ヤクザものシリーズ・お礼用SS
(香坂という男・前編)



大阪ミナミのネオン街。

社屋近くのこのキャバクラで、上島は同僚の美原暁と飲んでいた。

「乾杯や!」

「もぉ、上島さん乾杯何回目よぉ」

「えぇねん、えぇねん。何回しても」

ソファーをコの字型に置いたボックス席。

両サイドにホステス、中央に男二人が並ぶ形で座り、上島は高らかにグラスを掲げた。

もっともホステスの一人が冗談交じりで言うように、この乾杯は数度目のそれで既に飲み始めて小一時間が経っている。

二人で進めていたプロジェクトが一段落がつき、今日はその内祝いだ。

以前はいつでも飲み誘えば応えてくれた暁だというのに最近めっきりと付き合いが悪くなっていたが、今日はなんとか口説き落として来たのである。

「美原も飲みや」

「飲んでるってば」

「なんや標準語で気取りよって」

「だから気取ってないって。お前酔うの早過ぎ」

チビチビとグラスを口にする暁に、上島はふざけた仕草で軽くぶつかってみせた。

上島は暁と同い年の同期入社。

入社当時は部署は違っていたが、二年前から同じ部署となり何かと協力し合う事も多い間柄だ。

今の部署に移ったのは暁の方が三ヶ月程先だったと記憶する。

ヴァロォール社の若手の花形と呼ばれる部署である事も要因してか、野心が伺えずあっさりとしている暁をやっかむ先輩は多い。

上島からすれば野心がない同僚はライバルが減りありがたいのだが、しかし野心はなくともそつなく仕事をこなしてしまう暁を面白くは思っていないのも事実

今回のプロジェクトにしても、上島よりも暁の功績が大きいというのが上の評価のようだ。

あからさまなその上司の態度にも暁は鼻に掛けた様子もなく、それがまや小憎たらしい。

上島もこの部署で働き続けられるだけありそれなりの実力はあると自負している。

けれど暁には、勝てない。

暁を嫌いな訳ではない。

ただ少し、暁にも己の方が勝っている部分を見せつけたくて、そうして今日わざわざ上島は暁をつれ居酒屋ではなくキャバクラへ来たのだ。

「お前こういうとこ慣れへんねんて?」

「うん、まぁ・・・」

「えー、そぉなん?そんな風に見えへんねぇ」

暁の隣のホステスが暁の太ももに触れ顔を覗き込んでいる。

上島の隣のホステスは指一本触れてこないというのに。

確かに暁の顔は良いかもしれない。

身長も平均男性よりは高いかもしれないし、仕事も出来るかもしれない。

だが、男の優劣はそれだけで決まる物ではない筈だ。

背もたれに寄りかかり上島は足を組み替えた。

「そういう上島は慣れてるのか?」

「まぁな。少なぁともお前よりはな。なんせ俺、昔から結構遊んでる方やし」

「へぇ」

ふと、全員の視線が上島に集まる。

この感覚が欲しかったのだ。

ニヤリと唇の端を釣り上げ上島はここぞと続けた。

「仕事ばっかぁしてる人生もしょぉもないやろ?やっぱぁ、それなりに遊ばな」

「そりゃそうだけどさ」

「言うてもお前、なんや大人しそうやからなぁ。ちゃんと彼女居るか?彼女居ったかて、それ以外の子と遊んでこそ甲斐性やで」

「そんなものか?」

「当たり前やないか。なぁ」

隣りに座るホステスに同意を求めながら片手にしたグラスを大きく煽る。

何も、それを上島が実行しているとも、出来ているとも言ってはいない。

重要なのはそこではないのだ。

ただ、あたかも自分には複数の女性が居る、そう暁に印象付けたかっただけだ。

得意げな面持を装う上島を暁が眺めている。

その眼差しに羨望の色が宿っているか見てやろうとした、その時だ。

「・・・は?」

「・・・なんで居るんだよ」

「なんや?」

暁の瞳には、羨望の色など映ってはいない。

それどころかさも嫌悪感を含んだように眉間に皺を寄せては、上島ではなくホールの向こう側を見ていた。

「いや、ごめん。ちょっと煩くなるかも・・・」

「だからなんやて───」

意味が解らない。

ただ解るのは、暁が今しがたの話しに関心を示していないようだという事だけだ。

そこに腹立たしさを感じ、上島は無意識のうちに暁の視線を追った。

オレンジ色の照明がやや薄暗く灯された店内。

そこに何があるというのか、それは直ぐに見つけられた。

「・・・ぇ」

「あ、暁おった!あーきらー」

「叫ぶな、恥ずかしいだろ!」

そこに居たのは二人の男で、一人は中年を過ぎた黒服、もう一人は今暁を呼んだ人物だ。

その暁を呼んだ男を目に上島は息を呑んだ。

年齢は三十代前半だろうか、己らと差ほど変わらない程度。

しかし、身長も体格も、上島とは一回りも二回りも優れた物を持つ男であった。

容姿にしても証明の少し落とされた店内で見る限りパッと目の惹く二枚目だ。

店内のボーイやホステスの視線が彼に集まっている気すらした。

ただ立っているだけでも威圧感のような、同世代の友人には感じた事のないものを感じさせられる。

この男は何者なのかと考えているうちに、男はテーブルの前まで来ると片手をスラックスのポケットにつっこんだまま二人を見下ろした

「なんで甲斐が此処に居るんだよ」

「暁が遅うなるいうからやなぁ」

「だからって来る事ないだろ」

暁がさも嫌そうな顔を男に向ける

友人なのだろうか。

二人の会話だけではその関係までは察せられなかったが、少なくとも暁は彼の出現を快く思っていない事は確かだ。

席を勧めようともしない暁を上島は黙って眺めた。

「そんな邪険せんでも。俺、悲しいわ」

「同僚と一緒なんだよ。見たら解るだろ。だから───」

「せやせや、そやな。そりゃぁちゃんと挨拶せなな。俺とした事が失礼してもうたなぁ」

「そんな事言ってるんじゃ・・・」

「はじめまして、香坂言います。いっつも暁が世話なってるみたいで」

「え?あ、はい。こちらこそ、上島、言います」

不意に声をかけられ、上島は素っ頓狂な声を上げた。

腰を折り笑みを向ける香坂と名乗った男に、咄嗟のぎくしゃくとした微笑を浮かべた。

名前は知れてもやはり正体のわからない香坂にどう接して良いのかも解らない。

「上島さんですか、こんな暁ですけど、どうぞよろしゅうしたってくださいね」

「こんな、ってなんだよ。いきなり呼んでもないのに来るような甲斐に言われたくない。もう良いだろ。帰れよ」

「えぇー。来たばっかりやん」

「そもそも呼んでない。帰れって」

友好的な雰囲気の香坂に対し、暁は『帰れ』の一点張りだ。

心底嫌そうな顔をしている暁を見ると二人は仲が悪いかもしれないとも思ったが、本当に嫌いな人間に面と向かって『帰れ』と言うだろうか。

ならばこれは逆で、仲が良いからこその言葉かも知れない。

そして、突然の香坂の出現に気を使っているのかも知れない。

そう考え至ると、上島は形良く笑みを作り片手で席を指してみせた。

「美原、あんまり友達邪険にしなや。折角来はったんやし少しぐらい・・・」

「上島さんは話解る───」

「上島、そんな事言うなよ。本気にして調子に乗るし、絶対『少し』で帰らないから。甲斐、帰ってよ」

ノリ気の香坂に暁は冷たく言い捨てる。

仲の良さの真偽は不明だが、暁の『帰れ』は本心のようだ。

やはり仲の良くない、いっそ悪い間からなのかと疑い始めた時、香坂はあっさりと片手を振ってみせた。

「まぁえぇわ。そない暁が言うんやったらしゃぁないなぁ。顔見に来ただけ言うんもほんまやから今日は帰るわ」

「・・・ぁ」

思えば、暁の『帰れ』の連呼に気を取られていたが、香坂は一度も『己も飲みたい』という主旨の言葉は告げていない。

だという事は、本当にただ暁の顔を見に来ただけなのだろうか。

「うん、そうして。・・・・あ、上島は関係ないからな。余計な事するなよ」

「は?それって・・・」

突然上島にすれば何の脈略もなく己の名が呼ばれ暁を見やった。

何が関係ないというのか。

余計な事とは何か。

主語のないそれにも、香坂はきちんと理解をしたようだ。

「それは暁の態度次第やなぁ。午前様はせんときな」

「・・・やる事が小さい」

「それも愛やな。まぁ、そういうこっちゃ。じゃぁ上島さん、俺は失礼します。また」

「あ、あ、はい。また・・・」

咄嗟に返答を返す。

まるで嵐だ。

頭の上に疑問符が浮かぶばかりの上島を取残し、香坂はさっさと踵を返し帰っていった。

彼の後ろについていた黒服の男も消え、上島と暁の隣に座るホステスがホッと息をついたのが解った。

やはりあの男はただ者ではないようだ。

だが、だからといって何者なのかは依然解らない。

「上島、悪かったな。騒がしくしちゃって」

「いや、良んやけどな。でも良かったんか?知り合いなんやろ?」

「良いんだよ。呼んでもないのに来る甲斐が悪いんだ」

「・・・仲、悪いん?」

「え?」

「いや、あんまり『帰れ』言うてたから」

「あぁ、そういうことじゃなくて、甲斐は───」

「失礼します。こちら、お客様からです」

暁の言葉を遮るよう現れたボーイは、ポーカーフェイスでボトルを一本、テーブルに置いた。

ずっしりとした太さのあるそれはシャンパンのようだ。

何故こんなものが来たのか。

お客様から、というのはどういうことか。

呆然とボトルを見つめる上島の隣で、暁が盛大にため息をついてみせた。

「・・・上島、今日ここの会計、甲斐持ちで良いよ」

「は?甲斐って、香坂さんやろ?なんでやねん。っていうかこれ・・・」

「うん、甲斐から」

「わぁ、ドンペリのピンクだ」

「それって、めっちゃ高いやつちゃうん。そんな・・・」

ホステスがドン・ペリニヨンだというボトルと一際眉間に皺を寄せる暁を交互に見やる。

暁は、こんなにも掴めない男だっただろうか。

オフィスでの彼は、ありふれた、少し仕事の出来るだけの同僚だ。

だが今は、多くの謎が浮かんでは解決されないまま漂っている。

「余計な事するなって、こういう事も含めてだったんだけどなぁ・・・ま、いっか。折角だし飲もう。他にも頼みたい物あったら頼んでいいよ」

「なんやそれ。そんなんいきなり言われても・・・」

「大丈夫。上島が俺に触らなかったら問題ないから。」

「は?何やそれ」

「とりあえず、えっと君、場所変わってもらって良い?」

「え?うん、かまへんよ」

独り言のように言いながら、暁は隣のホステスと席を代わり上島と距離を取った。

暁の行動の意味が分からない。

何故此処にドンペリがあるのかも、何故あの一瞬現れただけの男に会計を持たせようとするのかも解らなかった。

上島の知っている美原という男は、モラリストであり決して図々しくはない。

だということは、あの香坂とは何らかの特別なのおだろう。

それがどのような関係なのか、ドン・ペリニヨンをぽんと置いていける程の人物なのか、もはや考えても解りそうにはない。

「さ、飲もう」

「あ、あぁ」

暁の音頭でホステスがグラスに琥珀色のアルコールを注ぐ。

小さな気泡が弾け、店内のオレンジ色のライトに反射し綺麗だ。

仕事でも容姿でもかなわない暁を見返してやろうと思いキャバクラにやってきた。

けれど今、様々なものを見返されてしまった気がした。

正確に言うならばそれは暁にではなく、暁の友人の男の出現によってだ。

だというのにこの気持ちの収まりの悪さは何だろう。

手の中の香坂が置いていったアルコール。

初めて飲むドンペリは、どことなく苦かったのだった。



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