霧島シリーズ・お礼用SS
(たどり着いた先は・序章)



暖房器具もない、冷たい部屋。

六畳一間の部屋は畳張りで、そこも冷え切っている。

「あー・・・腹減ったな」

畳の上に横たわり、谷野弘樹は古びた木目の天井を見上げた。

工事現場の職場をクビになって一週間。

その間新たな仕事を探し続けているが、十六歳で高校中退者の弘樹にはあまり贅沢を言える就職先はない。

第一希望は正社員。

無理なら派遣社員、それでも無理ならバイト。

けれどどれにしても、生活をまかなえるだけの収入を得られる職場が見つからないままあっという間に一週間が経っている。

「飯、買いに行かないとな・・・」

仰向けからゴロリと身体を横向ける。

けれど立ち上がる気力は湧かず、ただ腹の底からため息がこみ上げた。

あれは、今から半年前の事だ。

それまで平凡だと思っていた家族が、たった数日にしてバラバラになった。

父親は塀の中。

母親は若い男に填められた。

結果元の家には居られず、授業料の高い私立高校に通っていた事もあり学校も辞めた。

それを仕組んだのは全て、関東で力を誇ると弘樹でも知っていた暴力団組織の直系の若頭だ。

両親は、弘樹を一人息子だと育てたが、それは真っ赤な嘘で弘樹は次男だった。

見た目も体格も、名前すら似ても似つかない兄が居る。

二度会った、暴力団若頭の男。

黒いスーツに黒髪で、金色の腕時計だけがまがまがしいその男の隣で笑っていたのが、実兄だ。

「腹減った・・・他に、する事ねぇな」

反対側に転がる。

六畳一間の狭い部屋に今は弘樹一人きり。

ただ部屋の隅ではテレビがついているだけで、それも別段見たかったわけではないが無音は辛い。

以前は気にもしなかった。

けれど、今は無音の空間に居ると見えない未来ばかりが弘樹を苦しめるようで、それがとても嫌だった。

仕事はない。

まだ甘い事を言っているのかもしれないとも思うが、どうにも本気になりきれない。

けれどその一方で、焦燥だけがこれでもかと襲い、いっそ立ち尽くしているようだ。

「今、何時だっけ」

ようやく身体を起こすと、畳の上を見渡し携帯電話を探す。

すぐに見つかったそれを取り上げロックを解除すると、液晶画面に大きく表示されたデジタル時計が昼過ぎだと知らせた。

母親は同居をしている。

けれど最後に顔を合わせたのはもう何日も前で、次に顔を合わせるのがいつであるのかも分からない。

母親で、産みの親で、育ててくれたのだとも思う。

けれど人として、そして親としての尊敬は、半年前に全て失っている。

そこに居るのはただの中年の女。

欲と性に溺れ身を滅ぼした、ある意味において哀れな女だ。

「・・・まじで、飯買いに行こう。そうだ、三日分くらなら纏めて買っても・・・あ」

膝に手を突き、立ち上がろうとした。

だがその時、それまでただ流れていただけの、内容も会話も何一つ耳に入らなかったテレビの音が、不意に弘樹の耳に入ってきた。

『――なにやってんねん』

『お前が押すからやないか』

内容は、知れない。

前後の状態も状況も分からなくて、ただ繋ぎの作業服のようなユニフォームを着た二人が、頭にヘルメットを被り大きな水槽の縁に立っている。

ありふれた、バラエティー番組の一幕。

「・・・寒い、な」

何があったというわけではない。

ただこの部屋が寒くて、此処にいても未来など見えなくて。

そして今し方聞いたばかりの方言に、暖かみを感じてしまっただけだ。

「財布、いくら入ってたかな・・・」

一週間前に仕事をなくし、給料の全てを受け取ったのでそこにあるのが全財産。

今から食事を買いに行きいくらか減り、明日になればまた減り、明後日はもっと減る。

「・・・大阪まで新幹線でどれぐらいするんだろ・・・よし、行こう」

ふと、身体が軽くなる。

それまで尻に根が張ったようだったというのに、パッと立ち上がれた時には、胸の中まで軽くなっていた。

もう、此処には何の未練もない。

半年住んでも自分のテリトリーだと思えなかった家を、家と呼ぶのもしっくりとこない。

一度テレビを眺めた弘樹は、リモコンでそれを消すと押入の襖を開けた。

ただ、暖かいのだろうと思った。

それだけだ。

数時間後、弘樹は東京駅のホームに立っていた。

――そこはもう、宮川組の勢力を誇る町ではないと、この時の弘樹は知らない。





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