ヤクザものシリーズ・お礼用SS
(飲み代80万・3)



止められないため息を男の目を盗み吐き出すと、手の力が抜けそうな携帯電話を握り直した。

「帰ってからじゃ、だめか?」

『今がえぇなぁ。今やないと、いやや』

「嫌って・・・じゃぁ、何?今俺が出来る事?」

『出来る出来る、めっちゃ出来る』

「何だよそれ・・・」

隔離をされたような地下のバー。

周囲には特別な物はなく、財布の中身は香坂の十分の一を遙かに下回る。

今の暁に出来る「ご褒美」など何もない、そう考えていた時だ。

通話の向こうでは、拗ねたような声を一変、香坂はさも期待に満ちた様子だった。

『あんな、言うて』

「は、何を・・・」

『「甲斐、愛してるぅ」、言うて』

「・・・・は?」

『せやから、「甲斐、世界で一番愛してるぅ」て、言うて』

「そっ、そんな事、言えるわけないだろ」

こんな時に、何を言っているのか。

確かにそれならば今すぐ実行可能だが、しかし「出来る」と「したい」は別問題だ。

目の前にはチンピラ風の男。

背後には会社の先輩の菅と、口を開かないバーテンダー。

カッと頬を熱くする暁に、それを眺めていた男は眉間に皺を寄せた。

「おい、何言うとんねん」

「えっと、すみません、すぐ、持って来てもらうので・・・」

「ごちゃごちゃせんと、なんや、何でも言うてもうて早よせぇよ」

「はぁ、まぁ、そうなんですけど・・・」

男は苛立っているように暁に詰め寄る。

たかだかと、言われればその程度だ。

だが、今それを言うという事は、「甲斐」という男の名を呼んだ相手にそれを告げると周囲に知られてしまう。

そのうえ直後に、きっとこの場に不釣り合いな程嬉しげに支払い、もしくは迎えに来るのが男であるのは逃れられない。

真性のゲイだと自覚がありながらも、同類以外にそれを知らせないまま生きてきた暁には、笑い飛ばせない事だ。

ふと、香坂はその言葉を日常的に人の、それも旧友の前で口にしているなと思い出すと、ある意味尊敬の念すら浮かんだ。

『暁、暁、どないすんの?言うん?言うん?』

「・・・言ったら、すぐ来てくれるんだよな?」

『めっちゃすぐ行くで。一秒で行くで。せやから早よ言うてぇや。めっちゃ聞きたい』

期待を、されればされる程、妙なプレッシャーがかかる。

しかしもう、そのような事も言っていられない。

チラリと、唯一の出入り口扉を見る。

そして男から、菅やバーテンダーからも背を向けるようにすると、暁は携帯電話の口元を手で覆い、出来る限り小声を放った。

「あ、愛してる」

『聞こえへん。もっとおっきい声やないといやや』

「っ・・・愛して、る」

『もっと、もっとやって。それに名前と「世界で一番」は?』

「・・・甲斐」

『早よぉ、早よ、言うてやぁ』

見えない筈の香坂のニタニタとした面もちが、容易に想像が出来た。

グッと唇を縛る。

背後では男の鋭い視線が、今にも殴りかかられそうで恐ろしい。

逃げ場はないと腹を括ると、暁は口元を覆っていた手を離した。

「甲斐、世界で一番愛してる!・・・これで、良いだろ」

腹の底から叫んだ。

沸騰しそうな程顔が熱く、もう周りの目など気にならない。

公衆の面前で何を言っているのかという思いと、これで終わったと気が抜ける思いが同時にやってきた。

『上等や』

「甲斐・・・え?え?甲斐・・・」

ふと、スピーカーから声が消え、すぐに通話が切れた音が聞こえる。

そしてその直後。

バンッと大きな音がしたかと思うと、唯一の出入り口扉が外側から開かれた。

「なっ・・・なんや!」

「邪魔すんで。愛しのハニーがな、助けてぇ言うから来てん」

「・・・言ってない」

「なんや、なんやねんお前!いきなり人の店で・・・おい、あんた。友達とか言うて助け呼びやがったな。ただでおかんで!」

男が暁に向かい叫ぶ。

バーテンダーも、カウンターの中で小さな悲鳴を上げていた。

だが大股で狭いフロアをゆく香坂は、足を止めないまま暁の元まで来ると、ニッと笑い腕を伸ばした。

「・・・甲斐」

薄暗いバー。

けれど彼の面もちが、印象的だ。

「ちゃんと、届いたで。めっちゃ嬉しい」

「それは・・・」

「なんやねん!おい、あんたら」

香坂がわざわざ暁の身体を裏返し、腕の中に誘い込んだ。

その腕の力がとても力強くて、もう抵抗する気にもならない。

「あんたこそ、この辺で商売しとるくせに俺の顔も知らんのかいな」

「は?なんやねん。なんの話し・・・」

「そんなんやったらどのみち、すぐ死んどったな」

「は?ふざけんのも大概に・・・」

「これ、俺の名刺や。俺は今から暁とエッチすんのに忙しなるから、後は下のもんに任せるし、まぁ、よろしくしたってや」

「かっ甲斐!何言ってんだよ!」

「ほんまの事やもん。ほな、暁行くで」

香坂が、上質の和紙で出来た名刺を男につきつける。

そこに短く書かれた組織名と役職。

それが何であるのか、どのような物であるのか、暁の目には入らなくても男にははっきりと見えたようだ。

「何言うて・・・・ヒッ・・・・こ・・・・香坂」

男の顔色が蒼白してゆく。

そして背後では、香坂がふと笑った。

暁はと言えばどのような顔をしていたのか自分自身では分からなかったが、ただ辟易とした、どっと疲れたため息がこみ上げた。

「ほなな」

「甲斐、離して。歩けない」

「えぇやん。ちょっとだけ。ちょっとだけ」

「嫌だ。もう嫌だ。帰ってから」

「しゃぁないな。せやったら帰ってからな」

「あ、先輩・・・」

「ほっとき。ちゃんとうちのもんがするし、余計な事せぇへんから」

「本当だろうな」

「暁が今から遊んでくれるからな。勘弁したるわ」

「勘弁って・・・」

香坂の腕が離れる。

自由になった身体で、彼を振り返ると、さも満足げなかれは、暁に片手を差し出していた。

「行こか」

「・・・うん」

入り口で彼はどれ程待って居たのだろう。

何を思いその時間を過ごしたのか。

高額な飲み代を請求された、彼の庭。

けれどここはもう安全なのだと心底思えた暁は、背後に菅を残しながらも、つられて笑みを浮かべると、香坂の手をとったのだった。



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