極道と舞姫シリーズ・お礼用SS
(スポーツジム)



それは、何の前触れもない事だった。

週明け月曜日の夜。

一般的な会社員や学生とは違い、夏樹は土曜や日曜に舞台が、その前日や前々日に舞台合わせが入り、週末こそ忙しくなる。

昨日もそうで、三ヶ月のリハーサルを終え迎えた舞台は無事成功を収め、今日夏樹は朝のレッスンだけをこなしのんびりとしていた。

そうして夕方そこそこに黒川と落ち合った夏樹は、彼の勧めでフランス料理レストランでグラスを傾けていた。

テーブルに並ぶのは、厚いステーキ。

肉の柔らかさもソースの旨さも一言では表せない程で、特別も何でもない日にしれっと連れてくる黒川がいっそ嫌味に見える。

いかめしい面もちも、引き締まった体格も。

到底サラリーマンには見えない黒川だが、ジャケットやネクタイをビシリと決めれば、いささかヤクザでないモノに見えなくもない。

もっとも、サラリーマンには見えない雰囲気と言うならば、人工的な茶色でウェーブの掛かる髪を持つ夏樹も同じだ。

二人がテーブルを挟む様はどのように見えるのかと考えた頃もあったが、最近ではそれすら面倒になった。

「今週末は仕事か?」

「ううん、今週末は無し。代わりに来週はリハーサルが結構重なってて、週末舞台。その次も舞台だったかな」

「最近、増えたじゃねぇか」

「んー、そうだね。あの合同公演の後から、発表会だけじゃなくて公演の出演依頼も増えたかな」

「良かったじゃねぇか。餓鬼相手よりやりがいも、金も良いんだろ」

「んー。まぁ、善し悪しかな。・・・子供の方が、軽いし」

「そりゃそうだ」

切り分けた肉をフォークで口に運ぶ。

チラリと見た黒川は、決して上品さばかりではなかったが動作が綺麗に見えた。

黒川が夏樹のスケジュールを確認するのは頻繁だ。

曰く、毎週決まっていないそれは頭に入りにくいという。

その上夏樹も、急な予定変更も度々あるので、聞かれる度に素直に答えていた。

本当に覚えていないのか、ただ触れないだけなのかは分からないが、夏樹にスケジュールの変更があったとしても黒川は何も言ってこない。

急に会えなくなってもそれは同じで、そういった面もまた好ましく思っている。

「今週もリハは少ないかな。朝はいつも通りレッスンして、夜は・・・出たり出なかったり。昼は・・・」

何と、言う前だ。

まるでタイミングを見計らっていたように、フォークとナイフを皿に伏せた黒川はジャケットの胸ポケットから一枚のカードを取り出した。

「暇があるなら此処に行け」

「は?え?何?」

夏樹に差し出すよう、黒川がカードを滑らせる。

黒地に、白と緑色の文字で書かれたカード。

全文アルファベットで書かれているそれが何であるのか、一瞬では分からなかった。

「俺の行っているところだ。インストラクターも確かだ」

「これ・・・」

「お前、太股に筋肉付けたくないつってただろ。相談してみろ」

「あ・・・これ、スポーツジムの会員証?」

フォークを置き、プラスティックのカードを取り上げる。

カードの中央には、スポーツクラブのロゴだろう文字。

よく見ると、表面隅には「Natuki Ibuki」の文字が押されていた。

唐突なそのカードに理解が追いつけずにいたが、何事もなかったように黒川はフォークを持ち直した。

「空いた時間にジムに行くと言っていたからな」

「うん、そうだけど」

「行くなら一流のところに行け。身体が商売道具だろ」

身体が資本で、それだけが夏樹の全てで。

ただ踊りのレッスンをして技術を磨くだけでは追いつけない物もあるし、それだけではつかない必要な筋肉というものも確実にある。

「仁が、行ってるとこなんだ・・・あれ、ここ」

「知ってるか?」

「何かで見た事あるような。え、でも、アスリート御用達だとか・・・」

「ならそこだな。今じゃぁ、噂聞きつけた、見栄だけのタレント連中も来てやがるが」

「え、そんなとか、凄くその・・・高いんじゃ・・・」

まじまじと見ていたカードを、咄嗟にテーブルに戻す。

いつだったか雑誌で見た此処は、ゼロが一つ多かった気がする。

そのようなところに黒川が通っていた事も驚きではあるが、そのような場所の会員カードなど受け取れない。

いっそ突き返しかけた夏樹に、けれど黒川はこちらをチラリと見ただけで、グラスに注がれたワインを喉に流した。

「夏樹が心配する事じゃない。支払いは俺になってる」

「そういう問題じゃなくて」

「ならどういう問題だ。あぁ、他に行きたいところがあったのか?」

「そうでもなくて、ここ、すっごい高いんだろ。芸能人もとかって」

「なんだ、今更だな」

「・・・な」

何が、どう今更であるのか。

明白な答えはどこにもない。

ただグラスを指先でもてあそぶ黒川がふと不敵な笑みを浮かべるから、それ以上夏樹も言葉を続けられなかった。

「礼ならベッドの中で構わない」

「じ・・・仁。ここ、レストラン」

「だったら、さっさとそれしまえ」

「・・・ありがとう。あの、嬉しいのは、凄く嬉しいから」

「知ってる」

ここはレストランで。

少し離れた席にはカップルや、ウエイターもいて、淫猥な言葉は続けたくはなくて回避をした。

けれど、夏樹の頬がこれでもかと熱くなるから。

男同士向かい合うテーブルでその不自然さを考えながらも、頬杖をつき眺めてくる黒川から視線を反らせなくなった。




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