霧島シリーズ・お礼用SS
(倉田の嫉妬)



それは、倉田にとって唐突だった。

「明日は、帰宅が遅くなる」

花ぐるまで夕食をとった後自宅に戻り飲み直していた最中、ビール缶をテーブルに置いた環が何気なく口にした。

丸型のローテーブル、いわゆるちゃぶ台の上には開封済みの缶ビールが一本と、袋から顔を出すスルメイカ。

片手に缶ビールを持つ倉田は、スルメに伸ばしていた手を宙で止めた。

「へ?なんで?」

考えるより先に漏れた声は素っ頓狂に裏返っていたかもしれないが、それだけ予想外だったという事だ。

環の職場、法医学教室の勤務体制がどうであるのか倉田は詳しくは知らない。

だが決められた事を毎日繰り返す事を好む環は、決まった時間に出勤し決まった時間に退社しているようだ。

その後は決まって、小料理屋・花ぐるまに出向き夕食をとっている。

環の決められた生活の中で、例外的な要素があるとするならその多くに倉田が関わっている。

交際数か月。

同棲を初めて半月程。

倉田の環の扱いが上手くなったとも言えるが、最近では環も慣れ親しんだ事以外も行えるようになっていた。

だが、それは「倉田と居る時」という「例外」だ。

それを倉田自身、まんざらでもなく思っていた。

だというのに、倉田が居ない時の「普段とは違う行動宣言」は、動揺ばかりがあった。

「何かあった?あ、学会とか?」

「そうではない。ただ、明日は歓迎会だと言われた」

「歓迎会?」

「春になり、新しく研究室に出入りをする学生も居る。僕も、参加しなくてはならないと、教授に言われた」

「あー・・・そう」

歓迎会。

つまりは、飲み会という解釈で良いのだろうか。

一人納得をしたように頷き、環はちゃぶ台に置いていたビールの缶を手にすると軽く一口を煽った。

「え、でもめぐちゃん、アルコールそんなに強くないよね?」

「そうだと思う。一朋に比べるならば、弱い。すぐに思考能力が弱くなる」

「だったら、外で飲んだら絶対危ないと思うんだよね」

もうスルメを齧る気にはならず、倉田は環に向き直ると真摯な眼差しを向けた。

自分でも分からない程、胸がざわつく。

けれど視線の先の環は、相も変わらず感情の読みにくい面持でただ倉田を見返している。

「外で、飲むのは危ない?」

「そうそう」

「あぁ、確かにそうかもしれない。的確な判断が難しくなるという事は危険察知能力も低下するという事だ。歓迎会は新宿で行うと聞いていたので徒歩で帰るつもりをしているが、そうなると車、そうでなくとも通行人と過度に接触する恐れがある。それは、危ない」

「いや、そういう事言ってるんじゃなくって。って事もないけど、それだけじゃなくってさ」

頬を赤くした環が、小首を傾げる。

表情は決して豊かではなく、何を考えているのか分からない。

だが赤く染まった頬は、少なくとも倉田には扇情的にしか見えなかった。

「ならばどういう事だ。歓迎会というのは、研究室の極限られた間柄の人間しか参加しない。危害を加えられる可能性はとても低い」

「危害・・・とかっていうんじゃなくて」

「何故だ。一朋は危険と言った。危険とは、損害や事故もしくは災害など生じる可能性のある事を言う」

環の眉が、ほんの少し、比べなければ分からない程度に変化し寄せられた。

それは不満か困惑か、もしくはもっと別の要因があるからなのか、それだけでは倉田も環の内心を判断出来ない。

ただ分かるのは、やはり環にはニュアンスで話しをしていては時間が掛かり過ぎ、理解が得られにくいという事だ。

あまりみっともない男にはなりたくない。

だが、下手に自尊心を持ったばかりにすれ違うのは馬鹿げている。

手にしたビールを大きく煽り一息を吐くと、倉田は親指で環の唇に触れた。

「じゃぁはっきり言うけど、めぐちゃんが他の人の前で酔うのが嫌なんだよ」

「他の人?」

「そう。同僚でもなんでも、俺以外の人。めぐちゃんはきっと知らないだろうけど、今だってすっげぇ、いやらしい顔してんの。そんな顔、他の人に見せたくないんだよ」

「いやらしい顔?それは、みっともないという事か。ならば、一朋の前でも見せるべきではない。申し訳ない事を・・」

これが、嫌味の応酬ならばどれだけ良かっただろうか。

けれど環はそうではない。

ただただ、本心からそう思っただけだろう。

「そうじゃないって。あーもう。どう言ったら分かってくれるのかね。めぐちゃんが、すっごい可愛い顔してるから、同僚とか他の人にも見せたくない。もしそいつらも、俺みたいにめぐちゃんが欲しくなったら困るから。分かる?」

ストレートな言葉を更に噛み砕くのは困難だ。

けれど環と暮らしていれば、それこそが日常となる。

何処の誰が環をみそめたとしても、今の倉田と同じように環と接する事が出来るのかは疑問で、環もそれで満足をするのかは分からない。

だがそのうえでも、気に入らないものというのは確実にある。

近い距離でじっと環を眺める。

時間にして、僅か数秒。

倉田を見返していた環は、触れられた唇を払う事無く静かに頷いた。

「分かった」

「めぐちゃん、良かっ・・・」

「僕は一人しか居ない。欲しられたところで、渡せるものもない」

「え?あーうん」

「それが人体と言う意味であるなら、心臓を停止させられた上で実行される可能性もあるという事か」

「は?」

「一朋は職務上もあり、そういった行為に出ないという信頼は既に多くある。だが研究室の人間は、そう考えるならば非常に危険だ」

「・・・え、そうなの?っていうか、俺に殺されるとか考えてたの?」

「だから、そうされない為にも、外でアルコールは飲まない。一朋の前でだけにする」

「・・・そっか。うんうん、そうして。ありがとう。・・・いやなんか、ちょっと違う気もするけど」

「やはり一朋は、僕には考えの及ばない先まで思考が回るようだ。いつまでたっても、適わない」

知らず知らずの内に出た言葉を、間違えてしまったのだろう。

どの言い方がミスに繋がったのか、何をどう言いかえれば良かったのか、考え辿ってみたところで分かりそうにない。

常に斜め上をゆく環。

けれど常に、自分の言葉を聞こうともしてくれている。

環の唐突な行動や言動と言うのはもしかすると、ただ今までの経験が狭く薄かった為に様々な事を知らないだけなのかもしれない。

「あーもう。まだ飲んでる最中だってのに」

「まだ飲めば良い。それが一朋の望む事なら・・・」

「もう良い。今はビールより、めぐちゃんが欲しくなったんだ。駄目か?」

「・・・、一朋が僕を欲するのは、好きだ」

「だろ」

触れていた唇から指を離し、その手で環の腕を掴む。

ニッと笑う倉田に、環は僅かながら目を見開いた。

交際数か月と、同棲して半月。

まだまだ計り知れないところはある。

だが確実に環が自分の色に染まりつつあるのを実感しながら、欲張りにもなっていく自分と言うものにも気づかされていった。





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