ヤクザものシリーズ・お礼用SS
(一の七夕)



それは、ほとほと自分には関係がないのだと、鼻から思い込んでいた為頭の片隅にもなかったようだ。

初夏となり、蒸し暑い日が続く夜。

地堂組本部の一番奥の部屋で、片桐はだらけきった様子でテレビを見ていた。

別段興味深い内容が放送されている訳ではなく惰性で見ている感が否めないが、他にする事もしたい事もない。

畳敷きの床は、横たわるには心地良い。

「もう一杯飲むか・・・」

畳に肘を付き、その先の手に頭を預けた。

その前には缶ビールと、皿に開けられた乾きもの。

誰にともでもない独り言がつい漏れ、片桐はチラリと自身の腰の辺りを眺めた。

そこには、人の形をした大き過ぎる猫。

一が、決して小さいとは言えない図体で、片桐の上に乗りかかっていた。

片桐の背中側から腹に掛けて、身体を十字に交差させるように重なり身体を揺らす。

やっている事はまんま動物だ。

けれど、それはただ鬱陶しいだけでもない。

「いち、じっとしてろ」

「いち、まさと」

片桐の身体の上でその身を揺すり、一が感情の読み難い口調で告げる。

こちらの都合などおかまいなしだ。

窘めても聞く素振りなど見せず尚も身体を揺するそれも、ありふれた日常。

片桐の忠告に一が一度で聞く場面の方が圧倒的に少ない。

腕枕をつきながら、のしかかる一を半ば無視してテレビを眺め続ける。

だが、そうしていた時だ。

ふと身体が軽くなった。

一が身体の上から退いたのだとまず身体で感じ、頭で理解し、目で確かめようとした。

だが片桐がテレビ画面から顔を逸らし自分の腰へ顔を向けようとするよりも早く、視界が黒く覆われた。

「・・・いち」

「まさ、まさ」

「人の顔の前に来んなって、いつも言ってんだろ」

「んーあー」

「唸るな」

一が、片桐と同じように畳の上に横たわる。

片桐の真ん前、視線の先の、テレビが見えなくなるやなんだと考えているとはみじんも思えない場所。

表情などないに等しい一の面もちが、息が掛かる距離まで近づく。

これではもう、テレビを見続けられない。

もっとも、元より見たくて見ていた番組でもない。

一の息が唇に触れる。

それは何を意味するのか。

畳に身を預けた身体の、中心で片桐の分身は一度だけドクリと鳴った。

一の唇はすぐそこ。

片桐が身体を起こせば触れ合う距離。

腕枕を説き、身体を起こそうとする。

興味のないテレビよりも一との甘い時間の方が余程有意義だ。

「いち」

「まさ・・・」

瞼を開けたまま、もう数センチで一の唇。

だがそうした時。

片桐の唇に触れたのは、一の唇ではない無機質な感触であった。

「・・・・は?」

「ん。まさ」

「なんだ、おい」

手のひらを開い一が、それを片桐の顔面に押しつける。

目の前、視界の全てを覆う物に、それが何であるのかなど到底見えもしない。

「おい」

「ん」

ようやく、一の手が放れた。

そしてその、顔面に押しつけられた物が落ちる前に、片桐はそれを拾い上げた。

「・・・紙?って、だからなんだって・・・」

顔に押しつけられていたのは、紙。

ありふれたコピー紙。

見える面には何も書かれていない真っ白なそれを眺めていると、その向こうの一は何度も頭を上下に振った。

「まやさに」

「は?俺に・・・って、俺に渡すってか?」

「ん。たんざく」

「は?」

同じ疑問系の言葉しか漏れない。

眉間に皺をよせ、一を、そしてそのコピー紙を眺める。

一の言葉は意味が分からない物も多いので、大して気にも止めずそのコピー紙を反対へ返すと、その答えは少しばかり、見えた気がした。

「・・・・なんだこれ」

「いち、かいた」

「お前の字だってのは分かんだよ。いくらなんでも、ここまで汚ねぇ字の奴、うちにもいねぇ。そうじゃなくて――まさやと、いっしょ、できる・・・ってなんだ?」

頭上に疑問符がいくつも上がる。

ミミズがのたくったような一の文字の書かれたコピー紙から一へと顔を映す。

文字を見ても、一が書いた以上の事までは分からない中、一は片桐の手からそれをもぎ取ると、今し方まで紙の握られていた手の、腕の中に一が潜り込んだ。

「たなばた。たんざく。おねがい」

「・・・は?」

「七夕。短冊。お願い!」

「・・・マジか」

どこから説明をして良いのか、果たして説明をして良いものなのかも分からない。

だが無性に、片桐の胸はとても、熱くなっていった。

今日は、七月七日。

言わずと知れた七夕で、七夕には短冊に願いを書く行事があると、その程度は片桐も知っている。

「短冊ってのは、形の事だろ?こんな・・・ドデカイ紙に書いたってなぁ。それによ、笹につけなきゃ意味ねぇんだろ?だから俺に渡してもな」

口では何と言え、頬がだらしなく緩む。

一を抱き返さないまま、コピー紙を拾う。

ありふれたA4紙に書かれたミミズののたくったような字に、片桐はニタリと笑った。

『まさや。いっしょ、できる』

それは、「正也と一緒に居る事が出来る」と、解約しても良いのだろうか。

「可愛い事、書くっちゃぁ、そうなんだけどな」

「まさぁ?」

一の願。

嘘も喜ばせも、おべんちゃらも何も言えないだろう一の、本心だろう願い。

それは、何よりも暖かい。

「けど、こんなもん、一々願ってんじゃねぇよ」

「ん」

「ンなもんな。願わなくったって、ずっと一緒だろ」

「いしょ」

「そうだ」

忘れていた、興味も無かった年間行事。

片桐には関係もないそれは、どうやら今年は違うようだ。

「いち、その願い、他の誰でもねぇ、俺が叶えてやっからな」

空の上の、おとぎ話の、空想の存在に願うまでもない。

そのような不確かな物に縋るほど、困難ではなく、容易く叶えられる部類の願いだ。

そっと、畳の上にコピー紙を置いた。

夏の日の夜。

縁側の向こうに広がる夜空に、星が瞬いていた。




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