ヤクザものシリーズ・お礼用SS
(実のクッキー作り・1)



それを言い出されたのは、長谷川が忘れていた頃だった。

「じゅんくん、じゅんくん、おやくそく、しよ」

「約束っすか?俺、実さんと何か約束したかなぁ・・・」

「わすれたの?じゅんくん、ひどい」

「いやぁ・・・すんません」

いつもと変わらぬ午後のひととき。

昼寝から起きたばかりの実は、ソファーに座り隣でくつろぐ長谷川に顰めた顔を向けた。

もっともいくら実がそのような顔をしたところで、何一つ恐ろしくなどない。

頭を掻きつつ思考を巡らしたが、生憎長谷川には実との約束の記憶はやはりなかった。

何せ実の記憶力は通常の人間の何倍も優れている。

長谷川は元より遠藤よりも飛び抜けており、日常のほんのささいな事ですら覚えているのだから、気軽な気持ちで交わした約束が忘れていても不思議はない。

「すんません、何でしたっけ?」

「んー。あのね、くっき」

「くっき?クッキーですか?」

「そ。あのね、くっき、するの。みのね、じゅんくんとね、くっきしてね、ゆたにあげる」

「クッキーを、する?・・・、・・・あぁ、作るんですね。・・・そういや約束したなぁ」

「そ。みの、くっき、つくるね」

一度思い出してみると、それは徐々に明確な形になってゆく。

あれはクリスマスを終えた頃。

長谷川が自作のクッキーを実に渡した時の出来事だ。

『くっき、つくれる、じゅんくんすごいね』

『いやぁ、そんなすげぇってなもんでもないっすよ』

『すごいね、すごいね。いいなぁ』

『じゃぁ今度、実さんも一緒に作りましょうか。頭も絶対喜びますよ』

『ほんと?わぁ、みのね、うれしいね。みのね、ゆたにくっき、うれしいね』

嘘を、ついた訳ではない。

ただ、羨望の眼差しを浮かべる実に流されるよう、後先を考えずに軽く口をついた───約束をしてしまっただけだ。

もはやふてくされた表情を消し去った実は、満面の笑みで長谷川の腕を掴んだ。

「ね、つくろ。つくろ」

「いや、どっちにしたって今すぐは無理ですよ」

「なんで?やくそく、したのに」

「でも、材料要るじゃないですか。頭に渡すなら入れるモンも要りますし、それにもう、こんな時間ですよ」

「・・・あ」

「ね。今からじゃ無理っすよ」

ふと、壁に掛けられたアナログ時計を見上げる。

スクールの後に茶と食事を別々にとって帰宅後、昼寝をした今はもう昼よりも夕方と呼びたい時間帯だ。

夕食まで二時間。

今から足の遅い実と買い物に出かけていては、それで終わってしまう。

「むり?」

「無理です。だったら、明日しましょう。明日スクール行って、帰りに材料買って」

「あした?うん。わかった。あしたね、あした」

きょとんとしていた実だが、納得が出来たのだろう。

長谷川の腕を掴み、何度も繰り返し頷いた。

「それにしても・・・実さんがクッキーか・・・」

「まえね、じゅんくんね、じょうずね」

「や、まぁ、俺は・・・」

特別料理上手などとは思っていないし、考えるだけで小恥ずかしい。

ただ、長谷川はともかくとして実は確実に「並み以下」の手先の器用さしかないのだ。

以前作ったうさぎのオブジェも、おにぎりも。

日常的につけている日記の文章からすらそれが伺えるので、クッキーを作るのだけが飛躍的に上手いとは到底考えられなかった。

長谷川がクッキーを制作した際は、突然押しかけた女の家であった事もあり、ただ四角い棒状に固めた物を切っただけだったが、それをしてしまうと実際に実が手伝う場面はなくなりそうだ。

粉を計るのも混ぜるのも、結局は長谷川が行わなければ何時間経っても焼き上がらないだろう。

「だったら・・・・あれっすね。型。型要りますよね」

「かた?・・・かた?」

「クッキーをいろんな形にするやつです。星とか、ハートとか・・・多分」

「みのね、ぴかちゅ」

「え?そんなもんあるんですか?」

「ないの?」

「さぁ・・・ありそうっすけど、だったら明日は無理じゃないっすかね」

「あした、できるいった。じゅんくん、いった」

「それは、普通にだったら出来るんですけど、ピカチュウの型探すなら別ですよ。どこに売ってるか俺知りませんもん」

「そか。そか・・・じゃ、いい」

「どっちがっすか?」

「みのね、ぴかちゅいい。みのね、じぶんでね、ぴかちゅする」

「え!?・・・いやぁ・・・それは」

クッキー生地というもので、かのねずみの形を作るのは大いに可能だ。

しかしそれが実であるとなれば、全くの別問題である。

止めておいた方が良い。

もしくは、うさぎの型で我慢するしかない。

「だめ?じゅんくん、だめ?」

「駄目っていうか、その・・・」

「なんで?」

実が不器用だから。

他の誰が出来ても、実には希望が見えてこないから。

そのようなストレートな言葉を閊えるなら、どれだけ楽だろうか。

そして婉曲な言葉など、実には通じるとは思えなかった。

「ま、えっと、頑張りましょうね」

「うん、みのがんばるー」

突然のチャレンジは明日に決定した。

今からであれば十二時間以上は余裕である。

それまでの間に長谷川は、実でも難なく黄色いねずみの形へ形成の出来る方法をインターネットで探そうと心に決めたのだった。




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