ヤクザものシリーズ・お礼用SS
(中里の居ない日)



一日の勤務を終え、湯沢は帰宅の為車に揺られていた。

「あー、疲れた。でもこんな、早く帰れるの久しぶりだなぁ」

時刻は午後八時そこそこ。

一応は儲けられている定時を少し回っただけで仕事を終えられたのは、様々な幸運の上に成り立っている。

急患が訪れず、急な病状の変化もなかったし、夜勤でもない。

一日働いた疲れはあれど、気持ちはどこか軽かった。

「あ、そういえば今日学さん遅くなるって言ってたっけ・・・」

「はい、先生。今晩組長は、宮川組の集まりの関係でご帰宅は深夜を回られると思います」

「あ、そうなんですね。すみません、ありがとうございます」

独り言のつもりだった言葉に返答があると、湯沢は肩を跳ねさせた。

運転席につく男は毎日同じだ。

決して会話が多いわけではなかったが、今や気楽な存在となっている。

助手席側の後部座席に座る湯沢がふと運転席を見ると、前を見据える男は今し方の会話など無かったかのように澄まし顔だ。

「そっか。学さん帰り遅いんだ・・・」

あまり興味がなかった為忘れていたが、男に言われ思い出した。

霧島組の親団体である宮川組で何らかの集まりがあり、その後会食だったか宴会だったか、何かがあると言っていた。

思い出したと言えどこの程度だ。

やはり余程興味がなかったうえに、疲れ切ったまどろみの最中にベッドの中で言われたのだと、こちらははっきりと思い出した。

「こんな日って珍しいな。でも・・・たまには良いもんだな。帰ったら何しよっかな」

湯沢の帰りが先でも後でも、一度中里と顔を合わせればその行き先は決まっているようなものだ。

食事をするなり、アルコールを飲むなり、テレビを見るなり。

そういった時間はあるものの、常に隣が向かいに中里が居る状況。

風呂に入るだけでも黙っては行えず、折角与えられた書斎に籠って勉強も出来ない。

当然一人で遊びに、それどころか買い物一つ行えず、不満を言えば何倍にもなって反論が返ってくるのが面倒になる。

日々、中里を鬱陶しく思っている訳ではない。

そうでなければいくら脅されても家から逃げるか、病院から帰らないかとしている。

だがそれとは別次元で、一人の夜を楽しみたい心境もあった。

「読もう読もうと思ってて全然読めなかった本もあるし、風呂にも一人で入りたいな。それに、寝るのも一人で寝たい・・・」

家で、外で、彼とどのような時間を過ごしていても、結局最後は決まっている気がする。

毎度を中里のせいにするつもりはない。

だが多くが彼に強要される形で、寝室そしてベッドへとなだれ込む事になる。

するとそこで何が行われるかは、まだ交際一年未満の出来たてカップルならば一つしか選択肢が用意されていないようなものだ。

ベッドの中――時にはリビングや風呂場で、セックスを始める事数時間。

その後は大抵、疲れ切って眠ってしまうので、「ゆっくりと眠る」とは無縁だ。

「あー・・・それが一番いいなぁ」

早い時間に風呂に入り、少しだけアルコールを飲んでほろ酔いの頃にさっさと寝てしまう。

それが何より、贅沢なような気がする。

「先生、到着しました」

「あ、はい。ありがとうございます」

独り言が漏れている事にも気が付かず、ふと見た車窓の景色が見慣れた自宅マンションの地下駐車場だと理解すると、抜けきっていた気を入れ直す。

背もたれに預けていた身体を起し、駐車場で待ち構えていたいかにもチンピラだという風体の男が開ける扉から降り立った。

すぐ目の前のエレベーターには既に箱が到着している。

これに乗りさえすれば、自宅までは直ぐ。

身も心も軽くなりながら、湯沢はそこへ乗り込んだ。

「確か、冷蔵庫につまみになりそうなの、あった気がする・・・」

普段、湯沢も中里もキッチンに立たない。

その為、冷蔵庫の中身もビールが冷えているか否かという程度の認識しかないのだが、中里邸で調理をする者はいるので、食材は常に何かしら入っている。

加えて、中里と湯沢の好みを考慮し、チーズやサラミ、それから乾きものの類も常備されていた。

しかしそれにしても、湯沢にとっては「多分」程度にしか分かっていない。

「先生、お足元お気を付けください」

「あ、はい」

あっと言う間にエレベーターは最上階へ到着する。

何度不要だと言ったところで止めてはくれない、霧島組員による出迎えを廊下一本分無視を決め込み足早に駆け抜け、慇懃に頭をさげながら開けられた扉の中に飛び込んだ。

自分自身は敬られるような存在ではない。

それを正しく認識しているので、「中里の愛人」として敬意を払われるのは諦め半分、腑に落ちなさ半分だ。

「はぁー・・・ただいま」

後ろ手で玄関扉を閉ざす。

返答などないと分かっている、今晩に限っては返答の欲しくない挨拶を口にし、湯沢はゴトリと重い音を立て施錠をした。

「さ、何しよっかな。まずビールかなー・・・」

玄関を塞ぐ仕切り扉を押し開け、リビングルームへと入る。

明かりも灯らない部屋はヒヤリとして人の気配もしないが、中里が不在だと聞いていたので当然と言えば当然だ。

気丈に独り言を放った湯沢は、けれどそれも言葉半分、ふと口を閉ざした。

「・・・学さん、帰ってこないんだ」

壁に埋め込まれているルームライトのスイッチでそれを点ける。

明るく灯された下で呟いた言葉に、湯沢はぼんやりとした。

どうにも胸がすっきりとしない。

ジャケットを脱ぎながら、部屋を奥へと進む。

脱いだばかりのそれをソファーの背もたれにかけると、いつも中里が座っている場所へと自然と視線が向いた。

「居なかったら、居なかったで案外・・・」

無い物ねだりも良いところだ。

中里の居ない時間を望みながら、中里の居ない部屋を虚しく思う。

「・・・学さんが居て、学さんが大人しくしててくれるのがベストなのかも」

しかし、ならばいっそそれは中里ではない気がする。

そう考えてしまうと、湯沢の口元がふと綻んだ。

「なんだかんだ言って、俺も結構――」

中里を必要としているようだ。

気恥ずかしくて飲みこんだ言葉は、湯沢の胸の中で暖かくなる。

彼の居ない場所と居ない時間。

故に気づけた事もあるのだと、内心呟いた湯沢は肩で息をしキッチンへと向かったのだった。




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