ヤクザものシリーズ・お礼用SS
(同居の日に・前編)



夜も遅くなる前に仕事を終えた湯沢は、半信半疑で病院の裏口を出た。

「・・・本当に居た」

中里が退院した日である。

そこには予告通り、夜の闇に溶け込む黒塗りのベンツが止まっていた。

病院を後にする際中里は、退社後の湯沢へ迎えを寄越すと言っては居たが、どこか戯言のように感じていたのだ。

けれどそれは本気だったのだと、数メートル先に止められたいかにもな黒い車から察せられた。

そして、だという事は今日から中里の家で暮らすというのも真実なのだろう。

今更ながら実感が沸かなかった。

どうにも現実的ではない、と言った方が正しいのかもしれない。

次の行動を図りかね立ち尽くすばかりの湯沢の元へ、ベンツの助手席から降りた男が足早に近づいた。

中里の病室で何度か見たことのある、鋭利な男とは違う男だ。

「湯沢先生、お疲れ様です」

愛想笑いの一つも浮かべないその男は谷と名乗り、丁寧に頭を下げると湯沢の手から軽いバッグをさりげなく奪った。

元から中里の元へ素直に向かう意思があったとはいえ、逃げられない状況に持っていかれたようで少し面白くない。

「どうぞ」

「どうも・・・あ」

谷が後部座席を開けると、誰も居ないと思っていたそこに中里が堂々と鎮座していた。

黒いスーツに黒いシャツ。

撫でつけられた髪からも隙の無さが伺え、毎日見ていた彼とはまるで違う雰囲気に、恥ずかしながらドキッとしてしまう。

「中里さん、来てたんですか。『迎えをやる』とか言ってたから、てっきり来ないのかと」

「あぁ、最初は家で待とうと思ったんだが、どうにも落ち着かなくてな」

湯沢が後部座席に乗り込むと、中里はその腰を当然のように引き寄せた。

彼は人目を───運転席と助手席に座る二人を全く気にしていない様子だが、湯沢としては少し照れる。

照れ隠しに窓の外に視線をやると、頭上で中里の小さな笑みが聞こえた気がした。

「飯はまだか?だったら食いに行くか?」

「あ、はい。晩御飯食べるタイミングなくてまだなんです。けど、それより一旦家に帰らせてもらえませんか?」

「家?お前のか?」

「はい。今日から中里さんの家に住むっていうのは、まぁ・・・良い事にしたんですけど、でも身支度とか色々・・・」

「ンなもん必要ねぇ」

「必要あります。・・・俺にだって大切な物とか、貴重品とかあるし・・・」

あまりに中里が悠然とするので、自分の方が我侭を言っているような気がして来るが、そんな訳はないのだ。

突然の同居宣言に大人しく従っているのだから、これくらいのお願いは聞いてくれて然るべきだと思う。

困惑と憤りから声を震わせる湯沢に、中里は美麗な、けれどとても狡猾な笑みを浮かべて見せた。

「帰ってやってもいいが、何もねぇぞ?」

「・・・・は?」

「お前の家にあった物は、ゴミ一片まで残さずウチに運んでやったからな。あそこは今は空家同然だ」

何を言っているのだ。

中里の言葉が、すんなりと理解出来ない。

「・・・嘘」

「嘘じゃねぇ。そうだと思うなら、行ってみるか?」

呆けたまま薄く頷く湯沢を乗せ、闇に溶ける色のドイツ車は自宅だった場所へ向かい走ったのだった。

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