされていたばかりの遠藤の眼差しがふと緩められた。

「・・・あ。ゆた!ゆた、おかえり」

壁際で身を堅くするばかりの桃井の前を通り、風呂に入る為上半身の衣類を取り払った実が遠藤の元に駆け寄る。

もっとも、足の悪い実だ。

普段よりも早くそうしたところで、走るというには遅すぎた。

賢明に身体を揺らせながら遠藤の元へ向かおうとする実。

その後ろでは、それまで何でも実に手を差し伸べていた長谷川が人が変わったように大人しく、片手で片手の手首を握ると下を向いて立っていた。

上半身が裸になった実を見ると、当然ながら男の身体だ。

薄っぺらく筋肉もついていない、成長途中とばかりの青年の胸。

女性の裸体の胸ならばともかく、実のそれを見ても良くも悪くも何も感じない。

実が賢明に歩く距離をたった数歩で詰めた遠藤は、スーツのジャケットを脱ぐと無言のまま実の肩に掛けた。

その行為は意外だ。

まるで隠すようにそうされても、実は動じずじっとしていた。

「ただいま。なんでンな格好してんだ」

その声は外観に良く合う低く、落ち着いたものであった。

このような男、桃井の周囲にはいない。

同世代や年齢が上の友人・知人にもまるで無いものを感じさせられる。

桃井はヤクザになりたくてなった訳ではないし、そういった世界に憧れを抱いていた訳でもない。

だが、この遠藤という男はどこか引きつけられるものがある。

少し見ただけでも、外観も立ち振る舞いも声も一つ一つが印象的に桃井の中に残った。

「えっとね。おふろ。はいるから」

「脱ぐなら脱衣場で脱げ。無駄に晒すな」

「へ?・・・、・・・ゆたのおようふく、おもいね。や」

この遠藤が、この実を愛人として囲っている。

目の前で二人を見れば見るほど、それは信じられない思いだ。

名目上は愛人であっても実体はそうではないのではないか。

そもそも実が愛人だというのは何かの聞き間違いだったのではないか。

そう考えてしまう程、遠藤という男が実のような幼い少年を囲っているようには感じられなかった。

遠藤の手が実の頭に掛けられる。

筋張った手は使い込まれた色をしており、強さと痛みを知るその手が実の頭をグシャグシャと撫でた。

「良い子してたか?」

「みのね、してた」

「そうか。今日はその男が一緒だったらしぃじゃねぇか。どうだった?」

ドキッと、心臓が大きく鳴る。

よもや遠藤は自分の事など見えていないのではないかと思っていたというのに。

不意に名を呼ばれ、背に痺れが走るように背筋が伸びる。

実は何と言うだろうか。

それ如何によって、己の未来は決まる。

「・・・どう・・・」

満面の笑みで遠藤に頭を撫でられた実は、彼を見上げたまま首を傾げた。

数秒が、数分にも感じられる。

うまく呼吸も出来ないまま実を見つめ続けたが、しかし桃井がその答えを耳にする事はなかった。

「まぁ、いい。風呂入るぞ。ゆっくり考えとけ」

言うなり、遠藤は実の身体を抱き上げた。

遠藤のジャケットを羽織った小柄な実。

それを担ぐ遠藤からは、険のようなものが消えていた。

「・・・」

「実はあったけぇなぁ」

「みの、あったかい?」

「あぁ。やんだろ、風呂で?」

「やる・・・・うん、みのね、ゆたとね、えっちする」

遠藤に担がれても平然としている実が、元気に答えた。

幼い容貌の実が、厳めしい風貌の遠藤と。

繋がらないと思っていた点と点が無理矢理につなげられた心境は、一瞬胸がつまった。

「早く実を食っちまいてぇなぁ。いや、実に食ってもらうのも良いな」

「・・・みの、くう?」

「俺のもんしゃぶれ。な」

もう、遠藤には桃井も、長谷川も千原も目に入っていないのだろう。

低く落ち着いた印象だった遠藤の声。

そこに甘さをこれでもかと加えながら、遠藤は奥のパウダールームへと向かっていった。

「・・・え」

印象が、随分と違う。

初めて間近で見た彼を男としてかっこいいと感じたのもつかの間。

今見ている遠藤は、それとはどこかが大きく違うようだ。

呆然と立ち尽くす。

遠藤と実がリビングルームの向こうへと消えてゆきパタリと扉がしまる音を聞き、桃井は今日の職務の終わりを知った。

「・・・、・・・」

「桃井、ご苦労だったな」

動くことも出来ず二人が消えた方を眺める桃井に、不意に千原が声を掛けた。

千原も威圧感は凄まじい。

だが今の桃井には、遠藤がいなくなった分だけ十分に息がしやすくなっていた。

「お、お疲れさま、です」

「どうだった、実さんのお世話は」

「どう、えっと・・・俺も上手く出来ず実さんにはご迷惑を・・・」

「建前はいい。そうだな、飲みに行くか」

「兄貴、俺も俺も」

「長谷川は関係ねぇだろ。しゃぁねぇな」

千原が桃井の背を叩く。

大きな力強いその手からは、労りを感じる。

一日は一旦終わり、どうやら第二ラウンドが始まるようだ。

実と遠藤の消えた扉をチラリと見やる。

実は遠藤に何というのだろうか。

きっと実は悪くは言わないのではないかと、どことなくそんな気がした。

「おい、行くぞ桃井。なんだ、俺と飲みに行けぇのか?」

「いえ。失礼しました」

霧島組の若頭の家を、若頭補佐と共に後にする。

それは裏路地をかけずり回っていた頃に比べれば随分な進歩だが、しかし此処に居ても高見は目指せそうにはない。

今日一日長谷川を見ていて感じたのだ。

此処は、踏み台とする場所ではないし、踏み台になどならない場所だ。

「兄貴、肉食いたいっす、肉」

「馬鹿、飲みに行くんだつってんだろ」

それでも長谷川が此処にいる理由はきっと、奴には高見など興味はないからだろう。

高見を目指すよりも選んだ物。

それが何であるのか、桃井にも解る気がした。

「桃井、酒は飲めるんだろうな」

「はい、それなりには」

そして桃井もまた、それに興味を持ち始めていた。

遠藤若頭の愛人。

幼い容貌と口調の青年。

実は、不思議だ。

千原らと共に遠藤の家を出る。

もしも実が望んでくれるなら、また此処に来たいと心から想う。

その時はもう少し、きちんと実と向き合ってみたい。

閉まった扉に頭を下げる。

実と過ごした時間、それは確実に桃井に変化を与えていたのだった。



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