花、香る・お礼用SS
(お父さんは嫌)



それは、ありふれた夕食での事だった。

地堂組本部。

純日本家屋の屋敷の中央奥の畳敷きのその部屋で、磨き上げられた座卓を片桐と一そして新垣組長が囲んでいた。

「いち、手ぇ離せ」

「や」

「飯くらい自分で食えつってんだろ」

「や。やぁ」

片桐と一が揃って座る正面に新垣が腰を据えている。

双方を隔てる座卓の上には、日本家屋にはやや似つかわしくない洋食メニューが並べられていた。

サラダにスープ。

メインディッシュはステーキだ。

ステーキは既に切り分けられておりフォーク一つで食べられるようになっている。

だというのに。

一つしかない手を片桐とつなぎ合わせ、一は大口を開けていた。

いつもの事だ。

何かにつけて甘えようとする一は、食事の場面でも片桐に手をやかせようとする。

普段、二人きりの場合はそれを可愛く感じられたが、こうして新垣組長が───一の実父であり、片桐にとっても盃を交わしたオヤジである彼の前というのは同じようには思い切れないところがあった。

ただでさえ一と新垣と三人での食事というだけでも妙な気分なのだ。

だというのに人目をはばからない一に胃が痛む思いすらする。

新垣の視線が痛い。

言動行動全てが幼い割に図体と力はそれなりにある一に握られている手も痛い。

繋ぎ合わせた手を無理に払う事は出来るし、一にフォークを握らせる事も出来る。

けれどそうしてしまえば不満に満ちた一が喚くだろう事を想像出来き、現状の方がいくらかはましにも思えた。

「・・・今日だけだからな」

「あー」

片桐のフォークで一の皿の肉を突き刺せばそれを口へと運んでやる。

大口を開けるそこへ放り込み、一は頷くように頭を上下させながら租借をした。

一は馬鹿な訳ではない。

ただ、感情を上手く伝えられず、後先も考えられないだけだ。

それが単なる性格ではなく生まれ持ってのものだとくれば、大抵の事は仕方がないと思えてしまうものなのかも知れない。

それは片桐よりも一とのつき合いの長い新垣も同じなのだろう。

面白くない物を見るように正面の二人を眺めている。

けれど新垣がこのような場面を目撃するのは初めてではなく、三人で食事をすればこうなると分かった上で場を設けているのは新垣自身だ。

「まさや、まさや。食べた」

「そうか。次は自分で食うか?」

「や」

「・・・そうかよ」

自分の皿の肉を口に突っ込み、租借しながら隣の皿の肉をフォークに突き刺せばそれを一へと向ける。

会話らしい会話はない。

片桐も新垣も一の前で組関連の話をしようとはしないので仕事の話はなく、一との会話は会話として成立しない。

あるとするなら、一が何かを言った事に対して返答を返すくらいだろうか。

己の食事をしながら一へ料理を運ぶ。

それを繰り返しながら座卓の上に並ぶ皿の大半が空となった頃、面前の新垣がとってつけたような明るい声を上げた。

「一、久しぶりに一緒に風呂入るか」

無音だった室内にそれははっきりと響く。

片桐の手は止まり、一は口を動かしながら真っ直ぐに前を向いた。

片桐がこの屋敷に来るまで、一の世話の多くをしていたのは新垣で、一が唯一心を許していたのも新垣だ。

しかしそれは片桐が現れてから一変している。

その事実を新垣が大手を振って喜んでいるわけではないという事は片桐は知っていた。

これまで身体が不自由な事や新垣が塀の中に居た事もあり、不憫な思いをしていた一に愛し合える存在が現れた事は喜ばしく感じているようだ。

だがその一方で、一の興味が一切新垣へ向かなくなった事は不服らしく、今にしても三人で食事をと申し出ているのはその辺りが要因しているのだろう。

片腕で、そのうえやる気もなくて、一人では満足に風呂も入らない一の世話をやいているのは片桐だ。

片桐としては新垣の命令であれば、たった一日程度身を引く準備は出来ている。

一は大切な可愛い恋人であるが、新垣はついていくと心に決めた親父だ。

「そうしろ、いち。良かったな」

新垣にしても毎日風呂に入る事を望んでいるわけではないだろう。

一日、それだけの事で彼は納得をする筈だ。

むしろこれは良い機会だったのだろうと考えた片桐は、口元に笑みを作ると握っていたフォークを離し一の頭を撫でようとした。

だが、片桐が一の頭に触れるより前だ。

新垣を眺めていた一が、大きな仕草で首を横へと振った。

「や」

「・・・は?」

「いち、や」

「嫌って事ねぇだろ。一、たまには良いじゃねぇか」

一瞬、場の空気が凍り付いた。

片桐は尚も凍り付いている。

まさか一が否定をするなど考えてもみなかった。

それでも新垣は食い下がってみせたが、一は頭を降り続けていた。

「や。いち、まさやと」

「片桐とは毎日入ってんじゃねぇか」

もう、止めてくれと言いたい。

片桐が説得して一に新垣と風呂に入るように言い聞かせたかった。

だがやっかいな新垣の男としての自尊心を傷つけない為にも今は口を挟まないべきだと考えていたのだ。

けれど。

そのような片桐の気遣いも、一には何も通じないようであった。

「や。まさやしか、触ったらだめ、だから」

「は?何の話だ?」

「いちのちんちん、まさやしか触ったらだめ、だから。お風呂、まさや、気持ちいするから。しないからお父さん、や」

「・・・」

「・・・、・・・」

逃げ出したいと、今までにないほど感じた。

出来れば一を担いで、そうでないなら一人ででも、この場から走り出したいと思った。

けれど、皿の上にはまだ料理が残り、グラスにはアルコールも残る。

今この現状で走り出すのは不可能だ。

「まさや、いち可愛い可愛いする。嬉しい。いち、お父さん嬉しく───一」

「いち、食え」

「んーっ」

ぼそぼそと言葉をつなぎ続ける一の口に白飯を突っ込む。

話すなとも言えない状況だ、こうとするしかない。

座卓の向こう側を真っ当に見る事が出来ず、けれど分かるのは新垣が何も言葉を発せないでいる事だけだ。

皿が空になるまで一の口に料理を運び続けるのが最善だろう。

今の片桐には、それしか思いつきはしなかったのだった。



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